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  • れな

座禅瞑想をしてもなかなか霊視が芽生えない。どうして?

霊視や霊聴などのサイキック能力を会得したいと憧れている人は多いでしょう。

座禅瞑想を日々繰り返すことで、基本的には誰でも、霊視や霊聴を会得することは出来ます。

しかし、瞑想を何か月続けても霊視すら芽生えなくて滅入っている人がいるでしょうか。なぜ芽生えないのでしょうか?



サイキックの中でも霊視と霊聴は、座禅瞑想によって芽生える。

サイキック能力にも様々なものがあります。霊視と霊聴に関しては、座禅瞑想を繰り返すことで会得することができます。

座禅瞑想を1日に30分、それを1か月くらい続ければ、霊視が芽生えるでしょう。

それでもまだ修行をやめず、3か月くらいも続けるなら、やがて霊聴が芽生えます。

その先もありますが、今回は割愛します。


ニューエイジという言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?

1970年代、80年代頃の欧米のスピリチュアリストは、ニューエイジと呼ばれました。「ニューエイジはインドに修行に行った」という話を聞いたことがあるのではないでしょうか?

修行と言っても武術を習ったわけではありません。座禅瞑想を行ったのです。「メディテーション」と呼ばれていることもあるでしょう。

インドに修行に行った人が、「2週間続けたらビッグバンを視た!」などと豪語しているのを聞いたことがあるのではないでしょうか?

それがいわゆる、霊視が開眼した状態です。

速い人では1か月以内に霊視が開くこともあります。

座禅瞑想の継続には、霊視やサイキックを開眼させる力があります。



「座禅瞑想をすれば5分で視えるようになる」と説くのは、意味が違う。

「座禅瞑想やメディテーションをすれば、5分ほどでまぶたの裏にヴィジョンが視えるようになる」などと説く人もいるでしょう。

それは、意味が異なります。

それは、すでに霊視能力を開眼している人のことです。

目を閉じて心を鎮めることで、持っている霊視が機能しはじめる、という意味です。


「5分で霊視が開眼した」のではなく、「準備運動に5分かかった」ということです。


「キリスト」やバイオレットパーソンなど、生まれながらに霊視を持つ人は、「霊視を開眼させる」ということがよくわかっていないことがあります。そして「誰でも5分くらい精神統一していればヴィジョンが視えるようになりますよ」と語ったりします。それはかんちがいです。一般論の仕組みをわかっていないのです。


霊視が日常化していない人にとって、霊視を体験するには1か月くらいは座禅瞑想を続ける必要性があります。



形だけ座禅瞑想をしても芽生えない!

形だけ座禅瞑想を行ったところで、霊視や霊聴の開眼には至りません。

座禅瞑想の要点は、心を無にして感情の興奮をなくすことです。正座して目を閉じてじっとしていても、あれこれ考えたり悩んだりしているようでは、心は鎮まらないため、サイキックの開眼にはつながらないのです。


近年の日本人は、心がとても興奮しているようです。アニメやゲーム、テンポの速い音楽などに浸かっていて、いつも興奮しているのです。そして、座禅瞑想を行ってみたところで頭は興奮を継続してしまい、「心を無にする」ことが難しいようです。


座禅瞑想には簡単なコツがあります。

目を閉じたまま、数を数えましょう。「1、2、3・・・」と単純に数えるだけで充分です。数字に着目することで、悩みや欲に意識が向かなくなるのです。


しかし、このように数を数えても、座禅瞑想が上手くいかない人が増えているようです。



レイキ伝授を受けることで霊視や霊聴が芽生えることも。

レイキのアチューンメントを受けると、霊視や霊聴が芽生えることがあります。第6チャクラを活性化させるからです。

また、霊視や霊聴が恒常的に発現しなくても、アチューメントの際に霊視や霊聴を体験することがあります。ガイド霊からのアドバイスであることが多いです。

イキアチューンメントの際に霊視や霊聴を体験するかどうかは、あなたのガイド霊が決めます。優れたレイキティーチャーだから霊視を体験する、というわけではないです。レイキティーチャー側に決める権限はないのです。


しかし、霊視や霊聴だけを目的にレイキ伝授を受けることは推奨できません!

もっとレイキに対して真剣になったほうがよいです。多少なりとも奉仕か自己成長の精神が芽生えてからのほうがよいです。



一部の人は霊視や霊聴は恒常化しないです。

一部の人は、第6チャクラの活性具合が霊視・霊聴の覚醒レベルに達していても、霊視や霊聴を扱えないです。

それは、第6チャクラの活性具合や精神性が、霊視や霊聴のレベルを「超えている」からです。


パワースポットに赴いたときやレイキヒーリングを受けたときなどに、少しだけ霊視や霊聴を体験することはあるはずです。「あぁ、こういう現象が本当に存在するのだな」と体感はできるでしょう。

あなたにとっては、それで充分なのです。

あなたは、日常的に霊視や霊聴を扱うべきではないのです。あなたの役割が、霊能者的なものではないからです。


霊視や霊聴が恒常化しない人には、ピュア・インディゴが多いです。

「オールドソウル」「ソフィア」「ドルフィン」の人たちですね。

それ以外の人でも、霊視や霊聴が恒常化しないことがあります。



座禅瞑想が上手く出来ていないか、ピュア・インディゴであるか。

つまり、座禅瞑想の習慣を続けていても一向に霊視が芽生えない人には、2つのケースがあります。

1つは、座禅瞑想が上手くいっていないのです。目を閉じて静かにしてはいても、気が散ってしまっているのでしょう。


もう1つは、ピュア・インディゴの魂の人でありそうです。

あなたはロイヤルブルーのオーラも高いですし、座禅瞑想が下手なわけでもないでしょう。ブループリントとして、霊視や霊聴を扱うべきでないのです。

スピリチュアルなことを発信したいと考えているなら、れなのように「〇〇には効果がないから気を付けて」といったことを論理的に書くとよいです。人からチヤホヤされるのは難しいでしょうが、おそらくあなたはそれを求めていないはずです。



多くの場合、自分を観察してみれば、霊視や霊聴が芽生えない理由はわかるはずです。

どうしてもわからない場合、管理人様にチャネリング相談で尋ねてみるとよいです。確実な答えが得られます。

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