子供が快楽的なことに夢中になるとき、親は心配になるものです。
しかしその反面、「都会に出て不良とつるんでいるわけでもない。家でテレビゲームをしているくらいならまぁいいか」などと考える人もいます。
テレビゲームに夢中になるのと街遊びに夢中になるのとでは、どちらがマシなのでしょうか?
快楽の質は関係ない。「やるべきことをやろうとするかどうか」を観察して。
子供が夢中になっている快楽に質・内容はあまり関係がないです。もちろん、あからさまに他人を傷つけたり迷惑をかけたりするカツアゲ遊びよりは、家でテレビゲームをしているほうがマシ、という側面はありますが、この2つにそう大きな差はありません。
快楽の内容よりも、その子が「やるべきことをやろうとするか」を観察してください。
賃金労働に繰り出さずに家でテレビゲームばかりしているなら、やはり問題なのです。
ファーブル昆虫記ばかり読み漁っているなら「この子は偉い」と感じるかもしれませんが、宿題をやらずに専門書を読みふけっているなら、やはり問題なのです。
学校に行きたがらないとき、家で何をしている?
「学校はくだらないから行きたくない」と、何か大人びた考えを持って登校拒否をしたがる子がいるでしょう。
「行きたくないなら行かなくてもいいのだ」と考える大人は増えています。
しかし、学校に行きたがらない子のすべてを、自主性を尊重してよいとは言えません!
その子は、家庭の中で家事を分担しますか?親のために何かを協力しようとしますか?自分の食器を自分で洗ったり、自分の洗濯物を自分で畳んだりしますか?
学校の生徒たちはだらしないかもしれませんが、家の中で両親は、その子のために懸命に生きているはずです。そんな真面目な仲間たちに対しても協力し合おうとしない、誠実さを見せようとしない子は、「怠惰でずるい」のです。
「学校はくだらない」「社会はくだらないから真面目に生きるのはばかばかしい」などと哲学的なことを言っていても、それは言い訳にすぎず、ただ怠けていたいだけです。
世の中には、前向きな不登校の子もいます。
「学校に行きたくない」と感じたとしても、家庭の中では家事を分担したり、自分で料理をしたり、自分のことを自分でやります。自分なりに、将来の社会適応や金銭獲得のために学習をしようとします。
家の中で自分の洗濯物すら畳まず、ただ好きなことばかりしているなら、説得や説教が必要です。「それでは筋が通らないわよ」と。
「何をしていい、悪い」ではなくて「社会性があるかどうか」
家でテレビゲームばかりしていて、家事も自分のこともしない子に対して、「テレビゲームは良くない」と説教するのでは不充分です。それでは短絡的すぎます。仮に、強引にテレビゲームの端末を取り上げたところで、彼は似たような快楽を見つけてそれに没頭しようとするでしょう。
「どの快楽が良いか悪いか」ではなく、「どう生きるべきか」を諭すことが大切です。
「人それぞれに趣味や好きなことを持つのはかまわない。楽しいことや息抜きも大切。けれど、まずはやるべきことをやるべきよ」と教えましょう。
快楽の比率よりも、勉強や家事、賃金労働など、各々の年齢・立場に相応する「やるべきこと」をこなす時間のほうが多くなっているべきです。
「自分の属する社会の中で、助け合って暮らすことが大切」という価値観を染み込ませましょう。これは大人になってから教えるのではなく、子供のうちから、幼いうちからしつけ続ける必要があります。
こうしたしつけがしっかり出来ると、まずは自分のやるべきことをこなして、それから余暇の時間で快楽遊びをするような子に育つでしょう。
帰ってすぐ宿題をする必要はないが、宿題を考慮に入れる必要がある。
子に対して、「帰ったら遊びに行く前に宿題を終わらせなさい」としつける親御さんがいます。これは「行き過ぎ(厳しすぎ)」と言えるでしょう。
子供たちにとって放課後の遊べる時間は限られており、それを毎日のように奪い去るのはかわいそうです。外遊びは暗くなってからは出来ませんし、まずはランドセルを置いて遊びに出かけてよいでしょう。
19時から始まる人気のバラエティ番組を、必ずしも我慢させる必要はありません。
そうではなく、「宿題をいつやるか」の計画性を、子供にしつけましょう。「今日は放課後は遊びに行きたいし、19時からは歌番組が見たい。だから21時からは絶対に宿題をやる」というふうです。
好きなこと、楽しいことを行き当たりばったりに行って、宿題をやる時間も体力もなくなってしまった、ではだめなのです。「遊び疲れて寝ちゃったからしょうがないね」ではなく、宿題をする時間を残して遊ぶように、計算をさせます。これは、計画性が要りますし、自制心が要ります。計画性と自制心を、「育ませる」必要があります。
それは学校に任せるのではなく、親が家庭でしつけるべきです。
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