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  • れな

霊視をチャネリングだと思わないほうがよいです。

霊視には、注意喚起が必要です。

霊視でまぶたの裏に視た映像を、「チャネリング」とは考えないでください。「守護存在のアドバイス」とは考えないでください。



霊視で視るものには、当人の妄想やイメージも含まれる。

霊視でまぶたの裏に視るものの中には、守護存在が見せる「守護存在からのアドバイス」もあります。

しかし、そうでないものもたくさん視えているのです。

まぶたの裏に視るものの中には、当人の妄想・願望や、イメージもあります。


しかし、どれが守護存在からのアドバイスで、どれが当人の妄想やイメージによるものであるかを見極めるのは、無理です。

本来、チャネリングを奉仕として行っていた古代の巫女たちは、霊視で視えたものを逐一、隣で見守る審神者(さにわ)に報告していました。

「今私は、私が女王になる映像を視ました」などと報告するのです。さにわはそれに対して、逐一ペンジュラムを回します。それが守護存在からのアドバイスなのか、彼女の妄想にすぎないのかを、切り分けるのです。

そして、守護存在からのアドバイスと言えるものだけを、大衆や依頼者に報告したのです。



鑑定をしている霊能者・チャネラーの霊視は、当人の妄想も多い。

プロで鑑定を受け付けている霊能者・チャネラーの霊視も、注意が必要です。

プロとしてお金をとっている人々も、霊視でまぶたの裏に視るものは、当人の妄想や願望、イメージが多いのです。そしてその霊能者は、どれが自分の妄想で、どれが守護存在からのアドバイスなのか、見分けがついていません。自分の妄想が混じっていることすら、理解していない人ばかりです。


ですから、電話占いのサイトなどで霊能鑑定を依頼する場合、霊視を扱う鑑定者は選ばないほうがよいです。



大地震の映像を視た!と警鐘する人の予知はあてにならない。

未来予知、地震予知などを行い、それを情報発信する人がいます。

しかし、彼らがまぶたの裏に視た地震や天変地異異の映像は、守護存在からのアドバイスではないのです。彼らの妄想です。

だから、地震予知の大半は当たらないというわけです。

ごくまれに地震予知の騒ぎが当たることがありますが、あちこちで無数の人が地震のビジョンを視ていれば、その直後に地震が起こることもあります。すると皆は、「予知が当たった」と思い込んでしまうのです。実際にはそれは、予知ではありません。単なる偶然です。


基本的に守護存在は、霊視によって天変地異を警鐘することはないです。



霊視は、「サイキックではある」が「チャネリングではない」と考えて。

霊視は、神秘現象の1つです。誰でも使えるものではなく、サイキック能力の発達によって行えるようになるものです。

そのため、「霊視はサイキックである」とは言えるわけなのですが、「チャネリングではない」と考えましょう。

チャネリング(守護存在からのアドバイス)であることもありますが、そうでないことも多く、どちらなのかはわからないので、あまり真に受けないほうが良いです。


また、霊視というのは、サイキック能力の中でもレベルの低いものです。サイキック能力(第6チャクラ)が発達すると、霊視は影をひそめ、霊聴が開いてきます。そしてさらにサイキック能力(第6チャクラ)の優れる人は、霊聴すらかげをひそめます。まぶたの裏に青白いモヤモヤとした光を視るようになります。


霊視はあまりあてにならず、霊視を扱う霊能者・チャネラーはあまりあてにならないことを覚えておいてください。



霊聴も、低級霊からのものもある!

厳密に言えば、霊聴にも同じことが言えます。

霊聴でもたらされる声には、低級霊がささやいているものもあります。「私はガイド霊です」と言っていても、低級霊がなりすましていることもあります。

どのみち、チャネリングをするならば、審神者(さにわ)の能力のある人にチェックをしてもらうべきなのです。


「さにわをつけるべきです」ということを、私や匿名希望さんは何年も前から警鐘してきましたが、それを実践するサイキッカーはほとんど皆無です。

なぜなのでしょうか?

サイキッカーのほとんどは、自分がサイキッカーであることにうぬぼれ、それによって富や名声を得たいのです。欲を満たすことに盲目してしまいます。

スピリチュアルの真実をきちんと学ぼうともせず、中途半端な能力で商業活動することに夢中なのです。



霊視を誇示しているスピリチュアリストは、無知です。

話題の霊能者を見つけたとき、「この人は本物だろうか?」とあなたは気になり、検索をしたりクチコミを探したりするでしょう。

しかし、彼女がどれだけ評判の人物であろうとも、霊視の能力を誇示しているようなスピリチュアリストは、誰もが無知です。あまり優れた人ではありません。

霊的な知識についてそこそこ広く漁ったなら、霊視が初歩的なサイキックにすぎないことはわかるはずなのです。また、卑弥呼や過去の神職者たちが、霊視したものをサニワに審判してもらっていたことも知るはずです。

霊的な理解に長けたスピリチュアリストは、「霊視でチャネリングセッションなどしようとはしなくなる」のです。

霊的な理解に長けたスピリチュアリストは、「霊視で視たものをブログで情報発信などしなくなる」のです。


すると逆説的に言って、霊視を誇示しているスピリチュアリストは、誰もがレベルが低いのです。相談者としてあてになりませんし、知識をもらう相手としてあてになりません。


「透視」「霊感占い」なども霊視と同じものを指していることが多いです。

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