スピリチュアルな理想を目指して、自給自足エコヴィレッジのような暮らしを目指す人が、少なからずいることでしょう。
スコットランドのフィンドホーンや、ロシアのアナスタシアの暮らしに触発され、自然に包まれた心豊かな暮らしに憧れ、そのために都会を離れます。
自給自足志望者が最終的に導かれるのは沖縄です。
日本のあちこちで、自給自足の暮らしを模索する人々がいますが、本州・四国・九州・北海道・その付近の離島で自給自足を目指す人々は、まだ霊的には目覚めていません。良い感性を持っていますが、彼等はまだ途上です。
モナドレベルの守護存在と連携をとり、霊的に完全に目覚めた人は、本州や九州ではエコヴィレッジ造りをしないです。
完全に目覚めた人は、沖縄に導かれるでしょう。そして沖縄でそれをやろうとするはずです。
沖縄でエコヴィレッジをする人が皆、霊的に目覚めているというわけでは、ありません。
少なくとも、沖縄以外の場所でエコヴィレッジをやろうとする人は、まだ目覚めてはいない、ということです。
自給自足の目的を理解したなら、沖縄以外に選択肢はない。
ガイド霊に示唆を受けてエコヴィレッジなどやるなら、「沖縄に行きましょう」と具体的に言われます。そうでない場所で取り組んでいるなら、ガイド霊からそうした示唆を受ける器には達していないということです。
また、ガイド霊の示唆を受けなくても自分の感性でエコヴィレッジを築こうとする人もいるでしょう。
しかし、本当にしっかりとした先見の明を持つなら、沖縄という答えが出るはずなのです。そうでない場所を終の棲家のエコヴィレッジ土壌として選んでいるなら、見識がやや甘いです。
自給自足は、完全アナログでも持続可能な暮らしでなければならない。
なぜ沖縄が良いのでしょうか?
自給自足とは、完全に電気も家電も使えない状況に陥ったとしても皆が暮らしていけるようなものでなければ、意味がないからです。
家電を使ってもよいですが、家電がなくても生きていける環境を確立することがとても大切です。家電に「依存」してはまずいのです。
そのためには、常夏の気候を持っていなければなりません。常夏でなくても良いですが、冬季もエアコン無しでしのげるだけの気温は必要です。
あらゆる文明がそうですが、寒すぎる地に文明を構えると、生き延びるためにどうしても、暖房器具を開発しようと考えます。科学的な考え方をするようになり、火などの道具がやがて自らを傷つけ、滅ぼすようになります。
暖かい地域なら、極端な話、文明の利器は何も要らないのです。シンプルな屋根とシンプルな服があれば身を守ることができます。火も科学もなければ、その誤用で自滅することもありません。
また、どれだけ住民が平和で自立的であったとしても、天変地異で電力などのインフラが破壊されてしまうことは起こりえます。そんなとき、エアコンやストーブに依存する暮らしでは、生きながらえることはできません。
冬に0度を下回るような本州の気候では、人はアセンション的なシンプルな生活を続けていくことはできないのです。
未来永劫、自分たちの子孫が生きながらえていける暮らしを確立しようと思うなら、「暖かい気候」は必須なのです。
寒い地域は、食物を安定的に得ることも困難。
凍えだけの問題ではありません。食物の問題もあります。
温暖な地域では、一年中作物が実ります。極端な話、農業をしなくても、ずっとヤシの実やパイナップルやバナナが実り続けてくれます。すると、暖かい地域に暮らすなら、飢えにおびえる心配はないのです。
これが本州などの寒い地域では、どうでしょうか?
ビニールハウスのような懸命な対策をしないと、寒い時期に食物を確保することはできません。食べ物が、冬も勝手に豊富に原生するということはありません。
生き延びることがとても大変なのです。
人は農業をしたほうが良いのですが、しかし農業に命を懸けないと暮らしていけないというのは、賢い生き方とは言えないです。
極端な話、人は無欲なら、南の島でお金なしで生きていける。
極端な話、人が無欲さを極めるなら、南の島に行きさえすれば、お金がなくとも生きていけるのです。
誰も人のいない緑の原生する地域に、ヤシの木やアボカド、バナナなど見つければよいのです。「ヤシの実とバナナだけでもいいや」という無欲さがあれば、その人はお金を稼がなくても、お金を持っていなくても、食糧を維持し続けられます。
そして風雨に関しても、南の島ならば簡素な掘っ立て小屋でも建てれば生きていけます。本州の人々は家屋に3,000万円も払いますが、本当はそんな高級品がなくても、人は生きていけるのです。
食と家さえ確保できれば、あとはマイペースに土地を開拓し、様々なものの自給自足を試みたり家を美しく飾り付けたりしながら、文明を築いていけます。
アセンション文明の仕組みは意外なほどシンプルで、でもこれを実践するには様々なスキルと聡明さが必要なのです。自然愛が必要なのです。
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