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  • れな

自然農とは?~不耕起、無農薬の、宇宙のリズムに即した農業だが・・・~

スピリチュアリストの中には、自然農に憧れている人も多いことでしょう。



自然農とは?川口由一さんによって提唱された、耕さない農業のこと。

自然農とは、「耕さず」「肥料、農薬を用いず」「草や虫を敵としない」といった理念に基づく農業手法のことをいいます。川口由一さんによって提唱され、少しずつ形を変えて様々な人々が実践・普及を行っています。

自然農にも様々な流派があり、もはや自然農の定義が何であるかということは曖昧になっています。1つだけ言えることとしては、「極力手をかけないで農作物を育てる」という理念です。

そのため、「ほったらかし農法」などと呼ばれたりもします。



自然農はスピリチュアリストに好まれているが・・・

農業手法の一環であり、スピリチュアリズムとは関係ないように思えますが、「宇宙のリズムに委ねる」という点で考え方がスピリチュアルだと言われています。

実際、スピリチュアリストの中に自然農の実践者が多いのですが、しかし自然農は、アセンテッドマスターや大天使が地球人に対して推奨した農法というわけでもありません。

また、アセンション文明の人々が自然農を実践しているのかといえば、そうではないのです。



自然農には危うい点がある。

スピリチュアリズムの観点から言った場合、自然農には危うい点があります。

厳密には自然農にも様々な流派がありますが、「ほったらかし農法」とも言われるように、「ほとんど農作業をせずに収穫を得る」ということを理念にするものが多いためです。

これは画期的で素晴らしいことだとは言えるのですが、しかし、人間の性質上、努力を要さずに無条件で食が手に入ってしまうと、その社会は必ず堕落の道に転げ落ちました。「働かないと食べていけない」「戦わないと生きていけない」という危機感は、苦しいものではありますが、しかし人間にとって適度な緊張感と労働意欲、責任感などを生むのです。


たとえば、第二次大戦が終わってから何十年も経過した現代日本人に対して「平和ボケしている」という警告がよく聞かれます。現代日本人は戦うことや生命の危機を知らないため、何か問題が起こっても解決のために立ち上がろうとはせず(立ち上がり方を知らず)、努力もせず、危機感もない人が多いのです。

そのため日本は、政治家がどんなに横暴な制度を制定しても、抵抗せずに為すがままになってしまいます。チカンをされても泣き寝入りし、マルチ商法に騙されても泣き寝入りします。

たとえば、勉強がゆるくなった「ゆとり世代」は、社会に出たときにやる気もなく忍耐力もなく社会マナーもなく、ろくな戦力にならない、と揶揄されることが多いです。これは、学校生活の中で課される義務(勉強など)が少ないために緊張感や戦う力が育っていないのです。「頑張らなくても認められる」といった環境で育ってきた彼らは、自発的に頑張ったり自発的により良い方法を模索したりする力が弱いのです。


これと同じことが、自然農が一般化したあとの社会でも起こりえます。

「労働をしなくても食べていける・暮らしていける」という環境に大衆が浸かり続けると、人のために何かをする、社会を造るために協力する、といったことの出来ない人が続出するでしょう。たとえば若い世代は、町内会やマンション自治会のための協力をあまりしませんが、それと同じようなことが社会規模で起こるのです。

これは、社会全体の堕落を誘引します。



アセンション文明では、あえて農業に多くの手をかける。

そのためアセンション文明・五次元文明では、「ほったらかし農法」のようなことはしません。

アセンション文明では、私たちの社会ほど長時間労働はしませんし、労働こそが生活の中心だというような考え方はしません。が、しかし誰もが1日4時間くらいは労働を行います。農業に限ったことではなく、大工や手工業であったりもしますが、とにかく筋肉を使って汗水を流すのです。それによって、体力と心のハリを保っています。



他の労働に汗を流すなら良いのだが・・・

つまり、農業を「ほったらかし農法」で行うとしても、それ以外の部分で労働めいたことを行い、体力を使ったり社会貢献の心を保ったりできるならそれでもかまわないのですが、「ほったらかし農法」をやりたがる人の多くは、農業以外のことでも苦労を嫌う傾向にあり、努力や社会貢献をしなくなってしまいがちなので、とても危険なのです。

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