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  • れな

罪悪感やカルマがあるなら。(奉仕とは?)

スピリチュアルな探求に熱心な人には、その動機が「罪悪感」にある人がいるでしょう。過去の悪行や怠惰、快楽への堕落に罪悪感を感じ、悔い改めたいと願うのです。

または過去の愚かな言動が「負のカルマ」であると理解し、「カルマを清算したい」と考えます。



奉仕をする前に、迷惑をかけた人に恩返しをすべき。

罪悪感やカルマのある人は、「奉仕をしてカルマの帳消しをしよう」と考える人が多いようです。

奉仕の取り組みは大切なことですが、しかしその前にまだ、やるべきことがあります。


罪悪感の要因は何ですか?

迷惑をかけた人、お世話になったままの人がいるなら、まずは「その人に」恩返しをすべきです。

それが道理というものですし、迷惑をかけたその人は、あなたが恩返しをしないと報われないままで辛い思いをし続ける可能性が高いです。天使が都合よく彼にお金を降らせたりはしません。「笠じぞう」のような神秘は起きないのです。

あなたのせいで彼はケガをしてしまったのですか?彼がお金を稼げなくなったのなら、あなたは甚大な償いをする必要があります!そうでしょう?

教会に言って懺悔をすれば済むという問題ではありません!

滝修行に行って苦痛を浴びれば済むという問題ではありません!



お金を払うのが無難です。

あなたが彼に恩返しをしたいと申し出たとき、彼は「要らない」と言うかもしれません。

しかし、要らないというよりも、「これ以上あなたと関わるのは勘弁してくれ」と思っている可能性が高いです。

ですから、「要らない」と言われても、恩返しはすべきだと考えましょう。


彼に迷惑にならない恩返しの形を考えましょう。

お金を払うのが無難です。

封筒にお金を入れて彼の家に送れば、彼に手間をかけさせず、あなたの顔を見せずに、恩返しが可能です。

お詫びの言葉とともに、「返信は不要です」と書き添えましょう。



恩返しの内容を勝手に決めないこと!

恩返しをしようと考える人の中には、その恩返しの内容を自分で決めこむ人が少なくありません。「彼の家まで行って謝罪したい」とか、「芸術品を作って贈りたい」とか、「仕事をあっせんしてあげよう」とか、そうしたことです。

しかし、あなたの考える恩返しが、彼にとってはますます負担・苦痛になるかもしれないことを考慮すべきです!


あなたがしたいことをやって、あなたは気持ちいいかもしれませんが、それは恩返しになっていないかもしれないのです。彼にさらなる迷惑をかけるかもしれないのです。

人に迷惑をかける人というのは、こうした視野に欠ける人が多いものです。

その狭い視野も改めましょう。独りよがりな性格も改めましょう。


あなたのしたいことを押し通すのは、恩返しではないのです。それは「わがまま」です。お金や労力がかかっているとしても。



あなたの中に罪悪感が残っているなら、まだ何かをすべきでしょう。

たとえば、あなたが誰かの家の窓ガラスを割ってしまったとして、修復代の10万円を払ったなら、恩返しは済んだとみなされます。

しかし、それでもまだあなたの中に罪悪感やモヤモヤしたものが残っているなら、まだ何か、恩返しをすべきでしょう。

法律や社会は、「窓ガラスの補修費用は10万円だから払うべきは10万円だ」と言います。

しかし実際問題として、窓ガラスを割られた側は、もっと大きな損害や苦痛をこうむっているものです。時間、金銭、感情、思い出・・・様々な損害をそれ以上にこうむっているのです。


人の想像力は、なんとなくそうしたことを察し、理屈としての代金を弁償しても、まだ罪悪感やモヤモヤが残ったりもします。

またはあなたのガイド霊が、あなたがモヤモヤするように心身に処置したりします。「もっと謝罪すべき」という示唆です。



相手に返せないときには、他の還元方法を考えましょう。

たとえば、迷惑をかけた親はもう死んでしまった、そのようなケースでは、迷惑をかけた相手に恩返しができなくなります。その場合、恩返しは違う人に向ければよいです。


福祉活動をしている団体や、奉仕的な活動をしている人に、募金をするとよいです。


このとき、ユニセフのような大きな団体は避けるべきです。有名なものであっても、大きな団体はお金をどう使っているか定かではありません。募金の多くは仲介団体の管理職者がせしめており、つまり慈善に使われていないのです。NPO法人、福祉法人を名乗っていても、信頼はできません。


大きな寺社に募金するのも不毛です。それはその寺社の神職者が私腹を肥やすことになるだけです。大型テレビや風俗を買うことに用いられます。

もっと小規模な人・団体を選んで募金するほうがよいです。

あまりお金を持っていない人に募金するほうがよいです。



奉仕は意外と難しい。ボランティアとは異なる。

「奉仕をしよう」と意気込むのは良いことです。

しかし実際問題として、「奉仕」とは意外と難しいものです。


霊的な定義における「奉仕」とは、ボランティアとは異なります。

ボランティアは、無償で何かを施せば、それで成立します。犬の好きな人が、犬の世話を1日引き受けるだけでも、ボランティアと認められ、人から賞賛されます。自分の好きなことばかり、気の向いたときにやっているだけでも、ボランティアは成立します。


しかし奉仕とは、ただの無償活動のことではありません。

霊的真理における奉仕とは、


  • 身を粉にするほどの献身を

  • 10年以上に渡って継続し

  • 財産の大半を投げ打つことすらいとわない

  • 献身の内容にこだわらない


このような行動を指します。

マザーテレサのように人生を投げ打って病院を建て、病人ケガ人の看病に献身を捧げる、それくらいの行為を指します。



つまり、実は「奉仕」をしている人などほとんどいない・・・

霊的真理における「奉仕」がどのようなものか、わかりましたか?

非常に難しいものなのです。

つまり、実のところ、本当の意味での「奉仕」を行っている人など、現代の地球にはほとんど皆無なのです。


「善行」を行っている人は大勢いますが、大半は自分の好きなジャンルのことを無償で行っているだけです。動物愛護も、環境保護も、災害救助も、大半は「奉仕」には至っていないのです。


世界の富裕者には、1億円などという莫大な資産を寄付する人がいますが、彼らも「奉仕」にはなっていません。1億円という巨額でも、資産の数%に過ぎないのがもっぱらです。それは「奉仕」ではありません。また、巨額寄付の多くは売名行為の意図があり、その場合彼のガイド霊は、「善行」だとすら定義しません。

よくネットニュースのコメント欄などでは、「売名行為だろうと寄付するのは善行だ」と擁護されていますが、寄付者の心の中に売名的な思いがあるなら、ガイド霊から見ればそれは善行ですらないのです。完全な偽善であり、卑しい行為です。

売名動機の寄付は、広告費と同じようなものです。


世の中には、全財産が30万円しかないのに、25万円を貧困者に寄付する人がいます。「自分が困ったら草でも食べてしのげばいいや」と考えて、惜しみなく寄付するのです。そして、その寄付行為を誰にも言いません。

このような人間が、本当に実在するのです。

このような人が、「奉仕の精神がある」のです。



奉仕をするには、すべての色のオーラを高める必要がある。

ガイド霊から「奉仕」と認められるには、「どんなジャンルの献身でも文句を言わず行う」必要があります。このためには、実質的に、虹の7色すべてのオーラのスキルを一通り持っている必要があります。

「奉仕」は6次元(ヴァイオレット)の色で、他の虹色の上にある次元なのはこのためです。

特定のジャンルで特定の期間だけボランティアするなら、それは1次元の人でも出来ます。誰かに得意な料理を振る舞うだけでもそれはボランティアになります。しかし、「奉仕」にはなりません。


ひととおりのスキルや感性を持たずして「奉仕」を行おうとしても、人の足を引っ張ってしまったり、むしろ迷惑をかけてしまったりします。

途中で嫌になって投げ出してしまったりします。


負のカルマは、生きている間に解消することも可能ではあるのですが、そのためには7次元に匹敵するほどの高い総合力をまずは培う必要があります。奉仕の下準備のために、莫大な努力が要るのです。

そこでようやく、奉仕が「始められる」のです。



「カルマを解消したい」という動機では奉仕にならない。

「負のカルマを解消したい」「地獄に落ちたくない」といった動機から無償献身に打ち込んでも、それは「奉仕」になりません。

「解消のための償い」であれば、それは対価労働のようなものです。

または、ただの償い行為にすぎません。

「天国に行きたいから」なのであれば、それは欲望や好奇心に基づいて準備をしているだけです。



快楽を卒業している必要がある。

「真の奉仕」が、気の遠くなるような難易度の高いものだと、おわかりいただけたでしょう。

「そんなのは誰にも無理だ!」とあなたは思ったかもしれません。

しかし、達観したある種の人にとっては、「奉仕しているほうが自然」なのです。


多くの人が「奉仕など難しい!」と思うのは、時間をもっと他のことに使いたいからです。テレビゲームがしたい、ドラマが見たい、恋愛がしたい、街をぶらつきたい、エレキギターを弾いていたい、スポーツがしたい、マンガを描いていたい・・・といったことです。

または、ブランド品や家電や風俗を買うために、お金稼ぎに時間・労力を割きたいのです。

肩書きや名誉のために、仕事人間でありたいのです。

すると、ほとんどの人にとって、無償奉仕をしたい時間などほんの少ししかありません。


しかし、快楽を卒業し、芸術や仕事など自己充足をも打ち込みきった人にとっては、どうしてもやりたいことなどこれといって無いため、「食事と睡眠以外は奉仕活動でいいよ」と思えてしまうのです。そうなりうるのです。



多くの人にとって、「奉仕をしよう!」と意気込んでも、それは「中途半端な自己満足」にすぎず、人のためにあまりなっていなかったり、ガイド霊にも評価されないものになってしまいます。そればかりか、仕事や義務からの逃避になってしまったりします。

奉仕をする前に、すべてのオーラを70点くらいに高めましょう。

カルマの解消をしたいなら、奉仕するのではなく迷惑をかけた人に償いをしましょう。

償いをするために、賃金労働をがんばったりしましょう。

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