神秘現象とは?霊的存在が起こしている超常現象。
神秘現象とは、非科学的な超常現象の中でも、霊的存在が起こしていると考えられる現象のことを指します。心霊現象とほぼ同義語です。
神秘現象は一般的に、《物理的神秘現象》と《精神的神秘現象》の2つに大別されます。
《物理的神秘現象》とは、観測可能な超常現象。
《物理的神秘現象》とは、霊的存在の介入によって物理的な、そして観測可能な作用が起こるものを指します。
ラップ現象、ポルターガイスト現象、自動筆記(自動書記、直接書記)、ペンジュラム、念写、心霊写真、こっくりさん、ぬいぐるみがしゃべる、などが挙げられます。
《精神的神秘現象》とは、霊的存在からメッセージを受け取るもの。
《精神的神秘現象》とは、霊的存在からメッセージを受け取るものを指します。
チャネリング、霊媒、霊視、霊聴、口寄せ、自動筆記(自動書記、直接書記)などが挙げられます。
ただし、霊視で視た映像をすべて《霊的存在からのメッセージ》と解釈するのは誤りです。
霊感の強い人ほど神秘現象を目撃しやすく、自ら体験しやすい。
神秘現象について、その存在を確信している人と疑う人がいますが、その差は主に霊感の強さにあります。
霊感の強い人ほど神秘現象を目撃しやすく、それどころか自分自身が霊視やチャネリングなどの神秘現象を実体験するので、疑う余地が皆無になるほどの確信を得ます。しかし霊感の乏しい人はテレビや人づてでしか見聞きすることがないため、他人の作り話やかんちがいだろうと感じやすいのです。
神秘現象には、作り話やトリック、嘘、誇張も多い。
神秘現象には実際、作り話やトリック、嘘、誇張も多いため、すべての神秘現象のエピソードを真に受けるのは危険です。
たとえば、キリスト教聖書に書かれているイエス・キリストの起こした超常現象も、作り話が多いのです。他にも、手のひらから金粉が出るなどという物質化現象やテレポーテーション(瞬間移動)の逸話は、ほとんどが作り話やトリックです。
サイババが手のひらから金粉を出した、テレポーテーションしたというのも嘘です。
神秘現象を起こせるからといって善人とは限らず、偉人とも言えない。
神秘現象を披露する人は、大衆から賞賛される傾向にありますが、神秘現象を起こせるからといって善人とは限らず、偉人とも言えません。
スピリチュアル好きな人の多くは、神秘現象を起こして見せる人に酔いしれてしまいます!気を付けてください!
精神性の高い人ほど、己れの神秘現象を無暗に他人には披露しない。
逆を言えば、「手のひらから金粉を出す」「自動筆記をしてみせる」などといった神秘現象を他者に披露しようとする人は、ただ名声やお金が得たいだけの精神性の低い人です。彼がどんなに異質な能力を披露したとしても、崇拝すべきではありません。
意識レベルの高い人(精神的に優秀な人)ほど、己れの神秘現象を無暗に他人には披露しませんし、自慢や吹聴もしません。
チャネリングは努力次第で誰でも習得が可能。
神秘現象には、霊的存在が勝手に起こすものと自分で主体的に行えるものがありますが、自分で主体的に行えるもの、たとえばチャネリングなどについては、努力次第で誰でも体得が可能です。
いわゆるサイキック能力と呼ばれるものは、第6チャクラ(第3の目)を活性化さることで表出します。そして第6チャクラを活性化させるには、座禅瞑想を継続して行うだけで可能なのです。ある意味では非常に簡単なのです。(その継続こそが多くの人にとっては難しいのですが・・・。)
ただし、第6チャクラを活性化させることで体得できるサイキック能力には、生まれつきの個人差があります。多くの人は、どんなに頑張っても霊視や霊聴しか芽生えません。
遠隔操作、催眠術などといったものは、特定の人しか扱えないのです。
特殊なサイキック能力を持つから偉人というわけではない。
そうした特殊なサイキックを扱える人が偉人だというわけではありません。
彼らは単純に、今生においてサイキックに特化する人生をプランニングしてきただけです。そしてその人生で達成すべきこととは、そうした特殊なサイキックを見せびらかすことではなく、それでお金儲けをすることでもないのです。「名声欲に溺れずに誠実に生きる」という、ひっかけのような課題を掲げて生まれてきています。
そして、そうした特殊なサイキック能力を持つ人の99%は、そのひっかけにまんまと引っかかり、つまり名声欲に溺れて不誠実な人生を送ってしまいます。彼らはまた、次の転生でも同じような人生を100年かけてやり直すのです・・・。
生まれつき霊視や霊聴が発達している人も、同じ「ひっかけ」の課題を持っています。現代のチャネラーにはとても多いですね。
「魔法に溺れてはならぬ。魔法に頼ってはならぬ。努力を怠らないように。」
魔法使いの出てくる映画や小説にはよく、優秀な隠居の老人が出てきます。
彼らは偉大な魔法を使えますが、しかし魔法を使おうとはしません。そして主人公に対して「魔法に溺れてはならぬ。魔法に頼ってはならぬ。努力を怠らないように。」と諭します。本当に偉大なサイキッカーというのは、このような所作をするのです。
つまり、神秘現象やサイキック能力に対して、無暗やたらに羨望したり褒めたりすることは控えましょう。ワクワクしたり憧れたりする気持ちはわかりますが、快楽のためにあるものではないのです。
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