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  • れな

神社やお寺で不思議な体験をした。これは気のせい?

寺社仏閣に訪れたとき、何者かの声を聞いたり体がクラクラしたりなど、不思議な体験をすることがあります。

しかし、「でも気のせいではないか」と猜疑心を抱き続ける人もいるでしょう。



大抵は、本当に不思議な体験が起きている。

寺社仏閣の類で「不思議な体験をした」と感じたとき、大抵は本当に神秘体験をしています。

神秘体験はそう珍しいことではなく、難しいことでもありません。


特に、「何者かの声を聞いた」と感じたなら、霊聴を体験しているでしょう。

それはひょっとすると、境内の前で人格神(天照大神など)の声を聞くケースよりも、ご神木やご神石の前で木や石の声を聞くケースのほうが多いくらいです。「神社で不思議体験をすることはあるとしても、まさか木が話しかけたなどというのはさすがに私の思い込みだろう」という気持ちはわかりますが、天照大神に話しかけられるよりもむしろ、木や石に話しかけられることのほうが多いです。



「心が洗われた気持ち」「浄化された気がする」はただの思い込み。

パワースポット好きなスピリチュアリストなどがよく、ブログや書籍で、「〇〇神社に行きましたがやはり荘厳な空気でした!心が洗われた気持ちです!」と絶賛していたりします。

スピリチュアル系のニュース記事のリポーターが「浄化された気がします」などと絶賛しています。

こうした曖昧な感動は、神秘体験をしたわけではなく、「思い込み」です。


過剰神秘主義な人々は、寺社仏閣やパワースポット、景勝地などで感動すると、「浄化された気持ち」などと神秘的な形容をしたがるのです。神秘的なことが起きたと思い込みたがるのです。


寺社仏閣やパワースポットに行っても、別に心は洗われませんし、浄化されもしません。

カルマが消えたりしません。辛い過去の記憶が消えたりもしません。


滝行を行っても、浄化はされません。

高額なお金を払って祈祷を受けても、浄化はされません。



霊聴などを体験しても、別にその場が特別な場所というわけではない。

誰かが寺社仏閣で霊聴、霊視などを体験すると、「この〇〇神社はすごい場所だ!!」とその地自体を神格化して吹聴する人が多いです。

しかし、ほとんどの場合それはかんちがいです。


霊聴や神秘体験が起きたとしても、そこが崇高な場所というわけではないのです。

霊聴や神秘体験を起こした守護存在は、「神社などの霊的な場で不思議なことを起こせば、それが神秘体験だと気づいてもらえやすいだろう」と考えるのです。


スピリチュアルブロガーの誰誰さんはそこで神秘体験をしたかもしれませんが、あなたがそこで神秘体験をするとはかぎりません。

あなたの場合、近所の無名なお寺に行くだけでもご神木が語りかけてくるかもしれないのです。

お寺ですらなく、公園の木が語り掛けてくるかもしれないのです。



「遠い場所」のほうが神秘体験をしやすい。

「霊聴で天啓を聞いた!」といった派手な神秘体験は、家から遠いところにある寺社仏閣のほうが得やすいです。

わざわざ遠いところまで旅をしに行った、というその行動に呼応して起きやすいのです。

たとえば、東京に住んでいる人にとっては出雲大社で神秘体験をするとしても、島根県に住んでいる人は出雲大社参拝に大した価値がないことが多いです。島根県に住んでいる人にとっては明治神宮に赴くほうが神秘体験をしやすいわけです。

別に明治神宮である必要もなく、東京(遠方)の名もない神社でも同じです。



「体がポカポカする」という神秘体験も。

体全体がポカポカする、手や体の一部がポカポカする、といったことも寺社仏閣やパワースポットでは体験しやすいです。これも「気のせいかな」と思ってしやすいものですが、実際に体験することは多いです。

レイキで感じるとポカポカと同種のもので、不可視のエネルギーを感じています。


これについては、その土地が実際に濃密なエネルギーを持っている場合に起きやすいです。

中身のない寺社で起こることはあまりないでしょう。

たとえば、京都の鞍馬山、沖縄の斎場御嶽(せーふぁうたき)、エジプトのギザのピラミッドなどは、強烈な熱感を体験しやすいです。霊触がない人はこれらの場所でも何も感じず、その地で霊的な仕事をしていても、何も感じ取っていない人もいます。


しかし、土地に何もない場所でも、「体がポカポカする」を体験することはあります。

守護存在たちがあなたの体を包み込むようにすることで、こうした霊触は簡単に起こせます。寺社仏閣である必要すらないのです。



「境内の前」よりもご神木で神秘体験をする人のほうが、良い感性をしています。

境内の前や、人格神を祀った物体の前で神秘体験をする人よりも、ご神木やその他の木の前で神秘体験をする人のほうが、良い感性をしています。

神秘主義的な人は、境内の前で神秘体験をしやすいです。盲目的な人は、人格神にまつわるものの前で神秘体験をしやすいです。そのほうが説得力があるからです。

しかし、ロイヤルブルーが高くて神頼み的な依存心の低い人は、ご神木やその他の木、自然の前で神秘体験をすることが多いです。

天照大神よりもご神木のほうが格下に思えますが、あなたのほうが高い精神を持っています。



特にメッセージがないこともある。

寺社仏閣で神秘体験をしても、「霊聴を聞いたが、何を言っているのかよくわからない」「内容がくだらないことで拍子抜け」といったことあります。

しかし、それにも意味があるのです。

「霊視、霊聴、神秘体験が本当にあるのだよ」ということを、ガイド霊はあなたに気づかせたいのです。こうした「霊的視点への気づき」を促したいだけで、特にあれせよこれせよという伝言がないこともあります。



低級霊にそそのかされることもある!

格調高い寺社仏閣で霊聴を聞いたとしても、それが天照大神や大天使を名乗っていたとしても、「低級霊のそそのかし」であることもあります。

特に、スピリチュアル商売に励んでいる人などには多いです。本人は低級霊だと気づいていません。

「テラに愛されていることの喜びを感じてください」「人類に愛を注いでください」などと、あちこちで見かけるような言葉を投げかけられているなら、それはまず間違いなく低級霊です。あちこちのチャネリング本で何度も見てきたような曖昧なことを、わざわざ守護存在が個別に告げる必要はありません。

かといって、「どこどこで何々をせよ」といった具体的な内容でも、低級霊のそそのかしであることがあります。


スピリチュアルな商売もせず、神頼みの依存心も薄い人に対して、低級霊がそそのかすことはまずありません。れなのコラムを好んで読むような人が、寺社で低級霊にそそのかされることはまずないでしょう。



寺社仏閣で神秘体験をするのは一部の偉人だけ、と思っている人が多いかもしれませんが、そんなことはありません。ある種、誰でも体験しうるものです。

どこかのブロガーが、「〇〇神社で神に語り掛けられた!」などと書いていても、別にその人がすごいわけではないのです。

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