top of page
れな

献身的に生きる女性は、妊娠しないです。

妊娠は一般的に、「おめでたいこと」と言われています。知人や芸能人の妊娠を、「おめでとう!」と言って笑顔で祝福します。

しかしその反面、妊娠を望んでいない人、喜んでいない人もいることでしょう。そうです。妊娠して子供を持つことは、とても大変なことですから。

あなたが妊娠を望まないなら、妊娠をしない人生を過ごしてもよいのです。それを望むだけでは、うまくいきませんが・・・。



妊娠とは基本的に、「怠惰のカルマ」である。

妊娠は、霊的真理の側面から言えば、おめでたいことではありません。

妊娠とは基本的に、「怠惰のカルマ」なのです。

怠惰に生きている女性が、その戒めとして子供を身ごもるのです。1年近くにも及ぶ妊婦生活は懲罰の意味合いがあり、出産における地獄のような苦しみも懲罰です。

そして、手取り足取り尽くさなければならない子育てというのも、怠惰に対する懲罰なのです。



妊娠(受精)は、守護存在が介入している。

「子は神からの授かりもの」という言葉がありますが、あながち間違っていません。妊娠(受精)はランダムに起きるものではなく、ある程度、霊的存在たちの介入があります。彼らはペンジュラムを回す程度に物質世界に働きかけられますから、膣内の精子を動かすことも、ある程度は可能です。

「この人は妊娠すべきだ」という状況になったとき、その人の守護天使は精子を上手く動かし、卵子に導いて受精をさせます。

「妊娠すべきでない」と判断するとき、いくら避妊をせずにセックスしても、守護天使が精子を動かして賢明に受精を食い止めます。

まぁ、中出しばかりしている男女は、妊娠すべきでないと判断されることはまず無いですが。

(中出ししてはいけない、というわけではありません。必ず避妊しなければならないといわけでもありません。)


守護天使は妊娠をコントロールできますが、その精度は100パーセントではありません。あまりに多くの精子が流れこめば受精を食い止められないことがありますし、量が少なくとも受精を食い止められないこともあります。

ですから、やはり人間の側で避妊を気遣っておくことは大切です。



献身的に生きる女性を、守護存在は妊娠させない。

では、どのような女性に対して「妊娠すべきでない」と判断するのでしょうか?

それは、「献身的な女性」です。

人に対して献身的に生きている女性は、妊娠によって苦痛をこうむる必要がありません。それに、彼女の献身を妊娠によって邪魔するのは気の毒です。

献身的に生きている女性は、「怠惰のカルマ」が無いですから、妊娠・出産・子育てによって苦痛をこうむる必要はないのです。

どのような女性が「献身的」と判断されるのでしょうか?


たとえば、自治会の役員などしていつも地元のために動いている人などが典型的な例です。

低いお給料で非常に社会的意義ある仕事をしている人も、献身的とみなされます。よく働いていても高給を稼いでいる人は献身とはみなされず、サービス残業に勤しんでいてもそれが不誠実な事業なら、やはり献身とはみなされません。

また、奉仕的な男性に対して尽くす恋愛をする女性も献身的とみなされ、妊娠しないです。優秀なピュア・インディゴ男性、「オールドソウル」男性と交際し、彼の取り組みを助けている女性などは、妊娠しないことが多いです。



ほとんどの女性は、恋愛することで怠惰になってしまう。

恋愛とは本来、互いに愛し合い、尽くしあうものですが、地球における恋愛はもっぱら、「女性が男性に尽くされるもの」です。そのため、交際をする女性はほとんどが、怠惰になってしまいます。欲深くなります。

自分でがんばるべきことを怠け、彼氏にやってもらおうとします。それは怠惰です。



妊娠出産によって、「楽したい」という目論見は崩れ去る。

女性たちは、彼氏を手に入れることで人生が楽になると目論見ます。結婚すれば扶養してもらえ、死ぬまで楽になると目論見ます。

しかし妊娠し出産し子供が生まれると、その目論見は崩れ去ります。

毎晩のように夜泣きに付き合わされて不眠の日々を過ごし、人の排泄物の世話までしなければなりません。彼氏のペニスを愛撫するよりも、大便の処理のほうがずっと苦痛です。

子供のわがままに20年間も翻弄され続けます。子供の借金を肩代わりし続けます。


自発的に献身に生きていたほうが、女性の人生はずっと楽なのです。

あなたが献身する相手は、自分で眠れますし、自分で排泄もできますから。「ビックリマンチョコを30個買って」、などと不愉快なことも言いません。



「親になるべき」という賛美は幻想にすぎない。

自己啓発系の書物などでは、「親になることで愛情を悟ります。それはとても有意義で素晴らしいことです!」と説きます。そして親になった人々を賛美します。しかし、それは幻想です。

献身的な女性は妊娠しないわけなのですが、つまり、献身的な人というのは、親にならなくとも「尽くす愛」「献身する慈愛」に目覚めている人なのです。強要されなくてもそれに気づけているのですから、そのほうがずっと立派です。


別に、親にならなくとも母性愛や献身、慈愛は悟れます。

別に、親にならなくとも母性愛や献身、慈愛は体験することができます。



「怠惰のカルマ」でない妊娠もある。

ごく稀にですが、怠惰であったわけでないのに妊娠する人もいます。

それは、母性愛と父性愛のバランスに優れた、精神性の高い女性でしょう。彼女は、子育てを「託された」のです。

優秀な魂を優秀な人間に育てるために、優秀な女性のもとに託されることがあります。

このタイプの親御さんは、4人の子供を授かるケースが多いです。



母親のすべてが怠惰というわけではない。

妊娠は怠惰のカルマの結果ですが、しかし子を持つ女性のすべてが怠惰とは限りません。

子を持つことによって献身性に目覚める人も、いるからです。



優秀な男性を選ぶと、優秀な子供が生まれてくる。

「どのような男性を選んで恋愛・結婚するか」で、生まれてくる子供の魂の精神年齢も変わってきます。

奉仕的・利他的で無欲な男性を選ぶ女性のもとには、「オールドソウル」などの優秀な魂の子が生まれてきます。

その場合、子供はあまりわがままを言わず手を焼かず、子育ての苦しみは少ないでしょう。かといって、親の面倒を見てもらって楽できる、というわけでもありません。こういう子は、社会貢献や自己探求のために進んで外の世界に羽ばたいていきます。

経済力を基準に男性を選ぶ場合、まず間違いなく精神性の低い子が生まれてきます。



妊娠は、女性側のカルマです。

不意の妊娠に遭ったときなど、多くの女性は男性側の責任と考えます。彼がだらしないから妊娠したのだ、と。

しかし、妊娠というのは基本的に、女性側のカルマです。

不可抗力によって、だらしない男性とセックスするようなことがあっても、女性側の精神性が高いなら、妊娠はしません。

合コンに参加して、押し倒されてセックスした場合、不可抗力とは言えません。合コンや新歓コンパなど、快楽的なイベントに参加したのは女性自身の問題です。精神性の高い女性はそのようなものに参加しません。

基本的に、お酒を控えたほうが良いです。


社会的には、不意の妊娠が起きたなら、はらませた男性に扶養の責任など負わせればよいですが、霊的な側面から言えば妊娠した女性自身に問題があったので、反省しましょう。



婚前妊娠に遭うのは、もっぱらだらしない女性です。

婚前妊娠、いわゆる「できちゃった結婚」が起きるのは、もっぱら精神性の低い、だらしない女性です。彼を責める前に、自分のだらしない生活を反省しましょう。

2000年頃からできちゃった結婚がとても増えていますが、それは青年世代の女性たちの精神性がとても下がっているからです。


あなたの娘さんが婚前妊娠に遭った場合、「かわいそうだから助けてあげよう」と考えるのではなく、彼女の怠惰の責任をきちんと背負わせましょう。そのほうが「愛情」です。



子供がまったく生まれなくてもかまわないのです。

妊娠は怠惰のカルマだ、と書きました。

すると、怠惰な女性がいなければ、まったく妊娠が起こらず、子供が増えないことになります。

それでは人口が減少し、国の発展や種の保存に問題が起きるように見えますが、別にそれでよいのです。

人間というのは、必ずしも存続し続けなくてよいのです。

国の人口が減っても、政治家は若者に頼らないインフラを考えだすでしょう。

そして、まったく子供が生まれず日本人という人種が絶滅したとしても、それはそれでかまわないことなのです。何の問題もありません。

どの国、どの人種の人々にせよ、別に絶滅してもかまわないのです。

地球人のすべてが滅びてもかまいません。そうなったら、他の惑星で輪廻転生の続きをするだけです。


最新記事

すべて表示

生まれ持った才能は、過去世で努力したものです。

人を羨ましいと思うことがあるでしょう。 物心つくくらいの年頃からもう、とても頭の良い人や、とてもスポーツの出来る人や、とても芸術の出来る人や、とても可愛らしい人がいます。世の中は平等ではないようで、嘆きたくもなります。 しかし、人の生というものを今生だけと短絡的に考えず、「...

物事の感じ方は変わっていくものです。

人は、成長していくものです。成長しないとしても、変化していくものです。 そして自分が「変化」だと思っているものも、後から客観視してみれば「成長していたな」と感じたりするものです。 求めるものは、ずっと同じではないのです。...

社会性に自信があれば、自由に生きてよいです。

「個性の時代」と言われるようになって久しいですが、しかし他国に比べればまだまだ、日本は「隣にならえ」の文化です。 大学に入るべき、一流企業に勤めるべき、正社員になるべき、結婚して子を持つべき、マイホームを手に入れるべき、といった「普通の立派な人」であることを求められます。...

Comments


bottom of page