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れな

無添加のシャンプーやオーガニックのコスメを徹底したほうがよいの?

スピリチュアリストには環境問題に興味の強い人や、体に良い洗浄剤を使う人も多いです。

やはり体のためには、無添加のシャンプーやオーガニックのコスメを徹底したほうがよいのでしょうか?



無添加にこだわりすぎないほうがよい!

シャンプー、食器用洗剤、コスメ・・・何にせよ、無添加に「こだわりすぎないほうがよい」です。

理由は3つあります。



無添加を徹底しすぎると、体が繊細になりすぎてしまう。

シャンプーなどの日用品で無添加品・オーガニック品にこだわりすぎると、体が繊細になりすぎてしまいます。

レイキを会得することには体が繊細になりすぎるリスクがある、とたびたび書いていますが、それと同じリスクが、無添加品の活用にもあります。

体が繊細になりすぎると、柔軟剤のちょっとした香料で気持ち悪くなって寝込んでしまったり、街の喧噪で頭が痛くなってしまったりします。

虚弱になってしまいますし、仕事や日常生活に支障が出るのです。

これは、トータルで見てあなたの人生に有益ではないため、気を付けたほうがよいです。


たとえば妊娠をすることで無添加品を多用したり薬を飲まなくなったりすると、意図せずこうした繊細さを身に付けてしまうことがあります。

その感性のまま、出産後も無添加品にこだわった生活を続ける人がいますが、それは母親業のワイルドさに耐えるためにも、社会復帰のためにも、良くありません。

また、このような母親は子供に対しても無菌・無添加を徹底しがちです。それは、子供が免疫を獲得する力をそいでしまいます!伝染病や食中毒などにとても弱い子になってしまうのです。

子育てにおいても、殺菌や無添加に「こだわりすぎないほうが良い」のです。



生活費が高騰してしまう。

現状、無添加にこだわった商品はかなり高額です。

たとえば食器洗剤は、普通のものなら128円で買えますが、無添加洗剤は300円くらいはするでしょう。日用品がなんでもこのように2倍、3倍となると、あなたの生活費はとても高騰してしまいます。

生活費が足りなくて、仕事をますますがんばらなくてはならなくなるなら、それは健康にも幸福にもなれません。


本来、大衆が無添加品を選択することで、無添加品が非常に安くなるはずでした。または大衆品のすべてが無添加になるはずでした。しかし日本の商業者たちは、無添加品を高額な値段で売るのです。無添加が、一種のブランドとなってしまっているのです。

こうしたブランド商売が根強く続いているため、まだ無添加製品で徹底するのは厳しいと言えます。



外で生活できなくなってしまう。

無添加品にこだわりすぎていると、家の外で生活できなくなってしまいます。

友達の家に持ちよりパーティにおよばれして、食器を洗おうとしたとき、無添加でない洗剤が置いてあったなら、その人は固まってしまうでしょう。「界面活性剤で手が溶けてしまうわ!」と。

レストランのせっけんも使えない。

ホテルのシャンプーも使えない。

公民館の掃除用具も使えない。

子供を学校に通わせたくない。

と、何も行動ができなくなってしまいます。外に出るのが不安でいっぱいになってしまうか、いつも荷物が大量になってしまいます。または、人と関わることを拒んでしまうでしょう。

いずれにせよ、あなたを不幸にしてしまいます。


また、海外旅行や田舎への旅を計画している人も、繊細になりすぎないほうがよいです。無添加にこだわりすぎないほうがよいです。



人には自己浄化力がある。多少は添加物が入っていても大丈夫。

無添加推奨派の人々やそのメーカーは、市販品の中に配合されている化学物質の1つ1つを神経質に批判します。

しかし、人間には自己浄化力というものがあり、多少は添加物や化学物質、毒物を取り込んだとしても、それを排毒する力があるのです。または、多少体に滞留するとしても、健康に支障が出るほどではありません。

多少は添加物を取り込んでも大丈夫なのです。

大丈夫どころか、上述のように、添加物を排除しすぎると「繊細すぎる」という心身への弊害が出ます。



安いセミ無添加品で充分。

大衆スーパーには、「無添加」と書かれた700円程度の安価なシャンプーもあります。

そのようなものに対して、「無添加ではない!化学物質がたくさん入っている!」と批判・警鐘するエコロジストは多いです。または、そのようなセミ無添加品を使っている人を「浅はかだ」と嘲笑します。

しかし、実際問題としては、そのような「セミ無添加品」で充分です。

非常に安価に買えるうえに、体が繊細になりすぎることも防いでくれます。



レイキを会得しているなら、無添加品をまったく使わなくてもよいくらい。

あなたがレイキを会得しているなら、無添加品などまったく使わなくてもよいくらいです。シャンプーや食器洗剤など、すべて安価な普通のものでも良いです。

レイキが、化学薬品や毒物をある程度中和してくれるからです。レイキ生活を続けることで、無添加品を多用しなくても無添加派の人びとくらいに繊細になります。「柔軟剤って臭いよね」といった話に共感することが出来るでしょう。


言い換えれば、レイキを会得している人はなおさら、無添加品にこだわりすぎないほうがよいです。無添加品も使うけれどそうでないものも使う、といった感じで、ラフに暮らしましょう。繊細になりすぎてしまうからです。

シャンプーはある程度高価なものを使いたいかもしれませんが、洗剤、せっけん類はすべて100円ショップの安価なものでも良いくらいです。レイキを会得している人は、生活用品が安く済むのです。

また、コンビニの安価な菓子パン、冷凍食品など食べてもあまり問題ないです。食したものもレイキが中和してくれます。



シャンプーの香料を「臭い!」と感じても、少し我慢して適応を試みて。

もしあなたが、市販のシャンプーや柔軟剤の人工香料を「臭い!」と感じたとしても、すぐに無香料・無添加のものに総取り換えするのではなく、しばらくは我慢して使ってみましょう。

2週間くらいもすると、適応してくるはずです。臭さがあまり気にならなくなるでしょう。

そうして、一般的な商品も使えるようにしておいたほうがよいです。

たとえば、無香料の柔軟剤も香料入りの柔軟剤も両方使う、というように考えてみてください。



繊細になりすぎると、アセンションは出来ない。

アセンション文明の暮らしを見越して、菜食や重曹そうじなどに取り組むのは良いことです。

しかし、繊細なままでいると、アセンションは困難になります。

アセンションだけでなく、レッドやブルー、ロイヤルブルーのオーラの向上が難しくなります。


たとえば、無添加品を徹底している人が自己成長のために東南アジアに旅に出たら、1日でもうギブアップしてしまうでしょう。

排気ガスや、化学薬品の多い洗剤、砂糖の多い食べ物、雑多な匂いがする道・・・それらに耐えられないからです。


しかしレッドやブルーやロイヤルブルーのオーラを高めるためには、こうした粗雑な環境や粗雑な日用品にも耐えられることが必要です。

東南アジアの旅どころか、沖縄旅行すら苦しいでしょう。

すなわち、田舎暮らしも苦しくなります。

アセンションどころか、東京の高層マンションと駅ビルを行き来することしかできなくなってしまうでしょう。日本のスピリチュアリストにはこのような人が多いです。都会でしか暮らせなくなってしまっています。



無菌・殺菌・除菌にもこだわりすぎないほうがよいです。

特に子育てにおいて、無菌・殺菌・除菌にもこだわりすぎないほうがよいです。

哺乳瓶を、専用の除菌剤で洗浄「しないほうがよい」です。

近所の公園の砂場に猫がたむろしているからといって、砂場で遊ぶのをやめさせないほうがよいです。

菌を避けすぎると、菌への耐性がまるでない子になってしまいます。むしろ、病気になりやすくなってしまいます。

海外旅行で何か食べたら、すぐお腹を壊してしまうでしょう。


人から除菌系の商品を勧められたとき、あなたのお祖母さんに「これは本当に必要?」と尋ねてみてください。お祖母さんくらいの世代の人なら、「適度な除菌」を知っているでしょう。「それは熱湯をかける程度で充分よ」「除菌なんかしなくても病気になりやしないわよ」と、適切なアドバイスをくれるでしょう。

そのとおりにしてあなたやお子さんが病気になったとしても、次は病気にならないでしょう。あなたはそこで、耐性を獲得したのです。

人は本来、このようにして病気に強くなっていくもので、除菌で病気を防ぐのが本来の姿というわけではありません。



クリスタルチルドレンは菌に弱い傾向がありますが、厳密に言えば、クリスタルチルドレンだから弱いわけではありません。クリスタルチルドレンの親御さんは除菌に過保護な傾向にあるからです。

クリスタルチルドレンでも、「オールドソウル」に育てられたりして多少の菌や汚れを浴びながら育つと、菌に強い子になります。東南アジアで屋台の焼きそばを食べても、お腹を壊さないです。


日本人の母親のほとんどは、除菌をしすぎています。

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