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  • れな

本当の意味の「個性」とは?「自分らしく生きる」とは?

「個性を尊重しよう」「自分らしく生きよう」と叫ばれるようになって久しいです。

特に2000年を過ぎた頃から声高に言われるようになり、クリスタル世代たちは本当にマイペースに生きています。

しかし、社会は働き手を失い、崩壊が進んでいるようにも見えますが・・・

「個性」や「自分らしさ」は大切なことなのですが、しかしほとんどの人は、その真意をはきちがえています。この言葉を警鐘する側の人々ですら、間違えてしまっています。



本当の意味での「個性」をオーラで表すと、このような感じ。

(図省略)

スピリチュアリズム(霊的真理)が本来掲げている「個性」「自分らしさ」とは、オーラグラフで言えばこのような感じです。


すべての色で「合格点」に達し、なおかつ自分の得意な色、好きな色においてその上をいく、という感じです。自分の得意でない色においても、アセンションを達成できるレベルには上りつめる、ということが必要なのです。

だからスピリチュアリズムでは、個性云々よりも、「虹の7色をすべて極める」という話をします。「男性性と女性性を統合しよう」と訴えます。

このオーラグラフを見ると、個性というよりも「万能」に見えます。

そうなのです。強烈な個性を発揮する前に、人は万能でなくてはなりません。万能も、目指さなくてはなりません。

なぜか?

そうでないと、社会は円滑に回らないからです。

社会が円滑に回るために、そして個々が自由であるために、ある程度の万能性を誰もが培っている必要があるのです。

しかし現代社会において、このようなオーラグラフを培って生きているのは「オールドソウル」くらいなものです。他の人々は、万能を目指そうとはしません。



現代のアニメやドラマ、社会が掲げる「個性」は、このような感じ。

(図省略)

対して、現代日本のアニメやドラマ、社会派な人々の掲げる「個性的な生き方」「自分らしく」はこんな感じです。


芸術の才能が突出しているなら、この子はそれで良いじゃないか、というような発想です。1つ2つの色が高ければ、あとの色は平均以下でも及第点以下でも良いだろう、という発想です。

青春ドラマやアニメなどでは、このようなオーラ分布の、「一芸はあれども人間的には未熟」な人々が助けあって物事を成し遂げていく、といったテイストのものが多く、誤った「個性」の在り方を助長してしまっています。


スピリチュアリズムでも、自閉症の子などが突出した芸術の才能を見せるなら、その芸術だけやらせていればいいじゃないか、というふうに教えるものが多いですね。しかし、それは霊的真理としては正しくないのです。



一芸だけではなぜダメか?社会が円滑に回らない!

では、なぜ青春ドラマやアニメで描かれるような一芸だけの人柄では、だめなのでしょうか?答えは簡潔です。それでは社会というものが円滑に回らないからです。

たとえば青春ドラマの主人公などは、熱血で運動神経がよく、好奇心からとった行動が結果的に人々の役に立つ、といった傾向がみられます。たしかに彼は大きなことをやってのけますが、しかしその過程で、クラスメイトや親を大いに困らせます。他の問題を起こします。

このように、レッドのオーラが突出しているからといってグリーンのオーラが貧しい人は、何かと問題を起こすのです。そして他人に迷惑をかけます。他人の協力がないと満足に事を為すことができません。

すると、彼のやりたいことのために多くの人が犠牲を強いられます。苦労をし、尻ぬぐいをしなければならなくなります。

それは、健全な社会とは言えないのです。そして彼は、親や親友の存在なしではまともに生活できなくなってしまいます。


私たちの社会でも、「一人前の大人になる」「人様に迷惑をかけない人になる」という言い方をしますが、それは誰にとっても大切なことなのです。必要なことなのです。

まずは、自分で衣食住をまかなえるたくましい人間にならなくてはなりません。いつまでも親に保護されていて良いわけではないのです。

そして、協調性、社会性を培う必要があります。人と協力して物事を進められる人にならなくてはなりません。


たとえば、近年よくみられる、芸術に特化した自閉症の子の例を見てみましょう。

「この子は芸術だけ出来ればよい」という観念で育てると、どうなるでしょうか?

結局、芸術ができても社会性がないと、彼は親から自立して生きていくことはできないのです。親が生計の面倒を見、社会生活の面倒すら見なければなりません。役所に書類をとりにいくことすら、有給休暇をとって手伝わなければならないのです。

生計も立てられないでしょう。素晴らしい絵画の能力を見せても、それだけでは継続して収入を得ていくことはできないでしょう。このような子は大抵、「うちの子は自閉症ですが絵画が天才的なんです!」と親が宣伝することで注目と同情を浴び、一時的に絵がばか売れするだけです。お金は得たかもしれませんが、話題性と同情を引いただけで、生計能力は無いのです。

生計能力というのは、もっと様々なスキルと行動の複合を言います。極端に言って、芸術がお金にならない場合に道路工事をやってお金を稼げるようでないと、「生計能力がある」とは言えないのです。



人は、迷惑を掛け合いながら生きるのではなく、助け合いながら生きる。

青春ドラマやアニメの例をとってみましょう。

一芸に秀でた、しかし他の部分に難のあるキャラクターが集まり、みんなで協力しあいながら事を為していきます。

最終的に成功をおさめますが、しかしそれぞれがそれぞれに迷惑を掛け合い、プロセスでは皆、文句ばかり言っています。

それでことが成功したからといって、美談にしてはいけないのです。「一芸で人の役に立てれば他の部分で他人に迷惑をかけてもよい」という思考は都合の良い考え方にすぎず、正しくもなければ健全でもありません。

そんな人たちばかりでは、社会はストレスばかりで、生活はストレスばかりです。

「助け合う」ということは大切で、助け合いによってより大きなものを作り上げていくことは大切です。

しかし、それぞれが、自分一人でも一通りのことを自己完結できたほうが良いのです。協調性があったほうが良いのです。



ドラゴンクエストが良い例。

ドラゴンクエストなどやったことのある人は、わかりやすいかもしれません。

戦士は肉弾戦が出来ればよい、僧侶は回復魔法を使えればよい、という感じで序盤は進んでいきます。戦士が傷を負えば、僧侶が回復してあげればよいのです。

しかし、強大な敵が現れると、どうでしょう?

僧侶が真っ先にやられてしまうかもしれません。勇者が回復すればどうにかしのげるかもしれませんが、では勇者もやられてしまったら?結局、戦士や魔法使いも一通りは回復魔法を使えないと、そのパーティはパーティとして機能しないのです。僧侶が生き残っても、僧侶に攻撃能力がなければ敵を倒すことはできません。

彼らは成長していく中で、究極の攻撃技を身に着け、究極の回復魔法を身に着けますが、しかしそれと同時に、自分の専門分野以外の能力も身に着けていき、誰もがある程度の万能性を帯びていきます。誰もが万能でありながら一芸に秀でており、普段は自分の得意分野で活躍します。何かあれば苦手分野でもこなします。

私たち人間も、そのようにあるべきなのです。



アセンションは無理でも、60点はめざそう。

冒頭で見本として見せたオーラグラフは、アセンション文明で生きる人のスキルです。どの能力も80点くらいはあります。

現代日本に生きるにおいて、必ずしもオール80点を目指す必要はありません。

しかし、オール60点くらいは誰もが目指すべきです。

オール60点とは、学校の通知表でオール4くらいの能力です。「苦手なことは何もない」という感じです。

あなたがそのようなスキルなら、どこに行っても困らないでしょう。親が死んでも、配偶者と離婚しても困らないでしょう。1つの仕事を失っても、他の職が得られます。

それが本当の意味での「自立」なのです。私たちは誰もが、それを目指さなければなりません。女性もです。


そして、そのような人々が集まると、組織はとても円滑なのです。

パソコンの出来る人が一人しかいない職場は、その人が休みをとることができません。バカンスをとることはできず、転職や退職を検討することもできません。自分の人生都合から退職を申し出ても全力で引き留められ、それどころか、悪いことをしたかのように責められてしまいます。

しかし、もし他のスタッフもパソコンをこなすことが出来たなら、彼は自分の好きなときにバカンス休暇がとれますし、退職や転職も出来るのです。こうして彼は自由になり、会社は自由になります。

人は、自分がオール60点の万能さを身に着けるべくがんばるべきですし、社会の皆がオール60点の万能さを身に着けるべく、働きかけていくべきなのです。すると、あらゆる人々が自由になります。

ヨーロッパの人々は、大体このような感じで生きています。だから誰もが、1カ月もの夏休みをとることができます。日本は、一芸だけで大学に入るようにするなど、逆の方向に進んでいます。そして会社はどこも人手に困り、誰も休暇がとれません・・・。


家庭を例に見てみましょうか。

母親だけでなく、父親も娘も料理ができるなら、母親は旅行に出ても大丈夫です。毎朝6時に起きなくても大丈夫です。不意の病気で入院してしまったとしても、家族はその間を切り抜けていけます。

父親だけでなく、母親も娘も労働ができるなら、父親が転職をしたいと思ったときに、準備期間を作ることができます。疲労が激しいならしばらく休んでも大丈夫です。不意の病気で入院してしまったとしても、家族はその間を切り抜けていけます。

家族とは本来、このように助けあっていくべきものなのです。

料理は母に、生活費は父に完全に依存する、という状態は、まったく健全ではないのです。

スピリチュアリズムでは、「男性性と女性性を統合する」という言葉がありますが、これは父親的役割と母親的役割を両方できるようにする、という意味です。

母親であっても労働をしてお金を稼ぎ、そしてだらしない我が子を厳しく叱ってしつけます。料理と母性愛しかできない母親は、男性性と女性性が統合できていないのです。



「自分らしく生きる」とは、自己解決したうえで自由に生きることを指す。

「自分らしく生きる」ということの本来の意味も、同じです。

「自分らしく生きる」とは、ただ好きなことをやって暮らすことではありません。

生計も立てられるようになり、家事も出来るようになり、親や配偶者に依存しないで済む状態をまずは作ります。そのうえで、ラーメン屋を起業するなり沖縄に移住するなりして、自分のやりたいことをやるのです。

親に経済的に甘え切った状態で、芸術に没頭しながら暮らすのは、「自分らしく生きる」とは違うのです。あなたも家族も自由でなければなりません。


「自分らしく生きる」が本当に出来ているのは、バックパッカーくらいのものです。

彼らは自分で働いてお金を稼ぎ、旅に出ます。身の回りのことはもちろん自分でやりますし、料理も旅先の宿のキッチンで自炊をします。そして好きな場所で生きています。



「個性的に生きる」「自分らしく生きる」というのは、なかなか大変なことなのです。

まずは、一通りのことを自分で出来るようになる必要があります。

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