top of page
れな

最も良い宗教はどれなのか?

霊的真理に興味を持ったとき、その教材として宗教聖典を開こうと考える人は少なくないはずです。

しかし、最も核心を突いた宗教はどれなのでしょうか?



どの宗教も完全ではない。なんらかのでたらめな教義を含む。

まず理解すべきことは、「どの宗教も完全ではない」ということです。

この記事は伝統宗教を中心に語りますが、伝統宗教だけでなくあまり知られていない宗教も含めて、「どの宗教も完全ではない」です。

どの宗教の教義を完璧になぞっても、アセンションには至りません。


「れなが知らないだけで核心を突いた宗教があるかもしれないじゃないか?」とあなたは言うかもしれませんが、それはありえません。なぜなら、霊的真理を完全に理解した人、アセンションの精神に達した人は、「宗教指導者にはならない」からです。


宗教信仰はアセンションのプロセスとして重要なことなのですが、しかし熱心な信仰を続けていてはアセンションはできません。

アセンションを達成した人は、宗教を作るのではなく、教祖になるのではなく、「思想を語る」だけです。

イエス・キリストもゴータマ・ブッダも、キリスト教や仏教を作ったわけではありません。彼らは思想を語っただけです。キリスト教や仏教を作ったのは、彼らの思想を聞いた後の人間たちです。


現在、どの宗教も完全ではありません。

教義の7割くらいは霊的真理に適っていますが、3割程度はでたらめな内容を含んでいます。

宗教指導者の中に、あなたが尊敬すべき人はいないです。宗教指導者は、その宗教の矛盾点・誤った点に気付いておらず、つまりアセンションの精神にも達していません。宗教指導者は知性もやや低いです。


宗教だけでなく、土着地域の各シャーマニズムも同様です。「ホピの教え」「ハワイのホ・オポノポノ」などのことです。



仏教が最も核心を突いている。

宗教の中で最も、霊的真理の核心を突いているのは、強いて挙げるならば仏教です。

仏教は、「質素であれ」「人と争うなかれ」「人を助けよ」と教えます。様々な宗派がありますが、この3点についてはほぼ共通するでしょう。

この3つの精神論は、アセンション文明の暮らしにおいて最も重要です。


東南アジアの仏教ではさらに、僧院に出家することを教えます。

僧院では、お金を使わずに自給自足的な暮らしをします。おおむね原始的な暮らしをします。つまり僧院の暮らしは、アセンション文明の暮らしによく似ています。

「僧院で質素に奉仕の精神で暮らすならば、家族から離れてもよいのだ」と教えています。


仏教の質素で争わない精神は、アセンション思想の核心を突いています。

日本は仏教の盛んな国なのですが、おしゃれや快楽の好きな日本人、特に女性は、仏教の質素な教義にはほとんど興味を持たないようです。そのため日本の宗教信仰者は、あまりアセンションの精神には近づきません。



キリスト教にアセンション達成者はいない。

美しい教会美術が印象的なキリスト教に、好印象を持つ人は多いのではないでしょうか。「どの宗教が最も正しいか」という論議をするとき、キリスト教の肩を持ちたい人は多いと思われます。

しかし実情として、キリスト教の信仰者にアセンション達成者はほとんど出ていません。

「原初キリスト教」の時代にはアセンション達成者もいましたが。


キリスト教は、「お金を儲けてもいいから教会に献金せよ」と説きます。

こうした教義により、教会は資産を得て、美しい教会美術を建てることが出来ているのですが、大衆に富を肯定しているため、誰もアセンションの精神には至らないのです。


修道院の思想はなかなか良いです。修道院の生活もアセンション文明の暮らしに似ています。


宮崎駿監督も匿名希望さんも、キリスト教を舞台にした作品を書くことが多いです。これは、キリスト教の信仰者が非常に多いからです。キリスト教信仰者に気付いてほしいことを書くために、キリスト教を舞台に選ぶのです。



宗教聖典を開くことは悪くない。

精神的な成長に興味を持ったとき、宗教の聖典を開くことは決して悪くないです。

どの宗教も、霊的真理の基礎的なことは教えているので、基礎的なことは身に付きます。

「人間の本質は肉体ではなく魂である」

「守護霊が存在している」

「誠実に、人を助けながら暮らすべきである」

「お金儲けに盲目してはいけない」

「いつかは生まれた町を出て巡礼(遥かなる旅)をすべきである」

といったことを、ほとんどの宗教は説いています。



2つのタイプの宗教信仰者。

「宗教信仰者と話すのは嫌だ」と感じる人がいるでしょう。

熱心な宗教信仰者に敬意の念を感じる人もいるでしょう。

それは、宗教信仰者には大きく分けて2つのタイプがいるからです。


「神にすがる人」と「神に仕える人」です。

「神に祈れば助けてもらえる」といった教義に興味を持って信仰する人は、神にすがる人です。彼らは神秘主義・他力本願で、だらしない感じがします。話していて嫌な感じがしてしまうことが多いです。

「神に仕える人」は、教義を熱心に実践したり奉仕したりする人々です。彼らは利他的で、無欲で、献身的です。その振る舞いに敬意を感じるでしょう。


キリスト教や神道(神社に参拝する人)は「神にすがる人」が多く、仏教やイスラム教徒には「神に仕える人」が多いです。



精神性の高い宗教者にはなかなか出会えない。

宗教指導者、宗教信仰者から霊的真理についての話を聞きたい、と願っている人もいることでしょう。今の時代なら、Youtuberなどを探すでしょうか。

しかし、精神性の高い宗教信仰者に出会うのは非常に難しいです。

仏教思想的な無欲な人は、派手な布教活動を好まないからです。Youtubeでしゃべったり、講演をするようなことを嫌います。お金やファンを集めようと考えないので、目立つ宣伝などしません。

なんとなく情報や人を探していても、このような人には出会えないです。


精神性の高い宗教者は、たとえば田舎の誰も知らない小さなお寺の住職をしていたりします。そこまで訪れないと話は聞けないのです。しかし、他所の地域の人がこのような人を見つけるのは非常に困難です。

バックパッカーや歩きお遍路さんなどは、世界の僻地、日本の僻地で偶然こうした宗教者に出会うこともあるかもしれません。



日本人は宗教信仰者を軽蔑するが・・・

現代日本人に、熱心に宗教信仰をする人は少ないです。各宗教にみられる教義・行動に滑稽さを感じて、宗教信仰者に軽蔑を感じている人さえ多いでしょう。

しかし、宗教信仰者は一般的に、無宗教な人々よりは精神性が高いです。


また、日本人は宗教信仰を嫌いますが、その一方で、非常にカルト宗教的な気質を持った人が多いです。

たとえば、ミュージシャンやアニメへなどの推し活にみられます。遠くのドーム会場まではるばる出かけ、そしてタオルやうちわなど、高額なグッズに大金を注ぎます。そして曲に合わせて踊ったりジャンプしたりします。

こうした熱心なファン行動は、ファンでない人から見れば滑稽で、そしてお金の使い方などは非常に盲目的と言えます。

同じようなグッズを次々と販売しお金儲けしようとするプロダクション、レコード会社は、カルト宗教のそれと似通っています。

絵柄の違うCDアルバムを3枚買う、などという行為は、非常にカルト宗教信者的です。


アイドルファン、アニメファン、Jリーグやプロ野球ファン、ミュージシャンのファン、俳優のファンなどは、生活行動が非常にカルト宗教的なのです。

また、特定のブランドを好む人も同じです。



カルト教祖的な気質の人も多い。

たとえば、オウム真理教の麻原教祖など、あなたは軽蔑するでしょう。怖いと感じるでしょう。

しかし、麻原教祖のようなカルト教祖的な気質を持った人も、意外と大勢います。


フリーランスでビジネスをしており、FacebookやInstagramで5,000人ものフォロワーをかき集め、「いいね」やコメントを得て喜んでいる人々は、行っていることはカルト教祖と同じようなものです。自分が持ちあげられ、注目され、お金を巻き上げることに恍惚しているのです。そしてその宣伝のために、誇張したことやでたらめなことを平気で並べたてます。薄っぺらい格言を好みます。

スピリチュアルなセラピスト、チャネラー、ヒーラー、占い師などに非常に多いですが、〇〇コンサルタント、〇〇アドバイザー、といった非スピリチュアルな業種にも多いです。

新しい形のカルト宗教と言えます。


ビジネスをしていなくても、たくさんのフォロワーや反響を集めて喜んでいるインスタグラマーやSNSブロガーもやはり同じです。Youtuber、Twitterもそうです。


カルト教祖的な気質を持たない人は、仕事のためにSNSで宣伝などするとしても、チヤホヤされて恍惚するような様子を見せないでしょう。また、可愛く着飾った自分の顔写真を頻繁に投稿するようなことを好みません。派手な表現を好みません。



宗教は離れてよい。

「人は魂みがきのために輪廻転生を繰り返しているのだな」「人は欲に溺れず誠実に生きるべきなのだな」と理解したなら、宗教からは離れてよいです。「離れたほうがよい」とすら言えます。

仲の良いお友達が集会の中に大勢いるとしても、です。

最新記事

すべて表示

生まれ持った才能は、過去世で努力したものです。

人を羨ましいと思うことがあるでしょう。 物心つくくらいの年頃からもう、とても頭の良い人や、とてもスポーツの出来る人や、とても芸術の出来る人や、とても可愛らしい人がいます。世の中は平等ではないようで、嘆きたくもなります。 しかし、人の生というものを今生だけと短絡的に考えず、「...

物事の感じ方は変わっていくものです。

人は、成長していくものです。成長しないとしても、変化していくものです。 そして自分が「変化」だと思っているものも、後から客観視してみれば「成長していたな」と感じたりするものです。 求めるものは、ずっと同じではないのです。...

社会性に自信があれば、自由に生きてよいです。

「個性の時代」と言われるようになって久しいですが、しかし他国に比べればまだまだ、日本は「隣にならえ」の文化です。 大学に入るべき、一流企業に勤めるべき、正社員になるべき、結婚して子を持つべき、マイホームを手に入れるべき、といった「普通の立派な人」であることを求められます。...

コメント


bottom of page