特に進学校に通った人は、「新聞を読みなさい」「本を読みなさい」とうるさく奨励されたのではないでしょうか。「賢い人になれるから」という道理のもと、それを頑なに信じて多くの時間を新聞や本に割いてきた、多くのお金を新聞や本に割いてきた、という人がいるでしょう。
新聞や本は本当に正しいことが書いてあるのでしょうか?
今や新聞にも本にもモラルはない。
新聞や本など、難しい文章を読もうとすることには、ある程度意義があります。ものごとの理解力が上がりますし、効果の薄い商品に騙されにくくなったりします。
また、昔は新聞や本にしか情報がなかった、という実情もありました。広い世界のことを知るには新聞や本がとても役に立ったのです。
しかし、時代は変わりました。
「ネットニュースよりも新聞や本のほうが真面目である」ということも、もうなくなってきています。
新聞社で報道に関わる人々は正義感やモラルがある、とあなたは信じているでしょう。
しかし、そうでもないようです。
新聞報道者に本当にモラルがあるのであれば、「紙新聞は資源を浪費し環境に悪いから、ネット配信に移行しよう」という改革をどの業種よりも速く行ったはずです。新聞社にそのようなモラルはありません。
「スーパーのビニール袋は環境に悪いから早く廃止すべきだ!」などと生真面目に語っていても、それよりもっと資源の浪費である紙新聞について何も感じていないのです。
「自分の会社の利益を保ちたい」「報道者としての権威を保ちたい」などといった利己的な動機により、彼らは「新聞を読むべき」と推奨するのです。
本にも同じようなことが言えます。
「大衆に何かを伝えたい」という正義感から筆をとるなら、ブログがある今はもう、「本」という形で販売する必要はないはずです。200ページもの文字を忙しい読者に読ませる必要はなく、膨大な紙やインクを消費する必要もありません。
「作家を気取りたい」などといった利己的な動機から彼らは本を書きます。
ネットニュースもYoutube動画も信頼できるわけではない。
情報を得るためのものとして、ネットニュースやYoutube動画などが信頼できる、というわけでもありません。それらもでたらめばかりですし、利己的な動機から発信されるものばかりです。
ネットニュースやYoutube動画などを褒める記事ではありません。
そうではなく、ただ、「新聞や本にそれほどの価値はない」「新聞や本の著者に大した正義感はない」と警鐘を鳴らしています。
本は回りくどい。
「本を読むことは素晴らしい」と思っている人は多いことでしょう。
しかし、本はあまり優れたメディアとは言えません。
本は、内容が回りくどいのです。たった10文字の結論を伝えるために、200ページの文章を書き、それを読者に読ませます。
本当に頭のよい人は、「本は不毛だ」と気づく。
「頭の良い人は本を読む」と思っている人は多いことでしょう。
ある程度はその通りと言えます。イエローのオーラが60点もあるような人は、読書を進んで行うような知的な人が多いです。難しい文章を読める人が多いです。
しかし、本当に頭のよい人は、読書の趣味を続ける中で、「本って無駄な文章が多くて遠回りだな」というその本質的な不毛点に気づきます。
「頭がよい」というのは、こういうことです。
私たちの社会はどんどん難しい法律が増えていき、契約書には難解な利用規約が増えていきます。
これは頭のよい人間の所作ではありません。
新聞や本を読んではいけないわけではありません。
しかし、「立派な大人のたしなみとして新聞や本を読まなければ」といった義務感を抱えているなら、新聞や本を読むのを止めてもよいです。
何か知りたいことがあるとき、ウィキペディアの中で調べてみるとよいのではないでしょうか?
本を読むよりもっと端的に、真面目な情報を得ることができます。
新聞よりも思想の偏りが少ないです。
そして、お金がかかりません。
ウィキペディアにも、「文章が難解すぎる」という欠点があります。読書好きや新聞をよく読む人ならある程度読めるでしょうが、ウィキペディアが完璧というわけでもありません。
ブロガーの中には、ウィキペディアよりもわかりやすく端的に物事を解説している人もいます。しかし、そのようなブログを普通の検索の中で見つけるのは非常に難しいです。検索エンジンが、「文章の長いページ」を上位に表示させる傾向があるからです。
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