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れな

心配な不登校と、自主性を尊重してよい不登校。

子が不登校になると、親としては心配になるでしょう。

子の将来が心配なだけでなく、どう対処してよいか戸惑います。

「あなたの思うようにしていいわ」と放任して、上手く社会復帰する子もいれば、それによってアニメ中毒・テレビゲーム中毒になって抜け出せない子もいます。



「学校は愚かだ」と哲学的なことを言っていても、だらしない子もいる。

不登校になった要因として、「学校の制度が愚かで行く気がしない」「勉強の内容がくだらない」「先生が幼稚でうんざりする」などと、哲学的なことを言う子がいます。

そんな場合、「この子はFacebookの創始者のように自分で立派な大人になるのだろう」と思い、子を放任してしまう親がいるでしょう。

しかし、「学校は愚かだ」などと哲学的なことを主張していても、だらしない子もいます。そのような子は、親が手綱をとったり監視したりすべきです。厳しさを見せるべきです。



家で何をしているか?家族の手伝いをするか?

「学校は愚かだ」などと言っている子の、家での様子を観察してください。

その子は、家族のために風呂掃除をしたり、自分の食器を自分で洗ったり、疲れて帰ってきた母親のためにチャーハンを作ってあげたりするでしょうか?

「誠実な人々に対しては誠実に接する」「助け合うグループの中では助け合おうとする」という姿勢を当たり前のように見せるなら、その子は精神性の立派な子です。

協力精神のない子たちのためにがんばることを不毛に感じただけで、精神性の高い人々の輪では利発に生きるでしょう。そのような人や場を、探そうとするでしょう。



偉そうにゲームばかりしているなら、屁理屈を言っているだけ。

先生やクラスメイトを「くだらない」と非難しておきながら、その子は部屋でテレビゲームやアニメにばかり夢中でしょうか?親に偉そうに「ご飯持ってきて!アイスが食べたいから買ってきて!」とわがままばかり言っているなら、その子は危険です。

哲学的思考があるのではなく「屁理屈を言っているだけ」で、「学校がくだらない」と言うのは怠けたい欲望を正当化しているだけです。ロジカルなことを言って相手を丸め込もうとしますが、屁理屈や正当化が多いでしょう。


親はその子に対して世話をしたり、優しく接しているはずで、そのような人にさえ偉そうな態度をとり恩返ししないなら、精神性の低い子です。



放任してよいのは、自主性のある子だけ。

「あなたの思うように過ごしていいわよ」と放任して平気なのは、自主性のある子だけです。

学校に行きたがらないとしても家で自分で勉強をしたり、図書館で何かを勉強したりしようとするなら、学ぶ意欲はあり、大人に必要な知性を自ら身に着けるでしょう。

学校に行かないだけでなく勉強もしない、課題もやろうとしない子は、親がしっかり監視する必要があります。不登校児用に出された課題をやらせたり、フリースクールなどを探してやる必要があります。



勉強や習い事でがんじがらめだった子は、少々様子を見ましょう。

不登校になったとき、テレビゲームやアニメに夢中になったとしても、すぐに怒るべきでない子もいます。

親が学歴主義で幼少から私立に放り込み、朝から晩まで勉強をさせていたでしょうか?習い事を幾つも通わせ、塾にも通わせ、自由に遊ぶ時間が少なかったでしょうか?学校で学級委員などをたくましくこなしたのに周りの子がしらけていて、報われない思いをしたでしょうか?

こうした「燃え尽き症候群」的な子は、しばらく様子をみるとよいです。テレビゲームやアニメなどの快楽に没頭するとしても、1か月くらいでそれをやめるのではないでしょうか。

そして勉強をしはじめたり、もっと建設なことに取り組みはじめるのではないでしょうか。



いじめていない人にも無愛想な子は、社会性がない。

いじめに遭ったとき、表情が曇るのは自然なことです。いじめてきた子たちと顔を合わせたくない、彼らに微笑むことができない、というのは仕方ない面があるでしょう。

しかし、「いじめに遭ったから学校に行きたくない」と言っていながら、親にも無愛想、来客者にも無愛想、といった子は、いじめ云々ではなく社会性がないです。

精神的にしっかりしている子は、いじめに遭ってひどく傷ついたとしても、来客があったときには愛想よくあいさつをします。親にはツンケンしないものです。


「いじめに遭ったから仕方ない」ではなく、社会性やコミュニケーション能力をしつけるべきです。



不登校でも、傷ついていても、手伝いや勉強はさせるべき。

いじめや嫌なことがあって不登校になったとしても、部屋にこもって好き勝手にわがままをしていてよいわけはありません。王様きどりをさせるべきではありません。

「家の家事を何か手伝いなさい」「自分で料理をしなさい」「部屋は定期的に片づけなさい」「お母さんは帰りが遅くなるから、夕飯を作っておいて」などと、やるべきことをやらせましょう。


卑屈な性格は直させましょう。親に偉そうなことばかり言っているのはよくありません。「あれを買ってきて、ドレッシングはあれじゃなきゃ嫌だ」などと、わがままを野放しにすべきではないです。

食事に対してこだわりが強いなら、自分で料理をさせましょう。

色々とものを欲しがるなら、「アルバイトをして自分で買いなさい」と言いましょう。



何かのグループでコミュニケーション能力を磨かせるべき。

いじめに遭ったとしても、部屋にこもって家族としか接しないのはよくありません。

泣き崩れる様子が落ち着いたなら、学校でなくてもよいので何かのグループに参加させましょう。放課後クラブや習い事、ガールスカウトなどです。インターネット上のグループではなく、対面活動のあるグループです。

「いじめはいつもいじめた側が悪い」それはその通りです。

しかし、打たれ弱すぎたり、ちょっとしたからかいを受け流せないようでは、社会に出ることが出来なくなってしまいます。やはり人と交流をして、コミュニケーションの能力を磨く必要があるのです。

親は不登校の子を甘やかしがちなので、「今日はゲームじゃなくて外遊びをしようよ」と他の子に言われて我慢をしたり、「口調が偉そうだね」などと人から指摘される体験が必要です。

他の子が具合が悪そうなときに気を配ってあげるような注意深さを磨くべきです。



不登校で、親が放任していても一通りの社会性を身に着ける子もいます。

しかし、それはごく一部です。

多くの子は、親が叱ったり教えたり、何かのグループに放り込んで学ばせたり、する必要があります。

また、勉強が出来るだけでは労働をすることはできません。コミュニケーション能力や社会性が必要です。

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