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  • れな

家族とは、「特別な人」ではなく「最初の社会」です。

親に愛されなかったことを悲しんできた人がいるでしょう。

親の介護の重圧に苦しんでいる人がいるでしょう。



家族とは、「特別な人」ではなく「最初の社会」です。

家族とは、あなたにとって別に特別な人というわけではありません。

あなたは、教室の3つ隣の女の子が仲良くしてくれなくてもあまり気にしないでしょう。しかし親に愛されなかったことを悲しみ続けてしまうでしょうか。それは「家族は特別な人だから」と考えているからでしょう。

法律や感動の映画は「家族は特別だ」と言いますが、霊的真理の面から言えば、家族というのは別に、特別な人ではありません。

家族とは、「最初に属する社会」です。

魂みがきにおける「最初の教材」にすぎないのです。



人間関係の基礎を学ぶ場。

私たち人間は、学校や会社、地域など、社会の中で様々なことを学んでいきます。そのためにはコミュニケーション能力が必要です。

家族とは、あなたが最初に属する社会(組織)です。

人々はまず、家族によってコミュニケーションや様々なことを学びます。


親は子供を愛するべきです。

しかし、親は隣の家の子供も愛するべきです。

「人の面倒をみる」ということを、まずは自分の家族を使って学びます。それがある程度出来るようになったら、我が子ばかりを溺愛するのではなく、隣の(地域の)子の面倒をみたり、知らない国から旅してきた青年を家に泊めてあげたりすべきです。

親と子の間で、特別な絆がある必要はないのです。

姉と妹の間で、特別な絆がある必要はないのです。


親からあまり愛情を受け取れない子も、幼稚園や小学校の中で「面倒をみてもらうこと」「優しくしてもらうこと」「仲良く遊ぶこと」などを学びます。それでよいのです。

親が愛情深い人でないとしても、最低限の言葉と振る舞いを教わるでしょう。社会の常識を教わるでしょう。テレビを見せてもらうでしょう。それを使えば幼稚園や小学校で人とコミュニケーションがとれます。あとは幼稚園や小学校の先生やクラスメイトとの交流で、愛や悲しみや贈り物や様々なことを体験できます。



家族を愛して完成、ではない。

あなたは、友達のお母さんがとても面倒見よくしているのを見て、「うらやましい」「出来たお母さんだ」と思うでしょう。

しかし、人とはそれで完成ではないのです。

自分の子にだけでなく、隣の家の子や地域の子、知らない国の子にさえ笑顔で手を差し伸べるようになったら、一人前です。

我が子にだけ甲斐甲斐しい親は、まだまだ半人前なのです。


もっと成熟した人は、家族にだけでなく他の人々にも優しくします。仲良くします。何かを分け合ったり、親身になって相談に乗ったり、寝床を分けてあげたりします。

共働きであまり子供の世話をしない母親の中には、しかし我が子以外の人々にも優しくしたり仲良くしたりする人も大勢います。そういう人のほうが、成熟しているのです。



親の面倒をみるのは当たり前だが、そこに固執する必要はない。

親が年老いてきて介護を必要とするようになったとき、「子が親の介護をするのは当たり前だ」と周りから圧をかけられるでしょう。

子にとって親も家族です。家族の面倒をみるのは当たり前のことです。

とはいえ、別に親の介護に固執する必要はないのです。

あなたが、親の介護を放棄しても他の人々の世話をして役に立って生きているなら、それで立派なことです。人は人に優しくすべきですが、その対象が必ずしも親である必要はありません。

すぐにケンカになってしまう親子もいます。子にだけは甘え過ぎてしまう親もいます。介護が必要だとしても、子が担うことが適していない場合もあるのです。

「介護してくれ!」と親がわめいていても、あまり過保護にすべきでないこともあるのです。

たとえばあなたが保育士として「立派な保母さんだね」と言われるようになっているなら、優れた母性愛や面倒見の良さを持っているはずです。それなら別に、「親の介護を全うしなくては!」と固執する必要はありません。



「家族」「親子」に固執しないで。

「愛されたい」と願うとき、その対象を家族に固執しないでください。

赤の他人でも、愛し愛される体験が出来たなら、それで素晴らしいことです。

「面倒を見なければ」と責任感に駆られるとき、その対象を家族に固執しないでください。

赤の他人を家族のごとく面倒見るなら、それで素晴らしいことです。そのほうが素晴らしいことです。



仲の悪い家族と無理に仲直りしなくてもよいのです。

たとえば、あなたのことを怒ってばかりいた父親と仲直りしなくてもよいのです。

「たった一人の父親なのだから仲良くしないと」などと考える必要はありません。

DVの父親、アルコール中毒の父親を愛する必要もありません。「ごめんな」と感傷的に言われても、許す必要はありません。



映画、ドラマ、アニメや小説は、「家族なんだから愛し合わなくては!」と感傷的に叫ぶものも多いです。こうしたものを見ると、「私も家族と仲良くしなくては」「親に愛されたい」「親の介護をしなくては」などと悲しくなってしまうでしょう。どうか、引き込まれないでください。

他の人との間で、愛を体験すればよいのです。

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