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  • れな

地獄とは?~悪夢をとおして懲罰を受けるのが、地獄の本当の意味~

人は死んだらどこへ行くのでしょうか?地獄なるものは本当に存在しているのでしょうか?真面目に解説していきます、



地獄とは?死後の世界の最も劣悪な環境の場所。

地獄とは、仏教の言葉で、死後の世界の最も劣悪な環境の場所を意味する言葉です。



針山地獄、血の池地獄、仏教の八大地獄は本当に存在するの?

地獄に類する、「目も当てられないほどの苦しい罰を受ける場」というのは、霊界に存在しています。が、針山地獄、血の池地獄というような、絵本や昔話の中で学んだような概念は、すべて道徳教育上の作り話です。仏教における八大地獄も然りです。



地獄の正体は、「永遠の悪夢」。

針山地獄、血の池地獄、仏教の八大地獄などといった概念は、道徳教育のために作られました。「悪いことをした罰として、こんなに酷い仕打ちが待っているんだよ」ということを説明するにあたって、針山地獄、血の池地獄といったおぞましい描写が効果的だと考えられたのです。

実際のところは霊界にそのような場所はなく、また物理的な世界にもそのような処刑場は存在しません。鬼がこん棒を持って待ち構えていたりもしません。

その代わりに、死んだあとの霊界では、悪夢を繰り返し見続けるような形で苦痛を浴び続け、悪行のカルマの清算を果たします。



現代日本人の99パーセントは地獄行き。

ドラマなどで、死に際の人がちょっと善い行いをすると、「お父さんはきっと、天国に行けたわね」などと言ってハッピーエンドとなりますが、ちょっとの善行を行った程度で天国に行くことはできません。現代、天国のような場所に導かれる日本人はほとんどおらず、99%以上が悪夢を見せられ続ける、いわゆる「地獄行き」となります。


ブラック商売が当たり前になってしまっている深刻な日本・・・。

というのも、21世紀の日本の社会人はおよそすべての人が、不正を犯しているからです。

今や、およそあらゆる業種のあらゆる会社が、誇張だらけの宣伝をし、嘘だらけの商品説明を書き、そしてギブ&テイクとはほど遠い高額な値付けをして、商売をしています。

このようなやり方が当たり前になりすぎてしまっていて、今やほとんど誰も、嘘だらけの宣伝や求人広告、店のスローガンなどに抵抗を持たなくなっているようですが、21世紀の日本はすさまじいほどにブラックな企業ばかりです。

スピリチュアル業界も例外ではなく、人をだましているセラピストやヒーラー、作家、ブロガーばかりです。「カルマの法則」といった言葉を説明している人でさえ不正にまみれていますから、もう目も当てられません。



地獄行き確実な資本主義社会から逃れるために、昔の人は出家をし、自給自足をした。

昔は、資本主義社会のこうした不正まみれな実情に嫌気のさした人は、出家(しゅっけ)をしたのです。

そのような人々を受け入れる山寺が各地にあり、そこでひっそりと、畑を耕しながら質素な暮らしを営んでいました。自給自足によってお金や商売の介在しない生活を作り、地獄行きになるようなカルマを防いだのです。

カルマを防ぐために出家や自給自足をしたわけではなく、資本主義・貨幣社会の貪欲で不誠実なふるまいに嫌気がさしたのです。そのような良心ある人が、昔は日本にも大勢いました、


仏教寺は、本来の役目を見失ってしまった。

欧米の場合は、修道院がそれに当たります。天国に行けたのはこのような人々だけです。東南アジア仏教国の場合、僧院がこれにあたります。

しかし、日本の仏教寺は、いつしかこのような人々の受け皿であることをやめてしまいました。今では、職業出家のための研修所でしかありません。仏教寺の住人たちもお金を稼ぐことに必死で、願掛け商売などお金になることしかやりませんし、本来の寺の役割が何であったかも見失っています。

つまり、現代日本においては宗教神職者たちもまた、軒並み地獄に落ちています。

お寺の本来の役割は、願掛けではないのです。



地獄に落ちないためには自給自足の暮らしを送るぐらいしかない。

欧米とは異なり、資本主義社会を抜け出したい人間の受け皿がない日本では、地獄に落ちないためには自給自足の暮らしを自分で、または周りの人々と営むしかありません。


日本に受け皿となる山寺や修道院が無いことは、5次元社会(≒自給自足エコヴィレッジ)の誕生を後押しする好材料になると見込まれていましたが、その目算ははずれました。資本主義から離れた社会を造ろうとする人などほとんど誰もおらず、そこに加わろうとする人すらほとんどいません。

四国などに、ごく少数だけそのような取り組みをしている人たちがいます。



懲罰を受けたくないなら、不正をやめて奉仕に打ち込むしかない。

苦痛に満ちた懲罰を受けたくないなら、不正をやめて心清く暮らし、これまでの不正を帳消しにするほどの奉仕活動をするしかありません。

いえ、それではだめなのです。「苦痛を受けたくないから悪いことをしない」「苦痛を受けたくないから奉仕をする」というのは、善人の発想ではないのです。真に良心のある誠実な人というのは、懲罰があろうがなかろうが、誠実でありたいと考えます。



「神様が見ているんだから悪いことはやめなさい」は道徳として正しくない。

スピリチュアリズムではよく、「神様が見ているんだから悪いことはやめなさい」「お天道(てんとう)様が見ているんだから清く生きなさい」と言いますが、これは道徳教育として致命的に間違っています。


「誰が見ているか見ていないかに関わらず、不正をすべきじゃない」と教えるべき。

「監視カメラがなくても神様が見ているよ」と教えるのではなく、「誰が見ているか見ていないかに関わらず、不正をすべきじゃない」と教えるべきなのです。

21世紀の日本のスピリチュアリストの場合、天使が見ていることを知っていても不正をやめない人ばかりなのでもうどうしようもありませんが、昔の日本人もまた、あまりまともな良心は持っていなかったと言えます。



地獄での懲罰=カルマの清算

地獄(悪夢を見せられる場所)での懲罰は、いわゆる「カルマの清算」と呼ばれるものです。あなたが他者に与えた不正・苦痛の2倍に相当する量の苦痛を、悪夢を通して与えられます。地獄以上の地獄が待っているのです。



カルマの清算はまだ続く。不誠実な人間は次、スラム街のような場所に生まれ落ちる。

なお、現世社会を使ったカルマの制裁も行われてはいます。

スラム街やアフリカなどの貧困地、戦争の絶えない地域に生まれてくる人々は、懲罰的な意味合いでそこに生まれているのです。貧困や飢え、暴力、レイプ、戦火などで苦痛に満ちた人生を送ることが、彼らにとってのカルマの制裁なのです。

とはいえ、スラム街の場合、良心がまるで無い人間は物心つくころにはもう人を騙し、盗み、犯しながら生きてしまうので、あまり制裁になりません。こういう場合はもちろん、霊界でまとめて悪夢での制裁を受けなおすことになります。

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