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各色のオーラの達観には順序があります。
第一印象だけでは、その人がある色のオーラで達観しているのか未熟なのか、判別は困難です。
各色のテーマやキーワードを学べば、その色の達観した振る舞いを知ることは出来ますが、上辺だけ振る舞ってもその色で達観できたわけではありません。
レッド:「自己犠牲」の前に「生き延びる強さ」。
レッドのオーラの究極的な達観は、自己犠牲です。「体や命を投げ打ってでも同胞を守る」という姿勢です。イエス・キリストが、自分の処遇をわかっていながら犠牲裁断に登っていったようなことです。
しかし、「命を投げ打って人を守る」という行為を行う前に、「何が何でも生き延びる」というたくましさや生命力を見せる必要があります。これは、厳しい運動部の運動をがんばったり、過酷な労働に耐えて生活費を稼いだり、いじめに耐えたり、眠い目をこすって赤ちゃんにお乳をあげたりすることです。
たとえばアニメや映画の中で、厭世的な病弱な少女が、仲間を助けるために自分の命を犠牲にしたりします。これは物語の中では美談として賞賛されますが、彼女はレッドの素地である「生き延びる」の努力が充分ではありません。レッドで達観しているわけではありません。
世界が憂鬱だからといって、活力的に生きるための努力をせずに誰かのために命を投げ打っても、彼女は次の人生で、またレッドのレッスンを重点的にさせられることになります。人のために死んでも、レッドの課題は達成できていないのです。
このような価値観を持つ人が、ひきこもりの人たちの中にはいるでしょう。
オレンジ:「節制」だけでなく「快楽を体験的に知る」。
オレンジのオーラには色々なテーマがありますが、重要なものとして「快楽の節制」があります。(「快楽のバランスをとる」といったほうが正しいです。)
セックスやグルメやショッピングに溺れずに、質素にヘルシーに生きることはとても大切です。
しかし、生まれたときから熱心な仏教の家庭で育ち、快楽を知らずに生きたとしても、オレンジが達観できたとは言えません。この人は、「私はセックスやショッピングにかまけず生きているから素晴らしい」と思っているかもしれまんせが、快楽を節制できているとは言えないのです。
この人が不意にセックスの魅力を知ってしまうと、あっさりと中毒してしまう懸念があります。
「節制」という達観に至るためには、セックスやショッピングなどの様々な快楽を、一通り経験している必要があります。都会の魅力を体験している必要があります。
押し倒された不愉快なセックスを体験して「私はもうセックスなど興味ないわ」と言うのではなく、気持ちいい素晴らしいセックスを体験して知ったうえで、「でも生活に支障が出ないように我慢しよう」と節制する心の強さが必要です。
東南アジアの仏教僧や田舎の人たちはオレンジのテーマに強い印象がありますが、彼らはまだ快楽を知らないのです。ひとたび快楽を体験してしまうと、誠実で素朴に見える彼らも、急に豹変してしまう懸念があります。
イエロー:「無邪気でほがらか」なだけでなく「論理的で勉強熱心」が必要。
イエローのオーラで達観した人は、大人なのに子供のように無邪気に笑い、悩み事などないかのようにほがらかに微笑んでいます。
しかし、ニコニコしていればそれで達観できているわけではありません。
素地として、たくさんの勉強や読書、討論、思考を重ねて、知的である必要があります。論理的に物事を考え、論理的に人に説明や交渉をできる必要があります。損得の計算ができ、節約の方法を考え、大事な資産資源を守る能力が必要です。
ジャニーズアイドルなど芸能人には、無邪気でニコニコした人が多いものですが、知性に長けるわけではなく、イエローで達観しているわけではありません。
スピリチュアルなセラピストなどには、「理屈よりもフィーリングが大事なのよ」などと感覚重視で楽しそうに生きている人が多いですが、やはりイエローで達観しているわけではありません。
子供はニコニコしていますが、達観しているわけではありません。
無邪気でニコニコした人は魅力的ですが、論理的思考が未熟な場合には、恋人やビジネスパートナー、プロジェクトの仲間、海外旅行のリーダーとしては不安です!ニコニコしているけれど頭のよくない男性を彼氏に選んでしまう女性は多いです。気を付けてください。
グリーン:「自分らしく生きている」が、「高い社会性」を持っている。
グリーンの達観は「自己の真実を生きる」ことです。安定や体裁のためにサラリーマンを選ぶのではなく、自分の好きな仕事を選んで胸を張って生きるようなことです。
しかし、自分らしく生きているだけではグリーンの達観とは言えません。
「高い社会性」を培えている必要があります。一通り勉強をこなす知性や勤勉さ、そしてサラリーマン的な雇用労働を優秀に行えるぐらいの協調性や多彩な能力が要ります。マナーや気遣いに長けている必要があります。中学の通知表でオール4をとるくらいの勤勉さや優秀さが必要です。
本当に良心に長けると、サラリーマン労働や資本主義、古い結婚制度などに服従することが嫌になって脱しようとします。とはいえ、社会性や良心の乏しい人もまた、サラリーマン労働や結婚生活から逃げようとします。
自分らしく生きていても、時間にルーズだったり協調性の希薄な人は、人格者とは言えません。
ブルー:「平和主義」だが「事なかれ主義」ではない。
ブルーにも様々なテーマがあります。が、それは「平和主義」に集約されます。
旅先の寝床が粗末であるなど、置かれた環境に文句を言わずに適応する感性などブルーのものですが、それは人と無暗に争わないために重要なものです。
しかし、攻撃的にならず穏やかにたたずんでいても、「事なかれ主義」にすぎないならブルーで達観しているわけではありません。
これは学校のいじめ問題でよくわかります。いじめに加勢していないとしても、クラスの中で目撃したいじめを注意もせず、先生に報告もしないのは「事なかれ主義」です。
いじめを注意することで、争いが生じてしまうこともあります。正論を諭してもわかってもらえず争いが発生するなら、そこから静かに離れればよいのです。こうして水のように柔軟にさすらい、様々な環境に適応するのが、ブルーの達観した人です。言い換えれば、醜い人ばかりの俗社会から離れようとします。
穏やかなだけでは不充分で、農業の肉体労働に耐えたり、夜行バスの苦労に耐えたりする強さも必要です。
日本人は平和主義とよく言われますが、平和のためにときに戦うわけでもなく譲歩をするわけでもなく、「事なかれ主義」な人ばかりです。
ヴァイオレット:「従順」だが「自分で考えて動く力」もある。
ヴァイオレットは信仰や奉仕の色です。尽くす対象があり、そのために懸命に何かをします。
宗教の敬虔な信仰者はその姿が崇高だと賞賛されることがありますが、そうともかぎりません。
何をしてよいかわからず、何が正しいかもわからずにただ身近な権力に従うのは、とても危うい行為です。知性の低い宗教信仰者や快楽主義な推し活、各種スピリチュアルの盲目者、主体性のない子供などによく見受けられます。
ヴァイオレットの達観した人は、そのときに主と決めた人・団体・思想に対して従順に尽くしますが、「自分で考えて動く力」も持ち合わせています。主の指示がなければ自分で考えて動き、それを高い精度で遂行できます。
ときに主の不正を暴き、言及します。
このようなバランス感覚を持った従順な人は、広い世界の中にもほとんどいません。何かに従順な人々はほとんどが盲目的で、思考力が弱いです。
ロイヤルブルー:「俗社会からドロップアウト」しているが「俗社会を生き抜く強さ」がある。
ロイヤルブルーは沈黙の色です。俗社会の不誠実さや争いや流行の愚かさに気づいており、そこから身を引こうとします。
しかし、ただの軟弱な引きこもりの人はロイヤルブルーで達観しているわけではありません。
学業や人付き合い(いじめ、愛想、規則など)、労働などに耐える力もなく引きこもるのは「逃避」にすぎず、人格者ではないです。そのプロセスで得られる気づきがあるため、引きこもりを激しく批判する必要はありませんが、彼が達観しているわけではありません。
たとえば仏教の寺ごもりをする人や山に潜む修験者などは、社会を生きぬく強さが乏しいゆえに自然の中に逃避している感が強いです。複雑な現代社会に適応できないのです。彼らは質素な生活や自然、サバイバルなどに強いかもしれませんが、ロイヤルブルーで達観しているわけでありません。
ロイヤルブルーで達観した人は、俗社会からドロップアウトしようとしますが、精神性の高い人を探してより善い生き方をしようとします。
ロイヤルブルーで達観した人は理想主義で、理想的なものが存在しないなら自分でそれを創ろうとします。
ターコイズ:「ありのままの自分をさらけ出す」が、「自己防衛」をわきまえている。
ターコイズには、「オープンハート」というテーマがあります。自分の本音を赤裸々に打ち明けることです。
ターコイズで80点を超えたいなら、デジタル機器や芸術、海外旅行に長けるだけでなく、恥ずかしい本音をさらけ出せるオープンマインドが必要です。「ローションでヌルヌルになるセックスがしてみたい!」といったふうに。
しかし、本音をさらけ出すことでトラブルをこうむりがちな人は、ターコイズで達観しているとは言えません。SNSなどで過激な性欲やセクシーな自撮り写真などさらけ出す人は、軒並みその結果を想定できておらず、危険でいっぱいです。身近な人々にも迷惑をかけます。
ターコイズで達観している人は、リスクを回避しながらオープンハートや自己表現を楽しみます。
TwitterやTik Tokで見かける赤裸々な人々は、ターコイズで達観しているとは言えません。
激しい性欲があることやそれを口にすることなどを気持ちよく感じる観念が人にはありますが、「ローションでヌルヌルになるセックスがしてみたい!」などと打ち明けるのは安全な相手を慎重に選んで行う必要があります。
ターコイズの達観した人は子供のように楽しそうですが、クレバーで慎重です。