特に厄年などには、厄払いをしようと気になって仕方ない人も少ないことでしょう。普段、スピリチュアルなことを嫌う人でも、厄払いをしたがる人は多いですね。
厄払いとは?人生の無事を祈願する行為。
厄払いとは、お祓いをして厄を落とし、人生の無事を祈願する行為をいいます。
正式には「厄祓い」と書きますが、「厄払い」という表記のほうが一般的でしょう。
厄落とし、厄除けなどとも呼ばれますが、厄除けは未然行為として厄払いとは区別して使われることもあります。
厄払いには何の効果もない。
結論から言いますが、厄払いをしても何の意味もありません。宗教施設や霊能者は、高い費用を請求して厄払い行為をしますが、何の効果も起きていません。つまりサギなのです。これは神社においても言えることです。有名な神社、人気の神社の厄払いも、何の効果もありません。
厄払いは、宗教の商業化とともに発生したサギ商売。
厄払いなどという行為はもともと存在しませんでしたが、宗教が商業的になってくると、多くの地域の宗教が厄払いという概念を宗教行為の中に持ち込みはじめす。トラブルを恐れる人、相次ぐ不運を嘆く人の弱みにつけこみ、「厄が付いているから悪いことが起こる。お金を払えばそれを祓ってあげましょう」と言い寄るのです。
厄払いの料金相場は5,000~10,000円程度。いたずらでは済まない。
厄払いをすることでトラブルが減ったなどという統計はまったく出ていないのですが、しかしこのようなことを言われる(読む)と、論理的な現代人ですら、多くの人は不安に感じて、厄払いに大金を投じてしまうのです。
厄払いの料金相場は5,000~10,000円程度で、いたずらでは済みません。
服装、封筒、祈禱料など変えても効果が無いことには変わりない。
厄払いは、神社、お寺、個人の霊能者など様々な場所で行われていますが、どの神社なら効果があるとかどの宗派なら誠実ということはありません。
もっともらしく、時期を決めていたり、服装に注意点があったり、祈祷料を包む封筒に指定があったりしますが、いずれも何の意味もない茶番です。
厄年という概念が、そもそも迷信でありでたらめ。前厄・後厄もしかり。
もちろん、厄年という概念も迷信にすぎず、その年齢だけ特に災厄に見舞われやすいということはありません。ご安心ください。前厄や後厄もしかりです。
祈願や開運、宗教儀式の類は、厄払い同様に効果はない。
ちなみに、神社やお寺、寺社仏閣で行われる祈願や開運、宗教儀式の類は、厄払い同様、どれも効果はありません。
絵馬、合格祈願、護符、破魔矢、しめ飾り、おみくじ、初もうで、お宮参りなども効果はない。
絵馬に願望を書いても、それを境内に飾っても願望成就しやすくなったりはしませんし、合格祈願や必勝祈願で参拝しても効果はありません。たとえば必勝祈願では、勝てるようになるわけではないのはもちろんのこと、最善を尽くせるように計らいが起こったりもしないのです。合格祈願も同様で、合格祈願することで当日のコンディションが良くなったりなどもありません。
護符を購入して持ち歩いたり、家の神棚に貼ったりしても、何の効果もありません。護符を持っている人のところにも低級霊や幽霊はやってきます。
破魔矢やお札、鏡餅、門松、しめ飾りなどが福を呼んだりはしませんし、それらを用意しないことで先祖霊が怒ったりバチが当たったりすることはありません。
おみくじの内容もでたらめですし、凶くじを木にくくりつけることで運気の低下を防げたりもしません。
初もうでに大変な混雑の中を参拝しても、何の効果もありません。むしろお金と健康を損ないます。
子どもが生まれると、お宮参りの類を色々とせっつかれますが、それらの祈祷行為にも何の開運効果もありません。
お寺や神社は願掛けの場所ではなく、道徳教育と座禅瞑想の場。
「じゃぁお寺や神社は何しに行くところなんだ?」とあなたは言うかもしれませんが、お寺や神社はもともと、霊的な道徳を教えるところであり、静かに座禅瞑想をする場所でした。寺子屋というのはそこから発展して読み書きを教えるようになったものですし、座禅瞑想のための環境作りの名残は、今でも静寂と掃除を保つ習慣に見てとれます。
お葬式のお経は無意味とも言えない。
ただ1つ、お葬式のお経については無意味とは言えません。
お経も、必ずしも死者にとって不可欠というわけでないのですが、実情として日本の死者の多くは、自分の写真の前でお経があげられているのを(霊界から)見て自分の死を自覚することが多いので、よほど霊的に詳しかった故人以外は、とりあえずお経はあげてもらっておいたほうが良いです。
しかしお葬式に大金を費やす必要性はなく、お墓も高価なものを買う必要はありません。
宗教は、これほどまでに腐敗しているのです。
日本人の多くは外国人の宗教信仰を軽蔑しますが、日本人はこれほどまでに多くの無意味な願掛けに、お金を払っています。
宗教施設に足を運ぶ回数は日本人は諸外国よりも少ないでしょうが、しかし願掛けに払っている金額については、世界一かもしれません。日本人大衆は何気に、迷信深い人々であり、オカルトなのです。
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