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れな

初もうでに開運効果はありません。行かなくてもバチは当たりません。

スピリチュアリストの神秘主義を嘲笑する人は多いです。

たとえば、妻や彼女がパワーストーンのブレスレットを買うのを見てため息をついている男性は多いことでしょう。

しかし、それでいて、自分も効果のない神秘主義に夢中になっている人が、非常に多いです。

「初もうで」などにも言えます。お正月に神社やお寺に赴いて参拝する行為ですね。



初もうでに開運効果はありません。

初もうでは、お正月に寺社仏閣に訪れて、一年の幸運や発展を祈願するものとして知られています。

宗教をあざ笑う人も、スピリチュアリストをあざ笑う人も、そのほとんどが熱心に行います。大晦日の晩、終電の大混雑にうんざりしながら、開運効果が高いと噂される有名寺社にはるばる赴きます。三が日の大喧噪の中、混みあった寺社の中で熱心に参拝します。開運グッズや干支の置物、おみくじを買い込みます。

さて、それらに開運効果はあるのでしょうか?

まったくありません。

初もうでに丸一日を費やし、ディズニーランドのような喧噪に耐え、何万円も消費して帰ってきても、何の開運効果もないのです。ラブ運が上がらないかなと1万円のパワーストーン・ブレスレットを買う少女よりも、ずっと滑稽(こっけい)な行為なのです・・・



神社やお寺は内省のために行くところ。祈願の場所ではない。

神社やお寺を、「開運を祈願するために行く場所」と思っている人は多いです。論理的な男性でもそんな欲望を持っていますし、企業社長やプロスポーツチームすら、商売繁盛や必勝を願って参拝に行きます。

しかし、それは迷信であり、的外れなのです。


神社やお寺というのは本来、霊的な道徳を教えるために存在しました。または、座禅瞑想を組んだり、静かな場所で内省をするために行く場所でした。

いつしか、宗教がお金儲けに励むようになってしまいました。お賽銭やお布施をくすねとるために、「うちの神社に参拝すると、商売繁盛しますよ」などと言い出したのです。とても卑しい行為なのですが、10円払ってお祈りするだけで願いが叶うなんてうれしいな、と多くの大衆は誘惑され、疑いもせずに寺社に祈願参拝をするようになったのです。(そして霊的道徳や内省のために寺社に行く人はほとんど皆無になったのです。)


結局のところ現在、神社やお寺というのは、怪しい霊能者の開運祈願みたいなものを、生真面目な外観の施設の中で行っているにすぎません。怪しいスピリチュアリストと寺社の神職者は、同じことをやっています。

神社やお寺に〇〇祈願に通う人々は、パワーストーンやオラクルカードや金運サイフを買い集めているスピリチュアストと同じように愚かです。



絵馬にもおみくじにも効果はない。出雲大社でも伊勢神宮でも開運はしない。

もちろん、絵馬に「大学合格!」と書いて1,000円払ったところで何の効果もありません。おみくじの内容はすべてでたらめです。

大黒様を祀っている神社にも、金運アップの効果はありません。

出雲大社も伊勢神宮も、開運効果はありません。



初もうでを報告するスピリチュアルブロガーは、信頼に値しない。

正月になると、SNSやブログでは、「はるばる伊勢神宮まで初もうでに行ってきました!神聖なパワーに満たされてきました!」などと綴るスピリチュアリストが増えますね。彼らは皆、無知なのです。盲目であり、過剰神秘主義というものです。

スピリチュアルな情報を発信している人がこのような初もうでを行っているなら、その人の情報は信頼に値しないので、読まないほうが良いです。きっと、「〇〇をすれば運気アップ」といった誘惑的堕落的な情報ばかりでしょうし。



初もうでをしなくても、バチが当たったりはしない。

初もうでに行く理由として、「それをしないとバチがあたる」(運気が下がる)と考えている人も少なくないようです。

しかし、それについても心配は要りません。

別に、初もうでをしなかろうがその神社の氏神は怒りませんし、あなたの先祖霊もガイド霊も、バチを当てたりはしません。

(そもそも、氏神などというものは存在しません。伊勢神宮に天照大神はいません。たまたま人格神が遊びに来ていたとしても、彼らに開運の力はありません。)



世間体のために行くなら、混雑が過ぎてから行けばよい。

地域付き合いや人付き合いの様子によっては、「初もうでに行かない」と言うと軽蔑されて大変なことになってしまう人もいることでしょう。

世間体のために行かなければならない場合、3が日を過ぎたあたり、大混雑が過ぎ去った頃に、ひっそりと行くとよいです。混雑の苦痛が少なくなります。

わざわざ有名な神社・お寺に行かなくても、近所の小さなところに行けば充分です。

何も買わなくてよいですし、お賽銭を払わなくてもよいです。お賽銭を払わない姿が恥ずかしいなら、1円だけ放っておけばよいです。



何も売らない小さな寺社のほうが、誠実です。

仕方なく初もうでに行くとしても、商魂卑しい大きな神社でその熱気に包まれるのは、不快で仕方ない人もいるでしょう。

正月ですらおみくじも何も販売しないような、小さくて無名で質素な寺社のほうが、管理者は誠実です。精神性が高い傾向にあり、過剰神秘主義にも商業主義にも陥っていないでしょう。住宅街の中にひっそりとあったりします。

そういうところに行くとよいです。



「お賽銭を払って祈願すると願いを叶える」という理屈に、違和感を持ってください。

「お賽銭を払って祈願すると願いを叶える」という理屈に、違和感を持ってください。

一体、神がそんなことをするでしょうか?

アセンテッドマスターがそんなことをするでしょうか?

お金を払った人の願いを叶えるのですか?

お賽銭を払った生徒を、大学合格しやすくするのですか?

お賽銭を払った社長を、商売繁盛させるのですか?

とても卑しい、滑稽な話です。ある程度知性があれば、そうしたいわれが「おかしい」と気づけるはずなのです。ほとんどの神社・お寺が卑しい商売に陥っていることに、気づけるはずなのです。

スピリチュアルな知識やサイキックがなくても、一般的な知性で、気づけるはずなのです。

黄色のオーラが70点くらいある人は、気づいているでしょう。

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