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  • れな

人間には自由意志が認められているの?

スピリチュアリストや自己啓発者には、やたらと自由に快楽的に生きている人がいます。それは怠惰ではなくスピリチュアルだと主張し、その理屈として「人には自由意志があるから何をしてもよいのだ」と言います。

それは霊的真理として正しいのでしょうか?



自由があるが、責任がある。

霊的真理の面から言って、たしかに人には自由意志が認められています。

しかしそれと同時に、責任も背負っています。これは「カルマ」と呼ばれているものです。「因果応報」というものです。

「不良になりたいならなればいい。しかし暴力的で嘘つきな人たちに、あなたは苦しめられるだろう」

という具合です。


「自由意志がある」という言葉は、「好きに生きていいんだよ」という意味ではありません。「どの道を選びどのカルマをこうむるかは、あなた次第だ」といった意味合いです。



ブループリント・使命という目標がある。

人は、好き勝手に生きてよいわけではないのです。

それぞれがブループリントを決めて生まれてきています。使命とも言えます。

その自分の課題に向かって生きることが、誰にとっても大切です。

ブループリントを達成するのは大人になってからになることがもっぱらですが、しかし子供の頃は、そのブループリントに合ったジャンルのことに取り組み、修練していくことが大切です。


「人には自由意志があるのだから、テレビゲームにばかり夢中になっていたってよいのだ」というわけではありません。



大学の単位のようなもの。ある程度自由はある。

ブループリントを目指し、それに必要なスキルや体験を積み重ねていくことが大切です。しかし、どう生きるべきか何をすべきかは、小学校のカリキュラムほどがんじがらめではないです。

それは大学の単位のようなもので、ある程度は自由が尊重されています。

たとえば作家になるブループリントを持つ人は、大まかに言って「文章能力」と「深い人生体験」が必要です。幼少時代に読者や勉強に励んで文章能力を先に磨いてもよいですし、幼少時代にはフリースクールで生きるなどして深い人生体験を磨いてもよいのです。


たとえば、中学や高校には期末テストというものがあります。

5教科のテスト勉強をしなければなりません。とはいえ、まず数学からとりかかるのか、先に社会をやるのか、それは生徒個々の自由が尊重されています。どこで休憩をはさむのも自由です。ときには2時間も休んでテレビゲームをするとしても、テストで80点をとるなら誰も怒りはしないでしょう。



ブループリントとそれにおける修練も、同じようなところがあります。

ブループリントと自由意志は、成熟した社会を造るためにある。

人はなぜ生きているのでしょう?

人はなぜブループリントを持つのでしょう?

それは、「より成熟した社会を造るため」です。

より成熟した社会に貢献することが、個々の役割です。そうでないと、快適な世の中を作ることはできません。


「人には自由意志があるから好きなことをしていてよい」という人がいます。では、すべての人がずっと遊んでいたら、社会はどうなるでしょうか?

医者も看護師も掃除人も郵便局の受付員もいない社会になってしまいます!

野菜を作る人も、栄養バランスのとれた食事を作る人もいなくなってしまいます!

それで社会が円滑に回るでしょうか?回りません。


スピリチュアリストが「人は自由に生きていいんだよ」と説くことは、間違っています。

それを皆が真に受け、自由奔放に生きるなら、日本はスラム街になってしまいます!

それぞれが犯罪ばかりを行い、必要なものは人から奪う。必要なお金は人からむしりとる。セックスをしたければレイプをする。そのような社会になってしまいます!


犯罪をしないとしても、それぞれが家にこもってテレビゲームやアイドル観覧に没頭していたら、社会は回らなくなります。



ほとんどの仕事はロボットやAIが肩代わりするでしょう。しかし・・・

人々が仕事めいたことをしなくても、それらの多くはロボットやAIが肩代わりするようにはなるでしょう。野菜作りや介護は、人が放棄してもロボットがやってくれるようになるでしょう。

しかし、社会貢献めいた仕事を皆が放棄して、快楽的な遊び・趣味ばかりにほうけていたら・・・?やはり社会は崩壊します。優しい人は誰もおらず、助け合いは成り立たず、荒んだ世の中になります。

すでに近年、助け合いに無関心な人たちばかりで、地方自治・マンション自治は崩壊しています。



サラリーマンや主婦でいなければならないわけではない。

「好き勝手に生きてよいわけではない」と繰り返し書いています。

しかしそれは、「サラリーマンや主婦として従順に生きなくてはならない」と言っているわけではありません。

それぞれが、多種多様なブループリントを持っています。

ユニークな仕事やライフワークを送るべきブループリントの人もいます。


恋愛をするブループリントの人もいます。

旅をするブループリントの人もいます。



歯車が2,3なくても社会は回る。

神もしくは高次ガイド霊たちには、造る社会のヴィジョンがあり、それに合わせて人々にブループリントを設定して、世界を形成しています。

とはいえ、すべての人が完璧にブループリントを担わなければ世界が破綻するわけでもありません。

それは小学生の掃除のようなものです。

1班の6人の児童が、理科室の掃除を割り当てられます。そのうちの1人が休んでも、理科室の掃除は出来るでしょう。

1人、2人が欠ける程度でも社会全体のブループリントが達成されるように、人材は余裕を見て配置されています。

しかし、1班の児童の6人すべてが、掃除を放棄して遊んでいてよいでしょうか?それでは掃除が完了しなくなるのです。

社会の中で、誰かが病気になったり、引きこもったり、長期休暇に出かけてもよいのです。しかし、皆が好き勝手に生きてはまずいのです。


今の日本社会はすでに、「皆が好き勝手に生きている」ような状態にあります。

社会はそれなりに回ってはいますが、神や高次ガイド霊の描く社会とはかけ離れています。「アセンション」「集団アセンション」という言葉を聞いたことがあるでしょう。日本は本当は、2012年頃には、自給自足のナチュラルな社会を築き上げている計画だったのです。そのためにインディゴチルドレンやクリスタルチルドレンが大量に転生したのです。

しかし人々のほとんどは、「儲ける仕事」「楽な仕事」「安定生活」に身を染めてしまい、ブループリントはまるで果たされていないのです・・・



ブループリントよりも目の前の状況にアジャストすべきときもある。

自分のブループリントを生きたり、そのための勉強(修練・体験)をすることは大切なのですが、ブループリントが常に最優先というわけでもありません。

状況によっては、ブループリントよりも目の前の状況にアジャストすべきときもあります。

たとえば、あなたが保育士になるブループリントを持っているとします。しかし、お母さんもお祖母さんも急な病気で倒れてしまいました。家庭を支える人も、二人を看病する人もいません。そんなときあなたのガイド霊は、保育士として働くよりも、仕事を辞めて家庭を切り盛りすべきと指示を出すかもしれません。

(お母さんや家庭を振り切って保育士の仕事にまい進せよ、と指示することもあります)



「使命を生きなくてもいい」というケースもある。

たとえば、「オールドソウル」たちは啓蒙の使命を持って生まれてきています。

しかし彼のガイド霊は、「啓蒙活動はしなくていい」と言うかもしれません。

それは、今の日本人大衆の精神性があまりにも低いからです。「自立的に生きるべき」「ナチュラルに生きるべき」と啓蒙しても、誰も耳を傾けないばかりか、「あいつはうざい」と煙たがられ、攻撃されたりします。孤立してしまいがちです。

使命を生きたところで骨折り損になってしまうため、「使命を生きなくていい」とガイド霊が指示することもあります。


また同じ理由から、ガイド霊が精神性の高い人に対して隠居を勧めることがあります。「社会貢献など考えずにあまり人と関わらずに暮らせばいい」と言ったりするのです。「仕事は簡単なものでいい。親の遺産を食いつぶして暮らせばいい」と言うこともあります。

しかしこのような人は、その静かな暮らしの中で、ひっそりと人の役に立とうとするでしょう。自分を高めるために何かをがんばっていたりするでしょう。

たとえば精神性の高い旅人は、旅で得た気づきを人に語って聞かせようとするでしょう。

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