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霊的真理|人生を幸福にする方法

「幸福な人生を生きたい」と誰もが願っています。

そう願っていて、そのために膨大なお金を注いでいるのに、なぜほとんどの人は不満顔なのでしょうか?なぜ幸福を掴めないのでしょうか?



私れなは、お金持ちになれば幸せになれると思っていました。

しかし、お金持ちの男性と結婚したときに、ものすごい虚無感に襲われたのです。そこに待ち焦がれた幸福などなかったからです。私の夫は悪い人ではなく、私に対して冷たくもありませんが、裕福な男性と結婚して安定を得たところで、それは「ふぅ、一安心だわ」といった程度の思いでしかないのです。

それは喜ばしいことではありますが、幸福や感動とはほど遠いものでした。

お金で恍惚を買うことはできます。しかしそれらは「無難な喜び」でしかないのです。20万円のブランドバッグを手に入れても、そこにびっくりするような感動はありません。3万円のお寿司も、1万円の焼肉も、50万のドレスも同じです。食器洗い機も同じです。



ドラマを生きる。

では、人生を幸福にするものとは、何なのでしょうか?

それは、「ドラマを生きる」ということです。

自分の人生の中に、小説や映画のような、感動的なドラマを作ることで、人は圧倒的な幸福を感じます。「あぁ、生れてきてよかった!」というものです。

これは簡単なようで難しく、だからほとんどの人は、むなしさを抱えたまま暮らし続けているのです。


「ドラマチック」という言葉があります。

非日常的、という感じでしょうか。そして深く感動的ストーリーを感じさせるものです。

これを体験したいなら、つまり、「無難な日常生活」の繰り返しでは叶わないのです。


ドラマの内容自体は何でもよいのです。冒険でも恋愛でも良いのです。

しかしいずれにせよそれは、少々奇想天外な行動を、自らとらなければなりません。勇気が要りますし、行動力が要ります。



予定は最初の3日しか決めてない、あとは未定

たとえば冒険的な感動を望むなら、やはり旅行に出かけることが得策です。

ここで、3泊4日のパックツアーを選んではだめなのです。

冒険的なドラマを得たいと願うなら、会社を辞めるくらいの決断が必要です。旅がいつ終わるか、自分でもわからないようなものにするのです。または、少なくとも1か月くらいの休暇をとり、「予定は最初の3日しか決めてない、あとは未定」というような状態を作るのです。4日目からどうなるか、それは運を天に任せます。

もちろん、3日目以前に予定を変更したって良いのですが。


ドラマはもっぱら、人との出会いから生まれます。そのためには、あまり観光客の多い有名観光地は選ばないほうがよいです。そういう場所に行っても、出会うのは観光業者ばかりになります。旅行者慣れした人ばかりです。愛想よく笑わせてくれるかもしれませんが、月並みなもので終わります。

もっと誰も行かないような場所のほうが、ドラマは起こりやすいです。

たとえば九州の長崎沖の小さな島ですとか、沖縄に行くなら無名な離島などです。

見たこともない景色の中で、思いがけない体験をするでしょう。

自然の多い場所のほうが良いです。アミューズメントパークの中にファンタジーはありません。洞窟など歩いてみるから、誰も知らない抜け道など見つけたりするのです。

旅をして、歩いてみると、意外と誰でも、こうしたファンタジーに遭遇します。人のあまり踏み入れない場所には、不思議な場所がたくさんあります。


大切なのは、「この先に歩いていったら、帰れないかもな」と感じても、それでもやってみることです。失敗や痛みをおそれていると、無難な行動しかできず、無難な結果しか得られません。一生思い出に残るようなドラマを得るには、少なからず痛みを覚悟して闇を突き進んでいく必要があります。


くぐり抜けたその先で、奇妙な誰かに出会い、しばらくそこで暮らしたりするかもしれません。「暮らし」があったなら、そのドラマはもう最上級です!

昨日までの日常風景とは違う、そして旅行とも違う空気の中にゆったり浸っていると、まるで小説や映画の主人公になったような気持ちになります。

文章で書いてもあまり伝わないでしょうか。実際にはここには、ものすごい恍惚とファンタジックな感動があるのです。西洋風の景色でなく、日本の古い漁村などにたたずんでいても、それでもファンタジックに感じます。

男性や、少年ジャンプの漫画が好きな女性などは、こういう「ドラマ」を一度くらいは体験しておくとよいですよ。

それをする前とした後で、あなたは大きく一変するでしょう。



最高の恋はどこにある?

最高の恋愛に憧れている人も、やはり旅をしたらよいです。

友達と一緒にではなく一人で出かけ、そして人と関わりやすい民宿やゲストハウスなど泊まりましょう。

ビーチでナンパしてきた男性についていってはダメです。それも、人によっては面白い体験になるかもしれませんが、観光地で旅行者女性に声をかけまくる男性と親密になっても、そこに一生ものの感動はありません。

そもそも、男性に口説かれるのを待っていてはだめです。

恋愛しようなどと、思わなくてよいです。

ふとしたきっかけで出会った人と、男性女性関係なく、老い若い関係なく、語り合ってみましょう。深い話をします。

それが恋愛に結びつかないとしても、味わい深いドラマがあるでしょう。高級ホテルに泊まってパラグライダーのオプションレジャーをするよりも、ずっと楽しく、感動的なのです。


そうしたことを重ねていると、深くて、かつセクシーな男性に出会ったりもします。

数時間一緒に語らうだけでも楽しいですが、ワンナイトラブや一夏の恋に身を投じてみるのもよいでしょう。誘われたから応じるのではなく、あなた(女性)のほうから誘うのです。そうすれば、本当に誠実な男性と、感動的な恋愛ができます。

その恋のことは、誰にも話さないほうがよいです。

年がたって、時々ひとり思い出すときに、あなたはあなただけの感動映画に没頭します。すべての名作映画が、色あせるでしょう。あなたは、映画やドラマを観たいとは感じなくなるでしょう。



憧れの男性に声をかける。

恋愛に重点を置くなら、必ずしも旅行先で出会いを探す必要はなく、見ず知らずの人を選ぶ必要もありません。

普段の生活の中で知った人でもよいです。

あなたが憧れやトキメキを感じる人に、声をかけてみてください。彼を食事に誘うのです。

ふとしたメールから、ペンフレンドのようなものになるのもよいでしょう。夜の静かな時間、詩人のように言葉をつむぎ、情緒豊かに文章を書きます。それが無理なら、きゅんきゅんと可愛いラブメールでも良いです。とにかく、友人には見せられないような、でも本心のあなたを素直に見せます。

「この人なら落とせそうだな」という人を選ぶのではなく、あなたが大好きな、高嶺の花に感じるような人を選びましょう。そうでないと、究極の恍惚にはなりません。

「この人は私を向こう50年間養ってくれそうかしら?」などと打算的なことは考えないでください。貧乏な芸術家だってよいのです。未来の愛も扶養もどうでもよいのです。今、あなたが、彼と接していて恍惚できることが大切です。

誠実に誘えば食事もできるでしょう。手もつなげるでしょう。セックスさえもできるでしょう。それをすればよいのです。

自分に、最高の感動を許してあげてください。


要点は、「行動すること」です。彼に口説かれるのを待たないでください。あなたからアクションを起こし、彼を振り向かせます。あなたから手をにぎります。そうでないと最高の感動になりませんから。

冒険旅行のケースと同じで、失敗や痛みを恐れないでください。

「撃沈してもいいや」という覚悟で、彼に飛び込んでいきます。撃沈したら、また次のトキメキを探せばよいだけです。

撃沈することを、不幸だとは思わないでください。胸に痛みを感じるのは仕方ないことですが、それで彼をうらむ必要はなく、その痛みを引きずり続けるのも違います。ただただ、前だけを見続ければよいです。

撃沈したとしても、彼と交わした交流が、あなたにとって恍惚で、幸福で、すでに意味があるのです。

そして、大抵は上手くいきます。結婚や交際は無理かもしれませんが、彼との二人きりでのデートは叶うでしょう。ボディタッチも叶うでしょう。それだけでもう、あなたはとても幸せです。


そう。恋愛の幸福というのは、「交際」や「結婚」の契約を勝ち取ることにあるわけではありません。友達以上恋人未満な曖昧な関係であったとしても、大好きな彼と親密な時間を交わせれば、最高に幸せです。恋人になれなくても、セックスができれば最高に幸せなのだということに気づいてください。肩書きではなく体験が、あなたを幸福にします。



勝ち負けのない事柄のほうが良いです。

芸能人を目指すようなことも、同じようなドラマチックな感動を得られます。それをやっても良いのですが、芸能人やオリンピックといったものは勝ち負け・当選落選があり、ごく一部の人間しか栄光を掴めない性質があります。

しかし、冒険旅行や恋愛においては、みんなが幸福を味わうことができます。



こうしたドラマを味わうと、ぜいたくや快楽に興味がなくなるでしょう。

あらゆる高級品が、色あせるからです。100万円の指輪も、100万円のホテルも、大して魅力的に感じなくなります。お金で買えるものはどれもつまらないです。

そして、ふるまいに落ち着きが出てきます。焦りや虚無感を抱かなくなります。「もういつ死んでもいいや。私、最高にハッピーな体験したから♪」と思えているからです。

すると、暮らしが変わってきます。快楽をむさぼるようなことはしなくなり、そのためのお金稼ぎに夢中にならなくなり、人のために献身するようなことに多くの時間を使いたいと感じるようになります。眠ってご飯を食べたら、あとは人のために何かしていればいいや、という感じなのです。

無欲な状態ですが、これは「欲望を我慢できている」のではなく、「欲するものが大してない」のです。我慢も抑圧もしていないので、心の底から献身できます。

こういう人の笑顔は美しく、ふるまいは美しいのです。


アセンションとはまた違った、人生のゴールと言えます。