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れな

ヨガは精神や肉体に良いの?ヨガで悟ることが出来るの?

スピリチュアルなメソッドの中でも、知らない人はいないというほどに普及したヨガです。今では駅前のフィットネススタジオなどでも盛んに営業され、スピリチュアル好きでない人々をも巻き込んでいます。

ヨガは神聖なものというイメージがありますが、ヨガは本当に体によいのでしょうか?

ヨガを行うことで、悟ることが出来るのでしょうか?



ヨガをすれば悟れる、というわけではない・・・

多くの人は、ヨガを少々かんちがいしています。

ヨガの様々なポーズを行うことで、悟りに達することが出来ると期待していませんか?

それは誤りです。

いえ、かんちがいするのは当然です。日本のスクールも、本場インドのヨガスクールの講師たちも、そのように胸を張って言うのですから。つまり、講師や第一人者たちでさえ、ヨガのことをよくわかっていないのです。


ヨガを懸命に続けていても、ゴータマ仏陀のように悟りを開くことはできません。



ヨガとは、ストレッチ+呼吸法(精神統一)。

ヨガは、簡潔に言えば、「ストレッチと呼吸法(精神統一)」を組みわせたものです。

ヨガで行われるポーズの数々は、ストレッチの効果があります。体が柔らかくなり、柔軟性が高まります。または、筋力を使うポーズであれば筋力も付きます。

つまりそれは、悟りではなく「運動」です。ヨガとは、運動なのです。


ヨガに似た運動は世界中にたくさんあり、ラジオ体操も同種のものと言えます。

その中でヨガの大きな特徴だったのは、ストレッチに呼吸法を組み合わせたことです。

「長く息を吐く」といった深い呼吸を徹底することにより、脳波が下がり、心が穏やかになっていきます。眠る前に人が心を落ち着けようとするのと同じことです。

ヨガをするときは、おしゃべりをやめ、快楽について考えるのをやめ、静かに心を鎮める。これにより、多動的だったインド地方の人々は、穏やかな心を培ったのです。


深い呼吸をするとことで、腹筋、腹式呼吸など鍛えられるメリットもありますが、最もは「心が落ち着く」というところに意図があったのです。



呼吸法(精神統一)を続けていると、第三の目が開き、サイキックが発達する。が・・・

深い呼吸を続け、精神統一をする。そのような行為を一日に30分以上、それを3か月も続けると、たしかに神秘的な出来事に出会います。

座禅的な精神統一は、第三の目を活性化させます。霊視、霊聴などのサイキック能力が発達するのです。


元々、「ヨガをすれば悟れる」と言われたのは、このためです。

急にまぶたの裏に映像が視えるようになる神秘を、「悟り」と表現した者たちがいたのです。

第三の目の開眼は、「悟り」と言えなくもないですが、それは「悟りのごく一部」という感じです。


霊視は、実はスポーツと同じような「技術」であり、こうした精神統一を繰り返し努力するなら、およそ誰でも身に付けることが出来るのです。

「悟り」というと、精神性のすごく高い様をイメージするでしょう。しかし、霊視がある人が精神性の高い人とは限りません。巷の霊能者は、うさん臭い不誠実な人ばかりですね・・・。



霊視を求めてヨガをしているなら、あなたは道を誤ってしまう!

つまり、もしあなたが、霊視や霊聴の開眼を期待してヨガのエクササイズを続けているなら、あなたは道を誤ってしまいそうです!

それで霊視が開けたとき、あなたは、「私に頂点に達した!」とうぬぼれてしまうでしょう。

そこでもう、スピリチュアルな真理を説くブロガーなどなってカリスマのように振る舞おうとしてしまうでしょう。それは違うのです。


霊視の開眼は、「世界には非科学的な領域があるんだな」と気づくきっかけに過ぎません。

霊視で視えるものは、当人の妄想や低級霊のたぶらかしであることも多く、世界平和の役に立つとも言えないのです。霊視が出来ても、素晴らしいチャネラーにはなれません。


ヨガのゴールは霊視ではないです。

霊視が開眼しても、まだヨガを続けましょう。または座禅的な精神統一を続けましょう。霊聴が開眼しても、まだそれを続けましょう。霊聴すら、完全な悟りではないのです。


なお、霊視はサイキックのゴールでもありません。さらに達観した人は霊視が閉じ、霊聴を経て、霊視も霊聴もなくなります。それを理解しているスピリチュアリストはほとんどいませんが・・・。



ヨガ業界はカルト宗教的な危うさがある。

ヨガは良いものですが、危険なものでもあります。

上述のように、ヨガは過剰に神秘視されていたり、ヨガ講師は誤ったスピリチュアリズムを妄信して、それを人に教えています。

つまり、ヨガに浸かりすぎると、カルト宗教の信仰のような危険なことになってしまいがちです。当人たちはそれに気づいていませんが、今もう、ヨガ実践者のほとんどはカルト宗教的なのです。

いえ、ヨガだけではありません。アロマテラピー業界も、マクロビオティック業界も、フラワーレメディ業界も、オーラソーマ業界も、どこもカルト宗教的です。


ヨガ講師の言うことを、なんでも真に受けることは控えましょう。

ヨガの古い文献に書かれている内容も、誤りは多いです。



実践的、健康的であるぶん、他のスピリチュアルよりはマシと言える。

ヨガには良い点もあります。

ヨガは、自ら体を動かして努力をし、汗を流したり鍛えたりするものです。継続をがんばるものです。それは少年たちが野球部を続けてがんばるのと同じように、実践者の肉体や根性を鍛えてくれるでしょう。

引き寄せの法則、アロマテラピーなど他のスピリチュアルメソッドは、他力本願的かつ努力を伴わないものが多く、実践者を堕落させがちですが、それらと比べて、ヨガは健康的と言えます。


ヨガ実践者は、スピリチュアル業界の中でも、体育会系の部活で耐えてきたような努力家でストイックな人が多い傾向にはあります。



基礎を覚えたら、スクールを辞めたほうがよいです。

ヨガをたしなみたいと思ったとき、まずスクールに通う人は多いでしょう。

しかし、いつまでもスクールに通い続けないほうがよいです。集団でヨガを行わないほうがよいです。

ヨガは呼吸法が重要なポイントですが、呼吸の長さは個人差が大きいからです。

誰もが30秒で吐き切るわけではないですし、講師と同じタイミングでもありません。

あなたはあなたの呼吸の長さ、あなたの成長度合いに合わせて呼吸をしたほうがよいので、スクールで講師や他の仲間に合わせるのは、良くないのです。


また、ヨガ講師にはおしゃべりをしながらレッスンする人も多いものですが、おしゃをしながら(聞きながら)ヨガをしていると、精神統一しにくいです。

ほとんどのヨガ実践者は、精神統一など出来ていないのです(笑)


さらに言えば、取り組むべきポーズも人それぞれです。

デスクワークで猫背を直したい人と、立ち仕事で二の腕のだぶついている人とでは、重点的に取り組むべきポーズは異なります。ヨガスクールでは、定番のポーズやニーズの高そうな無難なポーズを多用するだけなので、あなたには合っていないかもしれません。

幾つかのポーズを知り、自分の伸ばしたい筋を理解したなら、自分でポーズの構成をアレンジすべきです。



ポーズそれぞれに神秘的な効果はありません。

ヨガのポーズには、神秘的な効果はありません。

ヨガのポーズをすることで、悟りに近づいたり精神性が向上したりはしないのです。

たとえば「太陽礼拝」というポーズについて、講師は、「宇宙のエネルギーを吸収できる」とか「悟りの心に自分を持っていくことが出来る」などと言ったりしますが、それはでたらめです。気のせいです。

太陽礼拝のポーズを上手に行っても、ガイド霊や天使があなたに叡智を授けたりはしませんし、宇宙エネルギーが入ってきたりもしません。

太陽礼拝をすれば太陽のエネルギーを浴びることが出来ますが、散歩をしていても太陽のエネルギーは浴びれます。

太陽礼拝だけでなく、どのポーズも一緒です。

「これは神秘的な効果がある」と解説されているポーズも、実際にはそうではないのです。


それらは、体の様々な筋を伸ばしたり、筋力を鍛えたりするフィジカルな効果があるだけです。

「心がすっきりする」というのは、間違ってはいないでしょう。


ヨガポーズの実践を神秘的に考えることは控えましょう。ただ柔軟性と筋力が高まるだけです。



アクロバティックなポーズを極めようとしなくてよいです。

アクロバティックなポーズの出来る講師がすごい人だと、思っていませんか?

アクロバティックなポーズが出来るからといって、精神的に悟っているわけではありません。その人は運動能力が高いだけです。

「健康増進」や「精神統一」を目的にしているなら、難易度の高いアクロバティックなポーズが出来るようになる必要はないです。

アクロバティックなポーズは、完全に「スポーツ」の領域で、体をどんどん鍛えたい人だけが興味を持てば充分です。

「たくさんのポーズを出来るようになろう」「アクロバティックなポーズも出来るようになろう」と躍起になっていると、あなたはヨガの本質を見失ってしまいます!


アクロバティックなポーズを自慢気に披露する講師は、精神性が高くないです。

ヨガとは、柔軟性の高さを自慢する競技ではありません。



精神統一は、ヨガのポーズをしなくても出来る。

ヨガのポーズ実践における、呼吸法を伴う精神統一は、心を鎮めたり、サイキックの活性を促したりする効果があります。

とはいえ、それはヨガのポーズをしなくても出来ることです。

ただあぐらをかいて座禅瞑想をしているだけでも、精神統一や呼吸法、サイキックの開眼は出来るのです。腹式呼吸も鍛えられます。

正座でもよいですし、横になって目を閉じていても、精神統一やサイキック活性は出来ます。


そして、精神統一やサイキックの開眼を主目的にしているなら、むしろ、「ヨガポーズをしない」ほうが良いです。

ポーズをとって各部の筋肉を使っていると、精神統一しにくいからです。深い静かな呼吸もしにくいです。

それなら、ヨガではなくただ座禅瞑想を実践するほうが良いです。


ヨガポーズをしながら精神統一が出来るのは、多少の運動では息が切れない、筋力や柔軟性のたくましい人くらいです。現代日本人にそのような人は少なく、つまり精神統一としては、ヨガはあまり日本人に向いていないと言えます。


運動選手などが、カッカしやすい気質を改善するためにヨガの精神統一に取り組むのは、有意義と言えそうです。



座禅瞑想のほうが良いということ?そうとも言えない。

では、ヨガよりも座禅瞑想のほうが良いのでしょうか?

そうとも言い切れません。

人は、心を鎮めたりサイキックの開眼を目指したりすることも有意義ですが、「運動すること」も有意義です。

強くしなやかな体を作ることは、とても大切です。


寺ごもりや座禅瞑想を根詰めてやると、運動不足になりがちです。

座禅瞑想を好んで実践する人は、体を動かすことを嫌って運動不足になりがちです。


すると、座禅瞑想を実践するなら、ジョギングしたり他のストレッチをしたりなど、運動の実践も併せて行ったほうが良いです。



健康が目的なら、ラジオ体操だって素晴らしい。

日本人はラジオ体操を馬鹿にしているようなところがありますが、ラジオ体操は「日本のヨガ」というようなものです。太極拳やピラティスのようなものです。

ラジオ体操を真面目に行うと、結構体力を使いますし、筋力が要ります。意外と良い運動になっているのです。

「老けてきたから体を動かしたい」などと考えているなら、ヨガではなくラジオ体操も良いです。


結局のところ、ヨガにもラジオ体操にもピラティスにも、それぞれに長所があります。

どれが一番良いというものではないです。それに気づくことが大切です!


ラジオ体操は、朝起きて行うのが一般的で、早起きの習慣を作れます。

集団で行うのが一般的で、調和精神やスポーツ的な協調性を磨けます。

ラジオ体操は曲を流すのが一般的で、音楽が付随しています。しかも結構美しいメロディです。

ラジオ体操はほとんどの場合、無料で提供されています。お金もものも要りません。

ラジオ体操は、高齢者向けや、足の不自由な人向けのものも用意されていて、安全です。

ラジオ体操は、難しい資格をとらなくても人に教えることが出来ます。人々に運動の習慣を提供してあげることが、気軽に行えるのです。


ヨガを愛好していて、そのうえで「ラジオ体操も素晴らしいものだよね」と言っている人がいたなら、その人はとても良い感性をいていると言えます。また、カルト宗教的な危うさがない(薄い)でしょう。視野が広いのです。

(私はこのようなスピリチュアリストを一人しか知りませんが。)



ヨガの本質は、イスラム教のコーランに似ている。

ヨガとは本来、ストレッチのようなエクササイズのことではなく、「健康的な生活習慣の手引き」というようなものです。

ポージング運動だけでなく、食生活や日々の振る舞いなどについて、色々と道徳を説くものです。

ヨガとは元々、一つの宗教に近いものです。

性質的には、イスラム教のコーランに似ています。コーランも、一日5回の礼拝や断食など、生活習慣について様々な道徳を説いています。

日本人や欧米人は、イスラム教のこうした宗教戒律をコッケイなものだと笑う人が多いのですが、実はヨガもそれに似たものなのです。


ヨガを掘り下げていくと、様々な生活模範や自然療法的なものがありますが、それらには非科学的で意義も薄いものも多いです。

ヨガのすべてを真に受けるのは、危険なのです。

いえ、どの宗教も、非科学的で意義の薄い戒律が混じっています。



ヴァータ?ピッタ?カファ?あまりアテにならない・・・

ヨガを学ぶとき、「ドーシャ」という健康理念について教わることも多いでしょう。

人の性質をヴァータ、ピッタ、カファの3つのタイプに分けて、健康のための対策を考えるものです。

ヨガやアーユルヴェーダの講師は、「ドーシャですべてが解決できる!」などと

胸を張って言いますが、実際はそんなに精度の高いものではありません。

ドーシャの概念をあまり神格化しないほうが良いです。

いえ、陰陽五行説もあまり正しいものではありません。


ちなみに、アーユルヴェーダもそんなに素晴らしいものではありません。

アーユルヴェーダのヴェーダとは「科学」という意味なのですが、アーユルヴェーダの知恵は民間療法的な、手探りで確立されてきたものです。何かの症状に、効果を発揮することもありますが、効かないことも多いです。

シロダーラは、スリランカで2万円も払って施術を受ける価値はないと言えます。



ヨガの前に、ウォーキングをしたほうが良いかも?

「体力を付けたい」と思ってヨガを始めたでしょうか。

あなたの求める「体力」とは何でしょう?

「立ち仕事を8時間続ける持久力」「旅行中にたくさん観光しても疲れない体力」そうしたことを求めているなら、ヨガは適してはいません。

あなたは持久的な筋力を付けたほうが良いので、ヨガよりも「長時間の緩い運動」のほうが効果的です。ウォーキングやダンス、エアロビクスなどです。

ヨガでアクロバティックなポーズが出来るだけの筋力がついても、8時間立ち歩いてピンピンしていられるようにはならないでしょう。筋肉の質が違うのです。

いわゆる「足腰」は、長い時間立って歩くことで、鍛えられます。

ウォーキングがつまらないなら、カメラを提げて公園をゆっくり歩いたりすると良いです。ウォーキングよりも長い時間歩いていられるでしょう。ポケモンGOで散歩をするのもよいでしょう。



チャクラは重要な概念だが、すべてが正しいわけではない。

第1チャクラ、第2チャクラなどの「チャクラ」という概念は、ヨガが得意とする分野です。

ヨガがチャクラという概念を広めた立役者と言えるでしょう。

そして、チャクラやオーラという概念は、アセンションにとって非常に重要な知恵です。


とはいえ、ヨガで古来から語られているチャクラ学は、正しくないものも多いです。

たとえば、のどの不調があるからと言って、第5チャクラが乱れているわけではありません。


ヨガのテキストやメディアにおけるチャクラの説明を、真に受けることは控えましょう。



インドのヨガ講師は悟ってはいないです。精神性はいまいちです。

ヨガに興味を抱いたとき、本場インドのヨガスクールで学ぼうと意気込む人もいるでしょう。

しかし、インドのヨガスクールの講師に、悟った人は一人もいません。アセンションに近い人も一人もいません。

悟りに近しいヨガ行者は、商業的な講師はしないです。山奥の寺院で、ひっそりと若い僧などに教えています。商売をしないです。そもそもヨガにこだわっていないでしょう。

インドのヨガ講師はおしなべて、精神性はあまり高くないです。お金がとても儲かるからスクールの講師をしているだけです。欲深い人々です。

知識や技術はそれなりに高いでしょう。しかし、それだけです。


インドにはるばる赴いて、たくさんのカルチャーショックを体験してくることは有意義だと言えます。


もちろん、日本のヨガ講師にも崇高な精神に達した人はいません。技術が高いだけです。スピリチュアルな知識がちょっとあるだけです。技術を尊敬するのは良いのですが、精神的に尊敬すると、あなたは道を誤るでしょう。



ヨガ愛好者は、宗教を敬遠して距離をとる人が多いです。

しかしその割に、ヨガに対してカルト宗教的に妄信してしまう人が多いです。ヨガの語る神秘的な非科学を、どれもこれも鵜呑みにしてしまうのです。

それは良くないことなので、気を付けましょう。

ヨガは有意義な点の多いメソッドですが、ヨガが最も優れているわけではないです。ヨガを実践しても、悟れるわけではないです。


誤解されたくはないのですが、私はヨガを批判してはいません。

私は自分のコラムの中で、「運動のためにヨガをすると良いですよ」とよく書きます。

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