情操教育の面からもペットを飼育することを推奨・賛美する意見は多いです。
これは、霊的な視点から見て真実なのでしょうか?
動物に触れることは良いことと言える。
人が人と違う形の動物と密に触れることは、良いことと言えます。
それによって博愛精神が身に付きます。
動物の多くは人間よりも小さく弱いため、弱い存在をいたわる気持ちが身に付きます。
ペットを飼って動物愛が身に付いている人はほとんどいない・・・。
しかし、ペットを飼って動物愛が身に付いている人はほとんどいないのが実情です。
「愛玩犬」といった言い方をしますが、まさしくそのとおりで、ペット好きな人にとってペットはオモチャ、愛玩具のようなものです。
だから、ペットの殺処分の問題は減らず、むしろ増え続けています。
日本人は世界でも有数にペットを可愛がりますが、ペットの殺処分は増え続けています!
ペット飼育を情操教育の一環として教えたいなら、社会全体の殺処分数が激減するように、親や商業者たちが徹底しなければなりません。今は、商業者はオモチャを売るのと同じ感覚ですし、親も道徳教育をする気概など毛頭なく、ただペットたちが人間にいいように振り回されているだけです。
ペットを飼うほど豊かな国でも、欧米はもっと殺処分が少ないです。日本人のペットモラルはとても低く、そしてそれは年々低下しています。
日本人はペットをとてもかわいがりますが、それはもっぱらエゴイスティックな感情です。オモチャと遊んでいるような感覚にすぎません。
動物愛を身に着けたいなら学校の飼育係で充分。
「動物への愛情や世話の大変さを学ぶ」といった目的を掲げるならば、家庭で飼う必要はないです。どこの小学校にもウサギなどの小動物を多少飼っているはずで、それらを上手く活用することで動物愛は充分に学べます。
ペットを飼いたがる人のほとんどは、学校のウサギを懸命に世話しようなどとは考えません。動物への、本当の意味での愛情は希薄なのです。
病院や葬儀を人間のようにやるだけでは愛情とは言えない。
近年の日本では、「ペットは家族の一員だと思っている」と言う人が大勢います。
彼らは人間の家族のように病院に連れていって高い診療代を払ったり、人間の死のときのようにお坊さんに供養してもらったりします。
しかしこうした出費行為は、「人間のように愛している」とは言えません。
人間と同じように思っているなら、ペットを縄でつながないでしょう。
人間が縄でつながれて育てられる様子を想像してください。それは恐ろしい虐待です。
人間はペットを、自分の思い通りに操作したいから縄でつなぎます。これは愛ではなくエゴで、支配で、非常に身勝手な振る舞いです。
精神異常者が少女を部屋に閉じ込めて溺愛する犯罪などが時折ニュースになりますが、日本人がペットにやっていることはそれと同じです。
ペットの気持ちも健康も考えずに部屋に閉じ込め、勝手に選んだ食糧を与え、そして頻繁に世話を忘れます。
土着の民の中には、本当に家畜を人間と同じように見ている人たちがいる。
土着の民の中には、21世紀の現代でもなお、本当に家畜を人間と同じように見ている人たちがいます。
彼らは動物を縄でつなぎません。愛情深く接しているので心が通いあっており、縄をつけなくても散歩に寄り添ってくれます。
彼らは動物に仕事をさせますが、同時に自由と敬意を注ぎます。
仕事をさせること自体は悪くないです。人は子供に対しても、「実家で暮らすなら毎月5万円を納めなさい」と言ったり、お風呂掃除など分担させます。
妻と夫は互いに「働かざるもの食うべからず」の考えで労働を義務づけ、共同生活を送っています。
本当に動物を愛している人は、世間の動物飼育の様子を見て残酷に感じる。
動物を本当に愛している人は、ペットを飼いたいなどと言いだしません。
上述したようなことを感じるので、ペットを飼う人々の様子を見て残酷に感じます。ペットショップを残酷に感じます。
本当に動物を愛している人は、ペットを飼わないです。
とはいえ、それを口には出さないでしょう。
「ペットを飼ってる人って残酷だと思う」などと言うと、皆に嫌われてしまうからです。彼の正論は、ほとんど誰にも理解されないでしょう。
人の多くは、ペットをからかいすぎている。
Youtubeなどで、ペットとじゃれているかわいらしい映像をあげる人は多いです。それを見て、可愛いと恍惚している人は多いです。
しかし、そうした映像の多くは、ペットをからかいすぎています。
飼い主の多くは、ペットをからかいすぎています。
たとえば猫じゃらしを振りまわして猫が懸命に追いかける姿を見て人々は楽しんでいますが、猫はあれをストレスに感じています。
自分が兄に、猫じゃらしのようなものを振りまわされて翻弄されている様子を思い浮かべてみてください。いじめです。いじめっこが、ランドセルを取り上げて友達とパスしあいながらからかっているのと同じです。
動物があどけない表情で首を振ったり、かぶりものをかぶってじっとしているのを見るとかわいいと感じますが、しかしそれは意地悪な遊びと言えます。
人は、動物の天然ボケな仕草を愛でるために、動物をからかいすぎています。
良心の高い人は、ああしたペットとのたわむれを楽しいとは感じないでしょう。
良心の高い人はほとんどいないのです。
可愛い女の子を愛人として囲う富裕男性をどう思いますか?
富裕者男性が、キャバクラで出会った可愛い女の子に、「俺の愛人にならないか?マンションの部屋を与えてやろう。生活費も与えてやる。家事などしなくてもいいからそこで暮らして、俺がさみしいときに相手をしてくれ」と持ち掛けます。
「可愛い」「温もり」といった快楽のためだけに、潤沢なお金を使って女性を囲っている光景です。
人がペットを飼う行為は、およそこれと同じです。
「かわいいから」「好きなときに抱きしめられるから」そんな理由から動物を家に閉じ込めています。
道でケガしていた小鳥を拾ってきて飼う、といった体験は有意義と言える。
道でケガした小鳥を見つけて、かわいそうに思って家に持ち帰り、飛べるようになるまで世話してやる、といったことを行う人がまれにいます。
こうした人は、真の動物愛があると言えます。
家で飼うだけでは不充分で、「自分で飛んで、もとの暮らしに戻れるようにしてあげよう」と考え、そのときに情を振り切れる人は、非常に動物愛があります。本当の意味での思いやりがあり、人をはぐくむ愛があります。
別れを悲しんで泣くことが愛なわけではないのです。それは、恋人に振られたときにすがりつく弱い人と同じです。
情操教育のためにペットを飼うならば。
まず、子供がペットをせがんできても、「ペットを飼うことはかわいそうなことだから、我が家では飼わない」と毅然と突っぱねたほうが良いです。親がそういう価値観を持ち、確信を持ってペット愛玩を拒否したほうが良いです。
「飼いたくない」ではなく、「飼うべきでない」と言いましょう。
どうしても飼わなければならないなら、以下のように考えましょう。
情操教育のためにペットを飼うならば、以下のような心がけが大切です。
子供がペットを飼いたがったとき、「あなたが世話をすると約束できる?」と真剣に尋ねましょう。「とても大変なことよ?」と念を押します。フンの処理や眠いときのエサやりなど、思いつく大変なケースを具体的に説明してやってください。
それでも「自分でやる。飼いたい」とその子が言うなら、それを徹底させましょう。
つまり、親はペットの世話に介入しないのです。多くの親は「あなたが世話するのよ」と約束しても結局世話を肩代わりしてしまっていますが、その甘やかしをしてはだめです。ペットが3日間何も食べていなくても、手出しをせずに見守ります。「3日もエサをあげてないんじゃない?」と言うのは良いでしょう。
そうして、ペットを飼うことの酸い甘いを、子供に深く体験させます。
親は、ペットが不世話によって死んでしまう悲しみをあらかじめ覚悟してください。子供の不世話によってペットが死んでしまうなら、それもまた見せるべき現実なのです。
そのような突き放した飼わせ方をすることで、子供は、「可愛いという思いだけで動物を囲ってはいけないのだ」と悟るでしょう。
こういう子は、動物に対してだけでなく人間の異性に対しても、「束縛しない愛情」を示せるようになるでしょう。
ペットを飼う人は善い人?それはかんちがい・・・
「ペットを飼う人は善い人だ」と思っている人は多いでしょう。
ドラマやアニメなどでもよく言われています。
しかし、これは誤りであることがもうわかりましたね?
「ペットを可愛がる」という行為は、快楽行為なのです。身勝手に溺愛しているだけであって、動物に優しさを注いでいるわけではありません。
動物を囲っておいて何も感じない時点で、その人はそんなに優しい人ではありません。
あなたのことも、最初はとても可愛がるでしょうが、あなたに飽きてくると無愛想に薄情になってくるでしょう。
ペットを飼う人は、さみしがりやな人が多いです。
恋愛欲求があるのでは?
大人がペットを飼いたいと感じるとき、深層心理では恋愛欲求が高まっていることが多いです。
可愛いものを愛でていたい。温もりを抱きしめたい。寂しさを埋めてもらいたい、といった、普通は恋人に埋めてもらう欲求を、動物に転嫁しているのです。
人間は思い通りにならないがペットなら思い通りにできる、という支配欲求からペットを選んでいることも多いです。
しかし実際は、ペットの場合は毎日の甲斐甲斐しい世話が必要で、恋人を持つ以上に手間がかかりますし、振り回されます。自由を阻害されます。お金もかかります。
たとえば、恋人を作っても一人で(他の友人や家族と)海外旅行に行くことはできますが、ペットを飼ってしまうと旅行の自由がなくなってしまいます。
引越しも制限され、人生の選択肢がせばまります。
ペットを購入する際に30万円、病院や供養でうん十万円がかかります。
ペットを飼いたいと感じたとき、「可愛いものに恍惚したい」「ぬくもりがほしい」と感じている自分に気付いたなら、ペットを飼うのではなく異性と恋愛をしたほうがよいです。
誠実で精神性の高い異性を選ぶなら振り回されることはなく、リスク・デメリットは小さいです。恋人関係になる重苦しさが嫌なら、ボーイフレンドのような関係性を選んだり、ただお食事デートだけするような軽いドキドキを楽しむのもよいでしょう。
小学生くらいの小さな子のペット欲求は恋愛欲求の裏返しであることは少ないですが、中学生高校生の女の子のペット欲求は恋愛欲求の転嫁であることが多いです。自分から告白する勇気のない子ほど、恋愛をあきらめてペットを求める傾向にあります。
ペットを飼うあなたを批判してはいません。
あなたがペットを飼っているなら、この記事を読んで、「れなに批判されている!」と感じたかもしれません。
しかし、私はあなたを批判するつもりはありません。
ペット愛玩の事実を、客観的に解説しているだけなのです。
「ペットを飼う人は善い人なわけじゃない」と読んであなたは落ち込んだかもしれませんが、ペットを飼って愛情深いふりをしている人は世の中に何千万人といるので、あなたが落ちこぼれているわけではないのです。
要は、日本人の良心というのは、「並み程度の人が大多数」という感じなのです。あなたも平均程度の良心はあるでしょう。
多くの人にとって、ペットを飼いたい欲求は恋愛願望の代替えです。
つまり、恋愛欲求を抑圧している人がそれほど大勢いるのだということです。
私はよく、「恋愛欲求を素直に満たしたほうがよいですよ」と書きます。それを見て、「またか。くどいな」と思っている人は多いでしょう。しかし、恋愛欲求の抑圧がとても広範囲に広がっていることが、わかったでしょうか。
あなたを悪く言う気はないです。
世の中の実情がどうであるかを、理解してください。
ペットに関して調べていると、「欧米ではペットの殺処分が起こらないように配慮している。ペットショップで気軽にペットを売ったりしない」といった情報も目にするでしょう。それに注視したとき、この記事が言わんとしていることも、わかるでしょう。
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