グラウンディングとは?自分の軸をしっかり保つこと。
スピリチュアリズムにおいてグラウンディングとは、自分の軸をしっかり保つための所作をいいます。または、物質社会をしっかり生きる暮らし、いわゆる地に足を付ける生き方を指して「グラウンディング」と表現することもあります。「グラウディング」とも。
グラウンディングという概念はたしかに大切なことなのですが、現代においてグラウンディングは、誤解されてしまったまま説明されていることが多いです。
やり方:一般的には、足から根が伸びて地面に根付いている様子をイメージする。
スピリチュアルワークとしてのグラウンディングは、自分の足から根が伸びてしっかり地面に根付いている様子をイメージすること、またはそれに伴い、手でエネルギーの流れを下に向けて流すような振り付けをするようなものが一般的でしょうか。
グラウンディングには実は、プラシーボ効果しかない・・・
そしてこの作業をすると、「感情がブレなくなる、他人のエネルギーの影響を受けなくなる、何事にも動じなくなる、賃金労働などの現実を生き抜く強さが得られる」などと説明されていますが、残念ながらそのような効果はありません。あるとすれば、「これをやれば強くなれると」と思い込むことで活力が湧き出るプラシーボ効果がある程度です。
感情がブレないようにするには、スピリチュアルな対処では無理。根性を付けるしかない。
感情がブレない強さを手に入れるためには、グラウンディングやその他のエネルギーワーク、スピリチュアルグッズなどでは不可能です。感情の強さを手に入れるためには、ブレてしまうその出来事を繰り返し体験し、慣れて耐性を付けるしかないのです。
グラウンディングはサギ商売に利用されがち。
そのような地道な鍛錬を嫌がる人が増えた現代先進国において、「このグラウンディング・ワークをすれば強靭になれる」などと触れ込んでワークショップや本を売るスピリチュアリストが増えてしまいました。準じて、そうした情報を知ったかぶってブログや本につづる人が後を絶えません。
グラウディングは、誤った説明をされていることが多いということです。
グラウンディングの本来の意味は、「夢想しがちな状態を改める」こと。
グラウンディングの本来の意味と役割を説明しましょう。
本来、グラウンディングとは、「夢想しがちな状態を改める」ということなのです。
スピリチュアリストは、イメージワークの中で幸せなイメージに浸り、現実の家事や仕事がおろそかになってしまう人が少なくありません。または、何かスピリチュアルなものが自分の人生を劇的に改善してくれるのではないかと期待している人が少なくありません。
そのような「うわついた状態」になっている人が、目の前の現実生活を生きなければならないことを思い出す(意識する)ために、グラウンディングのイメージワークがあるのです。つまり、巷で説明されている「これをやればブレない自分が簡単に手に入る」というようなグラウンディング・ワークは、意味をなしていませんし、それどころか逆効果になってしまっているのです!
あくまで、「自分に対する意識付け」にすぎないため、根を張るイメージワークをしたところで何かがパワーアップされたりはしません。
ある意味、グラウンディングとは何の役にも立たないわけなのですが、逆説的に言えば、グラウンディングについて神秘的にもっともらしく説明しているスピリチュアリスト、サイト、本などは、すべてペテンだということです。霊的な真理を理解していませんし、読者をだまそうとしています。
「アースする」は意味がある。自然のエネルギーを分けてもらう作業。
グラウンディングに似た言葉で、「アースをする」というものがあります。
同じように、地面に根が伸びているようにイメージすることが多いですが、これは、正しいやり方をすれば意味があります。
アースの場合、大地のエネルギーを分けてもらう作業なので、室内ではなく自然の地面の上に、はだしで立って行うことが必要不可欠です。ワークショップなどで、室内でアースのワークを誘導しているティーチャーを見かけることがありますが、それは何も起きていません。
なお、自然であれば土の地面である必要はなく、浜辺でも草原でも、水の中でもかまいません。
逆に、自分の体内の不要な・不純なエネルギーを地面に放電する場合は、自然の地面にこだわる必要はありません。これは、イメージワークをするだけで効果があります。とはいえ、実感できることはほとんどないでしょう。
「現実をしっかり生きる」の意味は人それぞれに異なる。
また、「現実社会をしっかり生きる」という意味でのグラウンディングも、ほとんどの人が誤解して用いています。
「現実社会をしっかり生きる」というのは、かならずしも賃金労働や家事育児の義務を指しているわけではありません。たしかに多くの人にとっては、それこそが「現実社会をしっかり生きる」ことなのですが、その段階を終えてしまっている人もいるのです。
モナドの示唆に従いながら奉仕活動を行っている人や、自己成長のために大いなる旅に出ている人、禅寺にこもって修行している人などにとっては、そのプロジェクトこそが「現実」であり、「旅なんかしないで賃金労働をしなさい。地に足をつけなさい。」といった説教は的外れなのです。
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