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  • れな

カウンセリングは、カウンセラーは、本来とても大切なものです。

私は、管理人様がチャネリング相談を再開されたことについても、とても喜んでいます。

彼はとても素晴らしいカウンセラーだからです。


1990年頃、ストレスや学級崩壊といった言葉の高まりに合わせて、心理学やカウンセリングといったものが台頭しはじめました。

学校にもスクールカウンセラが配備されるようになり、カウンセラーという役職の認知度は高まりましたが、しかしどうも、カウンセリングというものに対する大衆の意識は、もう冷めているようです。

心療内科やカウンセリングに通おうとする人は、とても少ないでしょう。



「カウンセリングに通うことは恥ずかしい」といった羞恥の問題もあるでしょうが、それ以前に「カウンセリングに通っても意味がない」とあきらめている人が多いようです。

カウンセラーは、大衆の信頼を勝ち取れませんでした。失ってしまいました。

それもそうです。

現代において心理学というものは、「営業マンの心理学」「女性にNOと言わせない心理術」といったように、金銭欲やエゴのために使われています。

人の心の悩みをぬぐいさるためにあったはずの心理学というものが、むしろ人の心をだまし、人を落胆させることに用いられています。いまや心理学に関わる人間も、「濫用」する目的で研究するような人ばかりです。



しかし本来、カウンセリングやカウンセラーというものは、非常に重要なものです。非常に素晴らしいものです。

古来より人々は、カウンセリングに支えられてメンタルを保ち、人生相談に支えられて自分らしい人生を生き抜いてきました。

カウンセリングや心理学が台頭する1990年より前にも、カウンセラーやカウンセリングがあったのでしょうか?


古来では、村長や宗教神職者がカウンセラーでした。

村長は、視野が広く人生経験の豊かな人が就くものでした。大いなる旅を経て、アセンションに匹敵するような精神に達した人が村長を担いました。村の政治をするというよりも、村人にとってのアドバイザーでした。カウンセラーです。

村人たちは悩み事があれば、村長に相談しました。いつも的確なアドバイスが得られました。

イエスキリストもゴータマ仏陀も、彼ら自身は教祖になったのではなく、人生相談のアドバイザーをしていただけです。それを他者が教祖としてあがめ、彼らの言葉を経典として綴っただけです。

同じ時代に生きた聴衆は、彼を崇めたのではなく、彼に人生相談をしたのです。アドバイスを請うたのです。彼らはチャネリングと深淵な知恵を使って、人々の悩み相談に応じました。


現代におけるカウンセラーは、人生経験の豊かな視野の広い人が就くわけではありません。カウンセラーのマニュアルを学んだ人が就いているだけです。

彼らはある程度の「聞く技術」を持っていますが、人の悩みを的確に解決するだけのアドバイス技術は持っていません。それは途方もないほど幅広い視野と経験を持った人にしか出来ないもので、大学受験をしてテキストの勉強ばかりしている人には到底得られないものです。

「カウンセラーを置く」という概念は社会にとってとても有意義なことなのですが、そのカウンセラーの育て方、選び方が致命的に間違っているのです。


そんな本物不在の時代において、管理人様は面白いカウンセリングをします。

「こっそりカウンセリング」を体験した人だけはご存じでしょう。

彼は別に、カウンセリングなどはしません。ただ、雑談をします。楽しそうに笑っています。相談者の話に感動しています。

ただ雑談を楽しんでいるだけなのですが、いつの間にか話は核心に至り、そして悩みは解決しています。

彼はペンジュラムを使って守護存在のアドバイスを伝言しますが、同時に彼の見解を話します。その鋭さに、相談者は驚きます。

「あぁ、そうなのか!」明晰な答えがそこにあります。


ぐるぐると解決しない悩みがあるなら、ぜひ管理人様に相談に行くとよいです。

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