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  • れな

オーラの点数は下がることがあるの?

アセンションや新アセンション、または自己成長を目指して、オーラを高めたり気にしたりする人がいらっしゃることでしょう。

オーラは、一度高めたらそれで安泰なのでしょうか?一度新アセンションの基準まで高めれば、あとはのうのうと暮らしていてよいのでしょうか?

そうとは言えません。

オーラは、あなたの振る舞い次第で下がることもあります。



オーラは下がる。

オーラの点数は、状況によっては下がります。

あなたをまとうオーラの量も、減るということです。

オーラというのは貯蓄のできる類のものではありません。体力など、今日の努力によって明日もキープしやすいスキルのオーラもありますが、たとえば自制心や優しさなど、今日と昨日でまるで変わってしまうものもあります。

快楽への自制心のタガが急にガタっと外れてしまった人は、オレンジのオーラが1日で30点も下がってしまうこともあります。


オーラは蓄積していくものではなく、そのときどきの感性やスキルに左右されるものなので、下がることもあるのです。



信念によってがらっと変わりうる!

多くの色のオーラは、持っている「信念」によって、がらっと変わりうるものです。

たとえばレッドのオーラは、大人よりも小学生のほうが高いケースも多いです。「外で遊ぶことは楽しい」と考えており、やるべきことを一通りこなす子は、70点くらいのレッドのオーラを持ちます。

しかし、中学生になると、「体育の授業をまじめにやるのはダサい」という風潮があったり、「女は公園で遊んだりしない」という習慣が出来たりします。ファッション誌や少女マンガ、恋愛ドラマなどよく見るようなりに、「女は男に尽くしてもらって幸せ」といった価値観が染みついていきます。

そうした影響から、レッドのオーラが20点も下がってしまう女性は多いものです。



流行りのスピリチュアルメソッドの多くは、人のオーラを下げてしまう・・・

スピリチュアルな情報、教育は、もともとは人のオーラを高めるためのものでした。

しかし、逆に人のオーラを下げてしまう、誤った情報も多いです。


「人は好きなことだけやって暮らしていればよい」

などと謳うスピリチュアルブロガーなど多いものです。楽しそうに笑い楽しそうに暮らすこのような人が「楽しく暮らせばいいんだよ」と説くのを見て、「そうか、真面目に生きなくていいんだ!」と心変わりしてしまうと、レッドやオレンジ、グリーン、ブルー・・・多くの色のオーラをガタっと下げます。


「天使にお願いして願いを叶えてもらおう」

「パワーストーンで金運を引き寄せよう」

などとといったものも同様です。レッドやオレンジ、ヴァイオレットなどのオーラが下がってしまいます。



モナドとつながることで、かえって大きく下がってしまう人も多い・・・

モナドとは高次のガイド霊のことです。

6次元に匹敵するくらいの高い精神性に達すると、モナドから示唆を受けるようになることがあります。

しかし、モナドは厳しいことを言うのです。身を粉にして無償奉仕させたり、自己成長のために大変なことをさせたりします。

また、「あなたはちょっと横柄なところがある」などと細かい弱点への指摘が入ったりもするでしょう。

モナドの言うことに苦痛を感じる人は多いもので、そのため、そのとき信望していたスピリチュアルメソッドそのものから抜け出そうとする人は多いです。

それまで仏教寺の小さな勉強会で精神を磨いていたのに、そこに顔を出すのはやめ、「引き寄せの法則」「簡単に霊能者でお金を稼ぐ方法!」「占い師は儲かる!」「パワーストーンで金運アップ!」などといったものに傾倒するのです。

いったん自己成長的なスピリチュアリズムに夢中になっても、モナドの厳しさに悲鳴を上げて、このように願望成就系のスピリチュアルに堕ちていく人は、非常に大勢います。もちろん、オーラは大きく下がります。



霊視を得ることで、多くのスピリチュアリストは堕落する。

近年は、生まれつき霊視を持つクリスタルチルドレンや、レイキなどであっさり霊視を覚醒してしまう人は多いものです。しかし昔は、霊視を得るためには修行が必要でした。

禅寺にこもったり、インドの瞑想センターに行ったりして、座禅瞑想をし続けたり、静寂、質素な時間を過ごすのです。

こうしてブルーやロイヤルブルーの感性を得た人が霊視を獲得するのですが、霊視を得たとたんに堕落するスピリチュアリストは多いのです。

2つのパターンがあります。

1つは、霊視によって霊能者商売ができるようになるからです。神秘的な名前を名乗り、妖艶な服を着て、霊能者や占い師、陰陽師、ヒーラー、セラピストなどやります。それで1時間1万円ものセッション料金をとって大儲けするのです。

2つ目は、ドラッグのように霊視体験に中毒します。霊視では様々なものをまぶたの裏に視ることができるため、快楽的なものを見てそれに耽るのです。つらい現実を忘れ、逃避しようとします。またはドラッグを併用して霊視体験を強め、そこに耽ります。


この人たちは、いったんはオレンジのオーラに関する「快楽の節制」という感性に達したはずなのですが、またそこに堕ちてしまったのです。

霊視を会得した瞬間には、師から「あなたのオーラは虹色に輝いている!」などと褒められたかもしれませんが、半年後にはもう、半分くらいのオーラ量に堕ちていたりもするのです。


霊視を得た人の99パーセントは、こうしてお金儲けや快楽中毒に堕ちていきます。

または、チャネリングを使って楽に暮らそうとします。怠惰に陥るのです。

霊視を自慢する霊能者・セラピストに、精神性の高い人はほとんどいません。


チャネリングとは本来、奉仕や自己成長のためにあるものです。

チャネリングで人の相談にのってお金を貰ってもよいのですが、その目的がお金儲けであるなら、それは間違っています。



つながる存在がモナドから一気に低級霊に変わることがある!

霊聴などのチャネリングが出来るようになっても、どのようなレベルの霊的存在と繋がっているかは本人にはよくわかりません。

チャネリングが出来るが低級霊とばかりつながっている、という人も多いのです。(そして低級霊であることがわからないのです。)

サニワ能力の高い人(当サイトの管理人様など)に確認してもらえば、モナドか守護天使か、それとも低級霊と繋がってしまっているか、わかるでしょう。


そして、「あなたはモナドと繋がっていますね」と言われても、安心はできません。

チャネリングで繋がる存在は、刻一刻と変わりうるものなのです。

オーラ点数が平均60に達する精神力の高い人でも、欲深くなっているときや怠惰なとき、怒りやウツなど感情的になっているときは、あっさり低級霊とつながってしまいます。

ですから本来は、チャネリングした内容については逐一、サニワに確認してもらう必要があるのです。古代日本の卑弥呼や、平安時代の一部の巫女たちはこのような慎重な姿勢をとりましたが、現代のチャネラー、サイキッカーでこのような慎重な人はほとんど皆無です。


「欲しいものは別にない」「どんなジャンルの奉仕でもかまわない」と達観できていないと、常にモナドとつながり続けることはできません。


「モナドの示唆に従って自己成長の努力をしよう」と考える人がいますが、あなたに助言をしているのはモナドではなく、低級霊がテキトウなことを言っているだけかもしれないのです。昨日はモナドが語っていたかもしれませんが、今日は低級霊が語っているかもしれないのです。



攻撃性を嫌うわりに自分が攻撃する人もいる。

グリーンのオーラの高い人には、優しい善い人が多いです。暴力や争いを嫌い、平和な空間を好みます。

しかし、攻撃的な人を嫌うわりに、自分は攻撃的になってしまう人もいるものです。自分が何かを失ったり悲しいことがあったときには、人を攻撃してしまうのです。たとえば失恋しそうなとき、相手をひどく責めたりします。

このような人は結構多いです。特に女性に多いです。


普段の状態でオーラ診断をしてみると、グリーンの点数が70点くらいはついているでしょう。自分のグリーンのスキルに自信を持っているはずです。

しかし、こうして自分が悲しいできごとに直面して人を攻撃するとき、この人のグリーンのオーラは30点も下がっているのです。

本当は、知らなければいけないのは、こうした苦境に陥ったときの自分のオーラ(精神力)です。

本当の意味で精神性の高い人は、苦境に陥ったときでも高い精神状態を保ち続けるのです。人を攻撃しません。



「攻撃」と「指摘」は違う。

人を「攻撃」するのはよくないことです。

誰かがあなたを攻撃するなら、その人はあまり信頼できませんし、距離を置いたほうがよいでしょう。

しかし、「攻撃」ではなく「指摘」をしてくれているのかもしれません。その違いが理解できない人が多いようです。特に女性に多いです。


「指摘」は「攻撃」に似ていますが、まったく異なるものです。そこに悪意や攻撃性はなく、あなたの欠点や過ちをただすために助言をしているのです。

たとえば、私はよくコラムの中で「パワーストーンに金運アップの効果などない」と書きますが、これは「攻撃」ではありません。石屋さんやそのスタッフを攻撃する意図は微塵もありません。これは、事実を「指摘」しているだけです。

「パワーストーンを売る人には不誠実な人が多い」と書きますが、これは人を「攻撃」しているのではなく、「事実を指摘」しているだけです。

この違いがわかるでしょうか?


逆に、「私は指摘をしているだけだ」と言って人を攻撃する人もいます。これも女性に多いです。巧みに自分を正当化しているわけです。


「日本人はディベートが苦手だ」とよく言われますが、討論と口論の違いをわかっていない人が非常に多いようです。口論はしますが、討論ができないのです。彼が討論をしているのに、口論で返してしまうのです。

鋭い分析をしつつ、「攻撃」をしないでいられる人は、ほとんどいないようです。



「攻撃」と「指摘」の違いが理解できないと、成長できなくなる。

「攻撃」と「指摘」の違いが理解できないと、あるところから成長できなくなってしまいます。

あなたの師も、あなたのモナドも、あなたと付き合っているうちにあなたの弱点・欠点を指摘しなければらなくなるときがきます。「6次元ですね。すごいですね!」とばかりは言っていられないのです。

今までは「すごいですね」「優秀ですね」と褒めてくれていたのに、急に、「あなたは気心の知れた人に対しては短気なところがありますね」などと欠点を指摘されるようになります。それはあなたが精神性を高めるために必要な「指摘」なのですが、それを理解できない人が多いようです。

自分が攻撃されているように感じるのです。そして不愉快になり、反論をしたり離れていったりします・・・。


「オールドソウル」を好む人は要注意です。

彼らはとても優しいです。が、分析力が高く、あなたの欠点に気付いて「指摘」することも上手いです。それが優しいアドバイスだと理解できないとき、「彼は嫌なやつだった!」「彼は悪い人になった!」と勘違いしてしまいがちです。彼は名誉棄損をこうむるのです・・・。とてもかわいそうです。

また、モナドも、あなたの欠点を「指摘」してきます。それにいちいち反論しているようでは、あなたはそれ以上成長できないのです。

モナドとともに自己成長に取り組むと決めたのであれば、欠点や耳の痛いことを指摘されたとき、素直に聞き入れるよう徹底することが大切です。あなたの師がモナドの意見を代弁しているとき、その言葉を素直に聞き入れるよう徹底することが大切です。謙虚で、冷静であることが大切です。



私は文句を言われるのが嫌なのです。

私れなは、匿名でこのサイトのスピリチュアルコラムを書いています。

理由はいくつかあるのですが、主だったものとしては、「批判を受けたくない」のです。

「〇〇のアイテムには効果がない」などとリーク的な情報、厳しい意見を頻繁に書かなければならないため、それを不愉快に感じる人から批判、反論、文句を受ける懸念が高まります。私はとがった言葉にひどく心を痛めます。メンタルが弱いのです。

同じ理由から、カウンセリングやマンツーマンでのアドバイスなどもしません。私からの意見が厳しくなるにつれて、私を慕ってくれていた人も私を憎むようになり、文句を言う人が増えるであろうことが、わかっているからです。

身近な人がそのような目に遭ったのを見てきましたから、私にはそんな勇気はないのです。



もっとわかりやすく書きましょう。

当サイトの管理人様に対して、自己成長に関してチャネリングをお願いしたり、アドバイスを求める読者様がいらっしゃることでしょう。

管理人様は、あなたを「攻撃」しないです。あなたが彼を批判するとしてもなお、彼はあなたを「攻撃」しないです。水掛け論のようなことをせず、ただただあなたの改善点を「指摘」しようと、冷静に努めるでしょう。その寛大さを理解してください。

アセンションを目指す、70点を目指す、という意気込みを持つとき、あなたに対してかなり厳しい指摘は必要になるでしょうし、モナドも大変なことを言うでしょう。

「平均60点です。すごいですね!」と言われたとしても、いったんリセットして謙虚になることが大切です。自分を過信しないことです。自分の欠点は、自分ではわかりづらいものです。

自分の欠点は自分ではわかりづらいものです。


モナドも、人間と口論をしないですね。黙りこみ、一方的に姿を消します。

モナドは、水掛け論になったときには一方的に姿を消して逃げられるのですが、管理人様など体を持った教師は、生徒が理不尽なことを言い出しても、逃げることができません。「この会話を終えましょう」と言うでしょうが、感情的になっている生徒は言うことを聞かないでしょう。そして延々と責め続けます。メールを送り続けたり、いやがらせをしたりします。

体を持った師は、霊的存在たちよりも大変です。


「楽しく成長すればいい」「自分なりに取り組めばいい」と考える人がいますが、それで達することができるのは60点程度まででしょう。アセンションや70点はそう甘くはありません。80点や90点はなおさら、甘くはありません。

そしてどこかでふてくされるとき、あなたのオーラ点数はかえって下がってしまう可能性があるのです。

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