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【詳述】「エデンの園」とは何だったのか?実在したのか?

執筆者:れなさん


アダムとイヴの住んでいた場所「エデンの園」。旧約聖書にもそれが描かれています。

以降、歴史上の文学に、「楽園」として描写されることから、現代人でもエデンの園に憧れている人は多いことでしょう。この言葉に妙ななつかしさを感じる人もいることでしょう。

エデンの園とは何だったのでしょうか?


なお、この解説は旧約聖書に基づくものではありません。チャネリングによって得た情報です。



「ノアの大洪水」の前に地球に存在した、アセンション文明の1つ。

6,000年ほど前に、地球全土を覆い尽くす大洪水があったことはご存じでしょうか?「ノアの大洪水」です。エデンの園は、それ以前の地球に存在していたアセンション文明でした。

アセンション文明ということはすなわち、精神レベルの高い人たちばかりが住む場所だったのです。エデンの園はアセンション文明です。



エデンの園にはセックスの自由があった。

ルネサンス絵画などに描かれるエデンの園では、アダムもイヴも、他の人たちも皆裸です。これは事実で、エデンの園では皆、もっぱら裸で暮らしていました。裸であることに恥ずかしさなど感じていませんでした。

セックスに対しても、恥じらいはありませんでした。私たちと同じように、セックスに対して強い快楽を感じていましたが、しかし背徳心(うしろめたさ)は感じていませんでした。

誰もが日常的に、セックスを楽しんでいたのです。

セックスは結婚したカップルだけが交わすものではなく、誰が誰と交わしてもよいものでした。恋人関係になる必要もありません。セックスはとても自由なものでした。女性同士でセックスする人たちも大勢いました。


エデンの園が後世の人々に「楽園」と呼ばれるのは、そのためです。セックスの自由があったからです。

ノアの大洪水以降の文明では、そのほとんどが、セックスに制限を設けました。配偶者としか交わしてはならない、といったものです。だから皆、エデンの園に憧れたのです。



現代人にとって、エデンの園は楽園には感じられないかも。

エデンの園は楽園でしたが、現代人にとって楽園に感じられるかどうかはわかりません。

エデンの園は、絵画の様子から察せられるとおり、とても原始的な暮らしをしていました。エアコンなどありませんし、車もエスカレーターもありません。

暑さ寒さはガマンしなければなりませんし、重たいものも自分で運ばなければなりませんでした。

たくさんのグルメはなく、たくさんのスイーツもありません。

畑で採れる野菜と、フルーツがあっただけです。


実は、これに近い暮らしが今の地球にもあります。

アフリカの原住民族などほとんどこの通りですし、東南アジアの山岳民族なども近い暮らしをしています。

しかし日本人の中に、東南アジアの原始的な生活を好む人はどれくらいいるでしょうか?「水洗トイレのない村でなんて暮らしたくないわ」と、誰もが言います。

つまり、エデンの園で暮らせたとしても、「不便でうっとおしい」と感じてしまう人が多いでしょう。



エデンの園の労働は1日1時間くらい。

エデンの園にも労働はありました。

しかし、生活に必要なものはちょっとの食料と家くらいなものですから、必要な労働もほんの少しでした。1日に1時間農業をして、そして人が増えたときに皆で家を建てます。女性も子供も日曜大工をします。

1日1時間の農業で、食料はまかなえられるのでしょうか?

エデンの園の人々は、きゅうりの長さがふぞろいでも文句は言いません。キャベツに虫食いがあっても文句は言いません。りんごが個別包装されていなくても文句は言いません。珍しい野菜を食べたがったりしません。このように欲が薄いので、最低限の農業で充分なのです。本来、人の暮らしとはそういうものなのです。欲求が多いから、労働が多くなり、複雑になったのです。

私たち現代日本人にとって、エデンの園から学べる気づきは多いでしょう。


エデンの園のような暮らしで充分だと感じる人が、現代人にも少しはいます。彼らはエコヴィレッジを作って、のんびりと自給自足しながら暮らしています。

しかし、若い女性にエコヴィレッジを好む人が少ないので、このエコヴィレッジ文化も行き詰まるかもしれません・・・。



エデンの園にはセックスがたくさんありました。

労働の時間以外は、およそずっと、異性とイチャイチャしていても良いくらいでした。セックスをしなくても、仔犬のように友人たちとスキンシップしていました。肌を重ね合うだけでも気持ち良く、幸せだからです。

しかし、エデンの園にはオモチャはほとんどありません。ファミコンはありませんし、スマホもありません。遊園地やカラオケ、映画もありません。

セックスはたくさんあっても、ホビーは無いのです。

私たち現代人には、ホビーはたくさんあってもセックスはほとんどありません。

どちらが幸せなのでしょうか?たくさんのホビーには、毎日汗を流して長時間労働するほどの価値があるのでしょうか?セックスなら働かなくても楽しむことができます。

私個人の見解としては、たくさんのホビーに囲まれながら週40時間も働いて暮らすより、セックスと積み木だけの社会のほうが幸せに感じられます。私は遊園地やショッピングモールよりも、セックスが好きです。

私は、オートマチックな家に住みたいがために、最愛の彼を毎日午前様で働かせたいとは思いません。つまり、恋人に年収500万円を求めたりはしません。彼の年収が200万円でも、毎日ゆっくりスキンシップしながら暮らしていたいです。



エデンの園に魔法はありませんでした。

魔法はありませんでしたが、植物のチカラを上手く活用していました。漢方やハーブ、アロマテラピーのような概念です。

彼らは熱を下げる植物や炎症を抑える植物、肌をスベスベにする植物についてよく知っていました。もちろんお金はかけません。周りはコンクリートジャングルではないので、植物は簡単に摘んでこられます。

彼らは、健康や美容にお金をかけませんでした。



エデンの園の人々は、音楽を非常に好みました。

絵も好きですが、音楽のほうが好きです。

絵も好きです。芸術が好きです。

集中力や忍耐力は、芸術を通して培われました。勉強ではなく、スポーツでもありません。

芸術が好きなのは、美しいものが好きだからです。

美しいものが好きなので、誰もがせっせと着飾りました。とはいえ、ショッピングモールでブランドの服を買ってくるわけではありません。花を摘んで、花で着飾るのです。シロツメクサを摘んで、冠を作ります。2日でしおれるので、次から次へとせっせと作ります。

美しいものをとても好みましたが、お金はかかりませんでした。花があるからです。



エデンの園の人々は、争うことをしませんでした。

戦うという概念はなく、争うという概念はありません。

スポーツなどしませんでした。争いたいと思わないのです。格闘技だけでなく、球技もしませんでした。陸上競技もしません。

しかし、体を動かすことは好きでした。

だからダンスを踊ります。芸術的で美しい、体の動かし方です。

もちろん、ダンスに大会などありませんでした。順位を付けるようなことはしません。それでも人々は、どんどん腕を上達させました。ダンスが楽しいからです。ダンスを上達させるために、大会も賞金も必要ありませんでした。



エデンの園の人々は、怠惰ではありませんでした。

義務などというものはほとんどなく、自由でしたが、家でずっとだらだらしていたがる人はいませんでした。だらだらしていると太るからです。美意識が高い彼女たちは、太るのが嫌なので、誰に言われなくとも適度に体を動かしました。農業をして、ダンスをするのです。



エデンの園に法律はありませんでした。

極めて平和で、犯罪も起こりませんでしたが、しかし法律や罰則が厳しかったわけではないのです。住民に良心があったので、法律がなくても犯罪は起こりませんでした。現代日本でも、田舎のほうの人々はそのような感じで暮らしていますね。

従って、政治家というものはなく、特別な権力や既得権益を持つ人もいませんでした。



エデンの園に受験戦争はありませんでした。

それどころか、学校すらありませんでした。

エデンの人々も勉強をしますが、ほんの少しです。

言葉を覚え、足し算引き算、掛け算割り算を覚えるだけです。

精密な機械を造らないので、精密な計算をする必要はありませんでした。だます人はいないので、3けたの計算も必要ありませんでした。

「りんごが15個あります。5人で分けたらいくつずつ?」その程度の計算ができれば充分なのです。だます人がいなければ、簡単な計算を知れば充分なのです。

仕事は農業や日曜大工しかありませんから、歴史を覚える必要はありません。化学記号を丸暗記する必要もありません。

どんなに頭が悪くても、生計に困ることはありませんでした。



エデンの園の子育てはとても楽でした。

子供を習いごとに送り迎えする必要はなく、子供が課金ゲームで借金をこしらえることもなかったからです。5万円のランドセルを買う必要もありません。

子供たちはテレビに夢中だったりはしないので、弟や妹の子守りを進んで手伝ってくれました。

家の壁は真っ白ではなく、ソファーも真っ白ではないので、乳幼児がご飯をこぼしても誰も困りませんでした。

子供の受験や就活に、親が一緒に悩む必要性もありませんでした。



エデンの園の恋愛はとても簡単でした。

男性は女性に料理を求めたりはせず、女性は男性に洒落たプレゼントを求めたりはしなかったからです。

「彼と抱き合いたい」と思ったら、女性たちはその彼に声をかけました。それだけで彼女の恋は叶いました。およそ努力というものは必要ありませんでした。声をかけるだけです。