「運気が上がる」「運気を上げるために」といった表現をスピリチュアルな本やサイトでよく見かけますが、しかし実は、「運気が上がる」などという概念は、ありません。
「クジ運が上がる」ようなものは何も存在しない。
「運気」とは何でしょうか?「物事が順調にいく」といった意味合いであれば、まだわからなくもないのですが、「クジ運が上がる」といった意味合いのことを期待しているなら、「運気を上げるための〇〇」はすべて手放しましょう。
トイレを掃除しても不思議な力が働いたりはしない。
たとえば、「トイレ掃除をすると運気が上がる」といったことがよく言われますが、トイレを掃除したところで宝くじが当たる確率が上がったりはしないのです。トイレ掃除をすることで、何か不思議な力が働いたりはしません。
不快感が減るだけ。それを「運気が上がる」と表現するのは不適切。
トイレを掃除することであなたや家族の不快感が減り、ストレスが減ることで、「気持ちよく過ごせる」ということにはなりますが、ここにスピリチュアルな理論や力学は何もなく、ましてや「運気が上がった」わけではありません。掃除をすれば気持ちよくなるのは、当たり前のことです。
「トイレの神様」の歌のように、昔の人は、しつけや教育、家事をはかどらせるために、「トイレ掃除をすれば神様が助けてくれる」といった迷信を使いました。それがいつしか、風水や星占いなどに転用されるようになったのです。
風水はすべてがでたらめ。黄色いサイフに何の効果もない。
たとえば、風水はすべてがでたらめです。黄色いサイフを持ってもお金の流れが変ったりしませんし、玄関に龍の置物を置いても不思議なことは起こりません。部屋の東側に音の出るものを置いても良いことが起きたりはしません。
龍脈というものも意味はなく、龍脈に基づいて設計された神社に神秘的な力が宿ったりはしません。
ローズクォーツを身につけても美しくならないし口説かれる頻度は増えない。
たとえば、「ローズクォーツを身に着けると恋愛運が上がる」というのも、デタラメなのです。ローズクォーツの恋愛運に限らず、他の石にも恋愛運の上がる効果はありませんし、たとえばルチルクォーツに金運を上げる効果はありません。
ローズクォーツを身に着けることにより、より質の高い男性が寄ってくるようなことはありませんし、あなたの顔が可愛くなることもないのです。
厄払いをしても事故や病気を回避させる神秘が働いたりはしない。
たとえば、厄年に神社で高いお金を払ってお祓いをしても、交通事故や病気を避けられたりはしません。何か幸運グッズを購入することで事故や病気を回避できるような力学は働きません。それならば車のメンテナンスをしたり有機農法の野菜を買ったりしたほうがずっと効き目があります。(これは「運気が上がった」のではなく実利的な作用があっただけです。)
恵方巻を食べても運気がは上がらない。
たとえば、2月3日に恵方巻を食べても、運気は上がりません。
年越しそばを食べても「細く長く生きられる」ようにはなりませんし、お節料理には様々な開運エピソードがありますが、それらはすべて迷信で、でたらめです。
「キット勝つと」を食べても合格率が上がったりしません。
恋愛成就のパワースポットに行っても彼の心が動いたりはしない。
たとえば、恋愛成就のパワースポットに行っても、あなたの気になっている彼の心が急に動いたりすることはありません。もちろん、それ以外の男性が寄ってくることもありません。
雑誌の占いの「LOVE運が最高潮!」には何の効果もない。
たとえば、雑誌の占いに、「今年のおとめ座は10月にLOVE運が最高潮!」と書いてあったとしても、10月に告白することで成功率が上がったりはしません。もちろん10月に入って彼の気持ちが急にあなたに傾くこともありません。
絵馬を書いても試験問題が変化したり答えが浮かんだりはしない。
たとえば、元旦の混み合う日にわざわざ有名な神社まで赴き、絵馬に「絶対合格!」と書いて10,000円のお賽銭を投げても、試験問題があなたの得意なものに変化したり答えがパっと浮かぶ奇跡が起きたりはしません。
祈っても念じてもガチャガチャのレアカードが当たりやすくはならない。
たとえば、お祈りをしてからブラウザゲームのガチャガチャを引いても、スーパーレアのカードが出たりはしません。(出たとすればそれはたまたまであり、お祈りは関係していません。)
祈りという行為は、願望を成就するためにあるものではありません。
改名しても起こる出来事が変ったり体調が変化したりはしない。無意味とも言えないが。
たとえば、改名をしても運気が上がることはありません。ただし、改名においては、多くの人が好感を持つ名前を名乗ることで、人からの注目や印象がよくなることはありえます。画数に意味はまったくありません。
「運気アップ!」を掲げるスピリチュアリストは不誠実な人です。
スピリチュアリズムとは、元々は「自己成長のメソッド」でした。宗教もそうです。しかし、いつしかスピリチュアリズムも宗教も、「願望成就のツール」に変わってきてしまいました。
ここには、スピリチュアリズムや宗教を発信する側のエゴと悪だくみが起因しています。「教会に来て募金をすればあなたの罪は帳消しになりますよ。」「このヒーリングを受ければあなたの負のカルマは清算されますよ」といった嘘の誘惑に、苦労せず幸せになりたいと願う現実逃避な人々が、飛びつき大金を払ったのです。
それがあまりにも儲かるため、こうしたペテンの宗教やスピリチュアリズムが増えていってしまいました。
「運気アップ!」を掲げるスピリチュアリストは本当のスピリチュアリストではなく、あなたの欲望に付け込んでお金を稼ごうとしている不誠実な人です。
「運気アップ」に飛びつく人は他力本願。
「運気を上げたい」と願っている人は、他力本願な傾向にあります。目の前の問題を誰かほかの人や不思議な力に解決してもらいたいと願っていて、自分で努力を積むことをしません。幸せも、誰かが運んできてくれるものだと考えます。
このような考え方をしていると、「幸運体質になるワークショップセミナー」「恋愛運の上がるアクセサリー」「金運の上がるサイフ」「勉強運の上がる神社」といったものに延々とお金を吸い取られ続けてしまいますから、くれぐれもご注意ください。
「運気を上げる」のではなく、具体的な成長や成果、収穫に向けて、具体的なアクションを取りましょう。
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