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「悟り」とは?2つの意味があり、多くの分野がある。
「悟り」とは、霊的成長の境地を連想します。
「悟りたい」と憧れる人も多いでしょう。そのために座禅瞑想をしたり、インドに修行に行ったりするでしょうか。しかし、それらの行為で悟れるのでしょうか?
「私は悟った」と言う人のワークショップに行けば、悟れるのでしょうか?
「悟り」には、2つの意味合いがあります。
「悟り」という概念には、大きく分けて2つの意味合いがあります。
「物質的な執着を卒業すること」はロイヤルブルーの悟り。
1つ目は、「物質的な執着を卒業すること」です。
「悟り」という言葉で最も代表的な、仏教におけるゴータマ仏陀の教える「悟り」は、おおむねこのような意味です。
「悟りを開けば、この世の苦しみから解放される」「そのための極意とは、物質的な執着を手放すことだよ」というのが概要です。
多くの金品を得ても幸せになれるわけではない。
物は移ろう(諸行無常)。
名声を追いかけても虚しいものだ。
こういった観念です。
物を欲しなくなれば、高級品を欲しなくなれば、労働に苦しむ必要もなければ権威者に服従する必要もありません。だから生きることの苦しみから解放されるのです。
仏陀の語る「悟り」は、主にロイヤルブルーの観念について述べています。
逆に言えば、仏陀が教えたのはあくまで、ロイヤルブルーの分野にすぎないのです。
そのため、仏教における悟りや霊的教育も、ロイヤルブルーの分野ばかりになりがちです。それはそれで大切なことですが、それだけではアセンションを達成することも輪廻転生を卒業することも出来ません。禅寺にこもって修行をするだけでは、アセンションはできないのです。
そして、すべての色において「悟り」の境地がある。
「悟り」という言葉のもう1つの側面は、上記の「物質的な執着を手放せ」ということ以外においての、様々な面での「達観」のことです。
ある種の物事について達観している人に対して、「あの人は悟っている」と形容したりします。物質的な執着を手放せているわけではくても、子育てについて達観している人に対して「あの人は悟っている」という賞賛が使われたりします。
文章の中における「悟り」という言葉の意味合いは様々で、その都度文脈の中から察する必要があります。
「真の悟り」とは、13次元すべてにおける悟りの境地です。
仏教の師や、東洋思想の師などには、「私は悟っている」「あの先生は悟っている」と言う人もいるでしょう。そのような人の本や講演に夢中になる人もいるでしょう。しかし、そのような人々は、ロイヤルブルーにおいて悟っているだけなのです。
または、知識として知っているだけで悟れていないことも多いものです。たとえばインドのヨガスクールの講師などは、「私は悟っている」と胸を張って「物質に執着してはならないのです」と言っていても、自分は富を得たいがために外国人向けのヨガ講師をやっていたりするのです。
本当にロイヤルブルーの悟りに達しているなら、外国人から高いお金を取るようなヨガスクールや講演会などしません。
そして、ロイヤルブルーにおいて悟っているだけでは、不充分なのです。
それでは輪廻転生の卒業にはなりませんし、アセンションにもなりませんし、この世の苦しみから解放されたりもしませんし、モナドから「悟った人」という認定は受けません。
「真の悟り」とは、13次元すべての事柄において、悟りの境地に達した人を言います。
すべての色に、達観した境地がある。
レッドのオーラで達観すると、痛みを伴いながら体を鍛えることに喜びを感じます。
強靭な肉体は、「勝つ」ためではなく「耐える」ためにあるものだと考えます。
人のために犠牲になって死にたいと感じます。
死ぬことを恐れません。
オレンジのオーラで達観すると、セックスを怖いものと感じません。
セックスが好きですが、「中毒せずに楽しみたい」とわきまえます。
演じることが上手ですが、演じて人をあざむくことを嫌います。
イエローのオーラで達観すると、知的な学びを楽しいと感じます。
小難しいことを、わかりやすく楽しく教えたいと考えます。
小難しいことを理解したうえで、笑っていたいと感じます。
グリーンのオーラで達観すると、調和することに喜びを感じます。
高い社会性を培ったうえで、自分らしく生きたいと願い、実践します。
ブルーのオーラで達観すると、環境の変化を「楽しい」と感じます。
芸術の価値が、作品ではなく「創造の過程」にあります。つまり作品に執着しません。
厳しさが人を育てることを理解しています。
人を育てるために、物質的価値のないことを担います。
ヴァイオレットのオーラで達観すると、奉仕することを「楽しい」と感じます。
ターコイズのオーラで達観すると、ありのままの自分をさらけ出すことに喜びを感じます。
オリーブグリーンのオーラで達観すると、これは意図的に伏せます。
ピンクのオーラで達観すると、可愛い・セクシーであることに喜びを感じます。
愛しい人を性的に官能させることに喜びを感じます。
(愛しい人を)愛する過程に快感を感じるので、見返りを欲しなくなります(無条件の愛)。
マジェンタのオーラで達観すると、他人を育てることに喜びを感じます。
ペールコーラルのオーラで達観すると、「自分も人も幸せにするにはどうすればよいか」ばかりを考えます。そのために振る舞います。
ゴールドのオーラで達観すると、これは意図的に伏せます。
このように、様々な物事において達観した視野に達することが、真の意味での「悟り」であり、「輪廻転生からの卒業」です。
「知っている」だけでなく、当たり前の所作になっている必要があります。
そして、ここに書いた項目ですべてではありません。
ですから、「真の悟り」に至ることはとても難しいです。
仏教や東洋思想の教えは、決して悪いことはないですが、それだけを熱心に師事していても、アセンションは出来ませんし、霊的な成長は止まってしまいます。もっと広い視野で語る霊的真理を見つけなければなりません。