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「オールドソウル」はなぜ説得力があるか?
「オールドソウル」の人々は、古今東西のあらゆる分野で、教育や啓蒙を担ってきました。良いアドバイザーやメンタリストでありました。
彼らはなぜ説得力があるのでしょうか?彼らはなぜ多くの人の人生を大きく動かすのでしょうか?
体験が伴っているから。
説得力の最たる要因は、「体験が伴っているから」でしょう。
彼らは頭が良いですが、頭でっかちになることを嫌います。真実は体験しないとわからない、と思っており、自分が教えたいことはまず自分で体験しようとします。
彼らが「音楽は素晴らしい!」と言うとき、実際に青春時代を音楽に投げ打って汗水流してきた過去を持っているでしょう。
体験が伴っているので、説明が具体的ですし、感情がこもっています。「オールドソウル」は営業マンや俳優のように演じることを嫌いますが、しかし彼らの言葉には感情がこもっています。
人にやらせる前に、自分がやって見せる。
上のトピックの内容に似ていますが、彼らは良い教師である上に、良い上司でもあります。
部下に何か命じるとき、偉そうにしていてイライラする上司を大勢見てきたでしょう。しかし「オールドソウル」はそういうことにはなりません。
彼らは、人に何かをやらせる前に、自分がやろうとします。
すると周りの人は「彼がやっているんだから私もやらなくちゃ」「彼がやっているんだから私にも出来るかも」と思います。彼らは言葉が達者でありながらも、背中で人を動かします。
彼らは働き者ですし、努力熱心です。練習熱心です。
「才能があってすごいだろう!」と自慢するのではなく、不器用に努力に打ち込む姿を見せるでしょう。「これくらいやれば、君も出来るようになるかもよ」と。彼は、出来ることを自慢したいのではなく、みんなも出来るようにさせたいのです。
だから彼らは、他の権威者とは異なる印象を人に与えます。
たとえば彼が校長先生であるなら、教師たちにあれこれと指導法を説くだけでなく、自ら児童たちと触れ合うような取り組みをしているでしょう。それは見せかけのパフォーマンスではなく、長い年月を継続して、汗を流しているでしょう。実のある事をやっているでしょう。
インドアな文学少女では、啓蒙者になれないのです。
あなたは、詞や小説を書いて大衆啓蒙したいと思っているでしょうか?
多くの小説を読んでそのディテールをつぎはぎすれば、小説を書くこと自体は不可能ではないでしょう。しかし、その作品にあなたは満足をしていないはずです。体験が伴っていないからです。
詞、音楽、小説、漫画などはインドアなジャンルですが、中学生の頃からずっと家にこもっているような生き方では、名作を生むことはできないのです。
奉仕や人助けが独りよがりでないから。
「人助けをしたい」と意気込む人は、スピリチュアリストの中にも多いでしょう。
しかしその多くは、自分の好きなことで他者に貢献しているだけです。犬が好きだから犬の保護をしている、というようなことです。
「オールドソウル」が奉仕や人助けをしたいと思ったとき、自分があまり興味のないことでも、得意でないことでも、やろうとします。ガイド霊から「何々をやりなさい」と言われれば、気の進まないことでもやろうとします。
それが究極の献身であり、奉仕心です。
「オールドソウル」はなぜ美しい?怠けないから。
「オールドソウル」の女性は美しい人が多いです。これは、過去世の研鑽によって美しい容姿を生まれ持っているから、という側面もあります。
しかし、それだけではありません。
彼女たちは年をとってもなお、若々しさ、美しさ、そして透明感やスリムな利発さを保ち続けていたります。
彼女たちが美しいのは、「怠けないから」でしょう。
「怠けても良いことはない」と体験的に理解しているのです。怠けていれば楽ですが、太ったりニキビができたりするので、彼女たちは体を動かそうとします。
仕事に励んでいるほうが、若々しい表情が保てることを理解しています。健康でいられることを理解しています。
たとえば「オールドソウル」が芸能人になっても、お金にものを言わせてホームヘルパーを雇ったりしません。家事や育児を精力的に行うでしょう。そのうえで仕事をするでしょう。だから彼女たちは、いつまでも美しいのです。
アイドルを引退しても、家ではダンスを踊って体を鍛えているでしょう。
彼女たちはアセンション文明の住人ではありませんが、「若い日の言動を保っていればいつまでも老いない」ということを理解しています。
華奢な容姿をしていますが、中身はタフな彼女たちです。
何かに挑戦して、体や心が傷つくことを恐れていません。勇気があり、我慢強いのです。