スピリチュアリストのブログなど見ていると、「静かにつつがない日々を過ごすことこそが幸せなのです」と書いているのを見かけます。
特に、ナチュラリスト、環境問題に興味が強い人に多いです。
これは真理と言えるのでしょうか?
「強烈な快楽は卒業したほうが幸せ」という意味では正解。
ブランド品を買いあさったり、人気のレジャーを週末ごとに楽しんだり、お酒を浴びるほど飲んだり、珍しいスイーツを次々と食べたり・・・そのような強烈な快楽を卒業したほうが、かえって幸せに暮らせる、という面はあります。
人々は幸せを追い求めますが、それは富やぜいたくの中にあるわけではないのです。それらはジェットコースターのような恍惚で、快楽と苦痛が常に隣り合わせ・背中合わせなのです。そして麻薬のような中毒性があり、人を不安に陥れます。
「卒業」すべきであって、「抑圧」すべきでない!
ぜいたくや快楽は、「卒業」すべきでありますが、「抑圧」すべきでないです。
情報にあふれる社会の中で暮らしていれば、人々が外国料理や遊園地、最新のiPhoneに憧れを感じるのは自然なことです。
生まれてからずっと田舎で暮らし、それらへの興味を満たせずに我慢して暮らし続けると、それは「抑圧」となります。欠乏感、むなしさを感じるのです。
ぜいたくや快楽は、一通り体験したほうがよいと言えます。その楽しさとむなしさ・リスクを、両方ともに体験的に学習しましょう。
そうして、「別にヴィトンの買えるショップが近所にある必要なんてないわ」と感じられるようになることが重要なのです。
「つつがない日々こそが幸せ」と書くスピリチュアリストは、ぜいたくや快楽を体験せずにナチュラルに暮らし続けるべき、と説く人が多く、そうなると危ういと言えます。抑圧者を増やすことになってしまいます。
いわゆる「インナーチャイルド」がそれ。
ひと昔前にスピリチュアルに興味を持った人は、真面目な人が多かったものです。「正しく生きたい」と考えたのです。
そうして、江原さんの「たましい磨き」のような真面目な説法、カルマ論など学んだのですが、その一方で、なんだか楽しそうに快楽をエンジョイしている流派のスピリチュアリストがいて、それがうらやましくなります。そんなときに「インナーチャイルド」なる言葉を知ると、自分の抑圧やむなしさを開放すべく、愛や快楽を求めたりします。
恋愛の体験は、誰にとっても必要なもの。
「快楽を避けてつつがなく暮らすべき」と説く人は、恋愛やセックスに対して否定的な人が多いです。
しかし、恋愛をしっかりと楽しむことは、ぜいたく品に溺れ続けることとは趣旨が違います。
大恋愛を避けて生きることはよくないです。恋愛にはリスクもありますし、傷つくこともあるのですが、しかし誰もが大恋愛をしたほうがよいのです。
大好きな異性とデートをするときどんなドキドキを感じるか、大好きな異性とセックスをするときどんな恍惚を感じるか、人と心を通い合わせることがどんなに難しいか、それらは体験的に理解したほうがよいのです。
そして、「人を愛する」ことを深く体験し、その喜びや崇高さを理解すべきなのです。
人を愛することから、真の思いやりを学びましょう。
あなたが、男性を、追いかけてみましょう。
どこかの芸能人のように、次から次へと彼氏を作って快楽に溺れるべき、というのとは違います。
多くの女性は恋愛や結婚を経ますが、大恋愛はしていません。貢いでくれる男性を見つけて、その人に養われて結婚して無難に暮らしているだけです。それは「恋愛の喜び」とは異なり、「大恋愛」とも違います。
極端に言えば、ほとんどの女性は「恋愛をしていない」のです。
冒険の体験も、誰にとっても必要なもの。
「快楽を避けてつつがなく暮らすべき」と説く人は、冒険に対しても否定的な人が多いです。普通の仕事でお金を稼いで家族を養うべき、家事を丁寧に行い、それを継続すべき、といった考え方を持っています。
しかし、人が精神的に達観するために、「冒険」の体験は必要不可欠です。
ここでいう「冒険」には様々な意味があります。
バックパッカー放浪のような先の読めない放浪をすることもそうです。
芸術家や自営業の夢を追ったりすることもそうです。
恋人と駆け落ちして、親から離れて暮らすような恋愛も、冒険の1つと言えます。
人は、忠実なサラリーマンをこなす協調性や優秀さも必要なのですが、そこから抜け出して明日なき日々を生きる冒険心もまた、必要なのです。(ただしそれは家族を持つ前にやったほうがよいです。)
快楽と冒険の果てに、人は穏やかに暮らすようになる。
上述したような快楽と、バックパッカー放浪・脱サラのような冒険を本気で体験したような人は、結果的に、穏やかに暮らすようになります。
大きな快楽や冒険を体験すると、ブランドやグルメ、遊園地、ぜいたく消費などのちょっとした快楽が、まったくつまらなくなってしまうのです。そういうものにお金や時間を浪費しなくなります。
たとえばこの女性は、田舎のほうの家に住んでのんびりと日々を過ごします。片思いに悩む女の子や夢を追おうとする男の子たちの背中を押し、そしてよく体を動かして働きます。
たとえばこの男性は、田舎の村ばかりを静かにさすらい続けます。
たとえばこの夫婦は、田舎のほうにペンションを築き、来客者に人生を語りながら淡々と暮らします。
大恋愛も大冒険もせずに、田舎に隠居して真面目に暮らそうとすると、「へんくつなおばさん」という感じの人になってしまいがちです。
それは偉大なスピリチュアリスト(啓蒙者)とは少し違います。
親や師が保守的すぎるなら、そこからは離れてきましょう。
母親やスピリチュアルな師から、「人はつつがなく生きるのが幸せだ」と教わり、田舎で淡々と暮らす人がいるでしょう。
その人は大恋愛や冒険を経てきているでしょうか?そのような挑戦もせずに保守的に暮らしているだけの人なのであれば、あなたは離れてきたほうがよいです。
その人は、あなたの大恋愛や冒険の機会を奪ってしまうでしょう。それはあなたの精神成長を阻害してしまいますし、人生の充実感を奪ってしまいます。
その師を批判する必要はありません。その母親を否定する必要はありません。彼女はきっと、ナチュラリズムや誠実さなど、たくさんの善いこともあなたに教えてくれたでしょう。その部分には感謝です。
さらにあなたの枠を広げるために、さらに広い世界に出るのです。
さらに視野の広い師を探すのです。
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