【詳述】神とは?~多神教の神々は、神というよりも〇〇大臣~

執筆者:れなさん

この世界は神が造ったのでしょうか?神とは何者なのでしょうか?神は、存在するのでしょうか?

神とは・・・いえ、神を一言で定義するのは難しいです。地域やグループによって、神の捉え方が異なるからです。

神の概念は、大きく2つに分類されます。

1つは一神教の神。神とはただ一人の存在であり、万物を造り、万物に対する権限を持っているといった捉え方をします。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などが該当します。

もう1つは多神教の神。農業、勉学など、様々な分野にそれぞれに神がいると捉えるか、またはあらゆる存在に神が宿っていると考えます。神道、ヒンドゥー教または日本神話、ギリシャ神話、ローマ神話、エジプト神話などの各地方の神話が多神教の概念を語ります。

一神教と多神教とでは神の意味が異なるので、「神は一人なのか多数なのか」という議論は不毛なものだと思ったほうが良いです。

 

一神教における神とは、「万物の創造主」のこと。

一神教において神とは、「万物の創造主」または「唯一にして最高権力者」といった捉え方をします。これは、法律や道徳を決めるにあたって、一人の指導者の意見を仰ぐことになるので混乱が生じにくく、また、ペテンのカリスマがあちこちに出現することを防ぎやすい特徴があります。

私たち人間が、「神の造った世界に神の法則のままに生き、成長していく」という視点で考えるなら、一神教の概念のほうが正しいと言えます。


 

多神教における神とは、「一定の権力や実績を持つ人々」のこと。

多神教において神とは、一定の権力または実績を持つ者すべてを指します。

私たちは、神というと、ものすごく特別な存在のように感じてしまいますが、多神教における神とは、「創造主」といった概念よりもむしろ「各省庁の大臣」といった性質のものです。ヨーロッパの王の側近としての大臣ではなく、日本の内閣を束ねる文部科学大臣や外務大臣、農林水産大臣といったものです。


 

多神教の神々は、地位が高いだけで神聖な心を持つわけではない。

多神教における神たちは、それぞれの分野において高い知識とスキルを持っているだけです。魔法を使って手からコメを出したりできるわけではありません。各宗教や神話では、そのような魔法の使い手であるように説明されることも多いですが、これは各分野の神たちのカリスマ性を高めるための嘘や誇張に過ぎません。

お察しだとは思いますが、宗教や神話で語られている内容には、嘘や誇張が多分に交じっています。ゼウスは稲光を操ったりはしません。

嘘や誇張は、多神教の宗教やスピリチュアリズムに限ったことではありません。

 

神々を神格化する神話の中に、スピリチュアルな真実は無い。

宗教はもともと、大衆の道徳教育および霊的な知識の教育のためにありました。

しかしどこの宗教も、いつしか一部の卑しい権力者によって、大衆支配の道具へとすり替わっていきました。大衆が神に対して過剰に崇拝するように、神を過剰に恐れるように、神の能力や権威を誇張していったのです。これはあらゆる宗教の経典および神話で起こっており、嘘のない宗教経典はいまや地球上に1つもありません。そのため、宗教経典をもとにスピリチュアリズムを知ろうとするなら、必ず誤解や勘違いが混じってしまうのです。

どの宗教も、「誠実に生きよ」「肉体が人間の本質ではない」といった概念を説いているので、宗教経典を勉強すればそれなりの霊的な知識を得ることはできますが、しかし本当の霊的な真理を知りたいなら、宗教経典やそれに基づいて書かれた現代スピリチュアリストのブログを読んでいても、叶いはしません。

霊的な真理を知りたいなら、あなた自身がアセンテッドマスターレベルの守護存在とコンタクトが出来るようになるまで自己成長し、そのアセンテッドマスターに直接教えてもらうしかありません。


寺社で祀られる神たちも、精神性の高い者はほとんどいない・・・。

神というと、絶対的に正義であり誠実であるようなイメージがありますが、多神教の宗教や神話で語られる神たちは、あまり誠実でない者も多く、そもそも悪いことばかりやっていた人も少なくありません。それでも「〇〇神」と呼ばれていることから、様々な寺社仏閣で祀られてしまっていたりするので、やはり権力者を神と称するのはり好ましくないことと言えるでしょう。

多神教の神たちは、アセンションの意識レベルに達している者は少なく、霊的な理解に長ける者も少ないです。そのため、多神教の神々をチャネリングで呼んでアドバイスを請うことは、好ましいこととは言えません。

特に、七福神に出てくる神々は、まったく精神性の高い者たちではありません。

 

唯一神の神も、実は崇拝すべき対象とは言えない。

唯一神の神(地球の創造主)に関しても、私たちは「崇拝する」必要はありません。

唯一神としての神は、演劇の脚本家、またはRPGのシナリオライターのような存在です。私たちは、彼の造る作品に参加することに同意したので、彼の作品の中のシナリオやルールに従う必要がありますが、しかし神が「偉い」というわけでもないのです。

脚本家やシナリオライターは、その作品における一つの役割にすぎず、役者より脚本家のほうが偉いというわけでないように、唯一神としての神が私たちより偉いとも言い切れないのです。とはいえ、多くの人にとって、唯一神としての神はより高次元にいる先輩にあたるので、リスペクトの対象ではあると言えます。


神は人類を救済したりはしない。祈願を叶えてもくれない。

また、「神が私たちを救う」という概念は起こりえません。人々が神を崇拝するようになったのは、「神が人類を救うから」という理由に端を発していますが、神は人を救ったりはしないのです。

神はただ、「地球」という戯曲またはゲームを造っただけです。そしてそこには「カルマの法則」という節理が存在し、罪を犯した者は自分もまた同じ苦痛を浴び、怠惰な者は体がなまる定めにあります。どれだけ祈ろうとも、立派な祭壇を造って神にお供え物を捧げようとも、カルマの懲罰が免罪されることはありません。もちろん、商売繁盛や合格祈願などお願いごとをしたところで、それを神が叶えてくれたりもしません。

また、「救済」については、死を防ぐことを意味する(期待する)ことが多いですが、そもそも霊的な真理において死は不幸でも嫌なものでもなく、命を救済することに意味はありません。

「カルマの法則」と並んで「次元を高めていく」という目的節理が存在するため、苦手なことを避けるための配慮を神がしてくれたり、苦手なことをするときの苦痛を神が軽減してくれたりもしません。

「神頼み」や「神に祈る」というのは、およそ無意味なことなのです。

私たちは、地球を汚すなら環境破壊によって病気になり天変地異にのみこまれ、科学力を誤用するなら科学によって自滅するのです。その愚かな過ちを神が救済することはありません。


神はあなたの内側には居ない。

「神は己れの内側にいる」と説く人たちがいます。これも残念ながら、正しくはありません。多神教的な考え方をするのであれば、たしかに自分のハイヤーセルフに熟達したアセンテッドマスターが存在するゆえ「神は己れの内側にいる」とも言えますが、「地球を統括する唯一の創造主」という定義で神を捉えるなら、神は私たちの内側にはいません。あなたの内側にはいません。

とはいえ、「神なるものと繋がりたいなら、寺社仏閣に行ったり霊能者に頼ったりするのではなく、座禅瞑想をして自分の内側に向かうべきだ」という考え方自体は、正しいと言えます。

神ではありませんが、守護存在とつながることができます。

ベストセラーとなったスピリチュアル書籍の『神との対話』で、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏がチャネリングした存在は、神ではありません。ニール氏の守護霊に該当する者で、アセンテッドマスターレベルの存在です。『神との対話』シリーズに書かれていることはおおむねあっています。

 

このページでは、多神教的な神のニュアンスについてを主に解説しましたが、唯一神的なニュアンスの神については「創造主」のページでさらに詳しく解説しているので、ご参照ください。

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