アセンションの本当の意味は?~誰も知らないアセンションの秘密~

執筆者:れなさん

アセンションという言葉を知らないスピリチュアリストは居ないでしょう。そしてアセンションに憧れを抱かないスピリチュアリストも居ないでしょう。

ですが、アセンションという言葉の意味を本当に理解しているスピリチュアリストも、ほとんど居ません。誤った、過剰に神秘的な情報ばかりが飛びかっています。

アセンションとは、多くの人がイメージするものとしては、「楽園のような世界に導かれて苦痛のない生活を送れるようになる」といったものでしょうか。または、波動が著しく上昇し、何もかもを悟ることのできた仙人のようなものをイメージしている人も多いかもしれません。

しかし、アセンションとは、そのどちらでもないのです。

 

アセンションとは何か?「5次元社会の精神性(7次元)に到達すること」の意味。

アセンションとは、日本語に訳すと「次元上昇」です。そして、スピリチュアリズムの中で用いられるアセンションという言葉は、「5次元社会(アセンション文明)の精神性に到達すること」といった意味合いです。

そして、少々ややこしい話ですが、5次元社会(アセンション社会)で暮らすためには7次元超の意識に達していることが必要不可欠です。

7次元に達するために必要なことは、幅広い経験と視野、そして能力です。修行というよりも「多彩な人生経験」が必要なものなのです。

では、次元とは何なのでしょうか?

スピリチュアリズムにおいて次元とは、「意識レベル」のことを指します。「精神性の高さ」と言い換えても良いかもしれません。または、「まとっているオーラの色数」に置き換えることも出来ます。


7次元までを達成する条件とは?

それでは、7次元までを達成するための条件を、具体的に解説していきましょう。

第1次元達成の条件

人類はまず、猿とあまり変らない原始的な生活によって、霊的成長のゲームをスタートします。これにより、「生き延びる力強さ」「家族を守る愛」「家事や生活のスキル」といったものを身に着けていきます。

この、「生きる強さ」が一定レベルに達したとき、その人は「1次元を達成した」ことになるのです。一定レベルがどのくらいかというと、無人島に放り出されたとしても一人で生きていく程度の根性、体力、スキルが必要です。

現代人で無人島でのサバイバル能力を試すのは難しいですが、たとえば大震災に見舞われたときに、あまり悲しみもせずにそばにあるものだけで工夫しながらしなやかに暮らせるような人は、第1次元を達成している可能性が高いです。野宿や質素な相部屋宿を苦にしないバックパッカーなども、第1次元を達成するだけの強さを備えた人が多いです。

基本的に、大人は自分で生計を立てられるようになっていることが最低限の前提となります。そのため、夫の収入に依存しきっている専業主婦は、第1次元が達成できてはいません。まれに専業主婦でも、空いた時間をボランティアに注ぎこんでいるような活動的な人が、第1次元を達成していると評価されています。

日本人は実は、世界で最も第1次元を苦手とする人種です。年配者の女性の多くは自分で生計を立てる生き方ができておらず、そして若者世代は文明の利器に依存しすぎていて、「生き延びる力」が欠けています。

現代日本人で第1次元を達成できている人の割合は、1割程度といったところです。1,000万人程度ですね。そのほとんどは男性です。

第1次元の意識・能力は、赤い色のオーラとして現れます。

 

第2次元達成の条件。

2次元のメインテーマは「セックス」で、セックスを抑圧もせず、かといって中毒や誤用もせずに扱えるようになる必要があります。

高齢な女性にはセックスを「抑圧」している人が多く、それ以外の人々は大抵、セックスに「中毒」しています。適切には扱えていません。


高価なプレゼントを贈ることで女性の気を引こうと考える男性は、「セックスが適切に扱えている」とは言えません。それは政治家の行うワイロと同じ行為で、愛情表現ではなくひきょうな行為です。ワイロと同様な行為が当たり前のものとして推奨されている先進国社会において、2次元達成は困難です。「好きな人に高価なプレゼントを贈って気を引く」ということに違和感・不快感を感じている男性は、2次元達成の希望があります。

逆に、収入や尽くし度合を基準に恋人を決める女性たちも、セックスを適切に扱えているとは言えません。

恋愛欲求があるのに男性に好意を伝えられず、可愛く着飾ることで気を引こうとする女性も、これは「駆け引き」なので、セックスを適切に扱えているとは言えません。

お酒に酔っていないとセックスを始められない人、お酒の力を使って女性を口説こうとする人も、セックスが適切には扱えていません。

また、セックスに付随して、他の快楽に対する節制コントロールも2次元のテーマになります。たとえばタバコやギャンブルを辞められない人、衝動買いのくせがある人などは2次元を達成することは出来ません。多くの女性は甘いものを食べ過ぎていますし、無駄な買い物をしすぎています。

子供の場合はテレビゲームやスマートフォン、テレビ、お菓子などがこれに該当し、家庭で決めたテレビゲームの時間を守れない子などは2次元を達成することはできません。21世紀の日本の場合、ほとんどすべての子供がなんらかの快楽品に中毒状態にあります。

また、2次元には「不正をしない」というテーマもあります。

ご存じのように、ほとんどの企業が自社の商品・サービスを誇張して宣伝します。また、大してお得でもないのに「お買い得!」の札を張ったり、300円で仕入れたものを1,000円で売ったりします。これらはすべて不正な行為で、つまり賃金労働をしている人は皆、不正を日常的に働いていることになります。

一般企業の不誠実な経営方法に苦痛を感じている人は、賃金労働をしていてもこのテーマが合格していると評価されることがあります。

また、多くの人は日常的に嘘ばかりついていますが、これも不正に該当します。タテマエや虚勢も嘘に該当します。化粧が濃いのも嘘・不正と同じです。

第2次元にはさらに、「自立」というテーマがあります。

人は様々なものに依存しながら生きていますが、これらすべてから自立を果たさなければなりません。

親、友人、お金、家電、病院、薬、社会保険、グルメ、ショッピング、おもちゃ、恋人、都市社会、地位・・・

自立というのは、これらを使わないことではなく、「なくてもいいや」と思え、実際に無い状況でうろたえず対処してみせる様を言います。一般的にアセンションの判定をしている守護存在は、実際にこれらを使わなくなる様子を見せないと「自立した」と判定はしません。

仏教が修行の際に「出家(しゅっけ)」というプロセスを課すのは、このレッスンの意味合いがあります。ただし現代日本の職業訓練的な出家では、霊的に見て自立ができたとは判断されません。実際に、1年間はガマンできても自立しきれていない僧ばかりです。

質素に暮らす発展途上国の村人などはすんなり達成する人も多いのですが、快適過ぎる社会、快楽的すぎる社会に浸かっている現代日本人は、これらすべてから完全に自立できる人はほぼゼロです。住んでいる町を離れて自給自足の取り組みなどしている人くらいでしょうか。

バックパッカーには良い線に達している人も多いです。

1次元を達成した男性の多くは、2次元で止まってしまいます。

現代日本人で2次元を達成しているのは、わずか10万人くらいです。1次元達成者の1/100ですね。総人口の1/1000です。

第2次元の意識・能力は、オレンジ色のオーラとして現れます。


第3次元達成の条件。

第3次元のメインテーマは「知性」です。

「知性」と「知識」を混同してはなりません。現代日本の学校では、知識をたくさん詰め込みますが、そのような環境の中で80点を取っても100点を取っても「知性がある」とは言えません。

知性とは「考える力」であり、知ることへの純粋な好奇心です。

知性が真に発達すると、資本主義経済や貨幣社会といったものが酷く非効率的で不誠実な制度だと気づくようになります。そして確信に至り、「脱・資本主義」「脱・貨幣社会」のためのアクションを起こすようになったなら、「知性」のテーマはおおむね合格です。

どれだけ頭が良くても、お金儲けに夢中になっている人は第3次元が達成できてはいません。
 

エコヴィレッジを造って自給自足で生きようと取り組む人には、第3次元を達成している人が多いです。または、都会の暮らしに嫌気がさして、自然の豊かな地方で家庭菜園などしながら暮らす人にも、第3次元の達成者が多いです。

賃金労働を完全にやめないとしても、最低限の額だけを稼いで質素に暮らそうとする人は、このテーマを達成したとみなされることがあります。

第3次元には「ユーモア」というテーマもあります。

ユーモアはギャグとは違います。笑点の「上手い!」とうなりたくなるような笑いのようなもので、これには知的な能力と感性が要ります。

たとえば村上春樹さんの小説やあだち充さんのマンガのセリフには、ユーモアが多いです。松本人志さんのツッコミもユーモアの効いたものが多いです。

転じて、いつもニコニコと微笑んでいる感性も3次元のテーマです。

現代日本人で3次元を達成しているのは、わずか2万人くらいです。

第3次元の意識・能力は、黄色い色のオーラとして現れます。


第4次元達成の条件。

第3次元を達成した人は、次の人生で自然豊かな土地に生まれることが多いです。これは第4次元のメインテーマが「自然愛」であるためです。

自然を愛し、自然に包まれ、自然を守ろうとする強い気持ちが第4次元の達成には欠かせません。たとえば宮崎駿監督の映画には、強い自然への愛情と慈しみが見られます。

年に何度か温泉や高原に出かけて「自然も気持ちいいね」と言っている程度では、第4次元は達成できません。都会の風景に快適さよりも息苦しさを感じ、のどかな地方に移住したいと強く願うような人は、第4次元の「自然愛」を持っている人が多いです。憧れるだけでなく、実際に移住に踏み切るくらいの情熱が要ります。たくさんの犠牲と労力を払ってでも。

庭で豊かなガーデニングや家庭菜園など行っている人は、良い線に達していそうです。

また、田舎好きのバックパッカーなどもこの基準を達成している人が多いです。

第4次元には「良心」というテーマもあります。

争うことより協力することを好み、常に穏やかな言動をするような人は、第4次元の意識がある人です。「優しそうな振る舞い」ではなく「心の底から優しい」ことが不可欠です。

良心が発達していると、やはり資本主義経済や貨幣社会に不快感を感じるようになります。良心のある人は、人をだましてお金が欲しいとは感じませんし、人をだましてまで快楽が欲しいとは感じません。

良心の発達している人は、格闘技や格闘マンガを嫌います。感動を伝える目的のものであっても戦争映画や戦う映画を嫌います。殴ったり血を流したりしている場面を見ていられないのです。特に、生身の人間が血を流す格闘技に熱狂する人というのは、良心が育っていません。球技などのスポーツで相手チームを憎んだり、ヤジ怒号を飛ばしたりする人も良心が育っていません。

また、良心の強い男性は恋愛に躊躇します。「告白することであの子が傷ついたらどしよう」「告白することで仲間たちが気まずくなったらどうしよう」などと感じます。人に迷惑をかけてまで快楽を得たいとは思わないのです。
 

やはりエコヴィレッジを造って自給自足で生きようと取り組む人には、第4次元を達成している人が多いです。そして、都会の暮らしに嫌気がさして、自然の豊かな地方で家庭菜園などしながら暮らす人にも、第4次元の達成者が多いです。
 

現代日本人で3次元を達成しているのは、わずか2万人くらいです。

第4次元のみを達成している人に絞れば、100万人くらいはいます。

第4次元の意識・能力は、緑色のオーラとして現れます。

 

第5次元達成の条件。

第5次元は、「芸術」の意識です。

芸術を「たしなむ」のではなく芸術に「打ち込む」くらいの気概が不可欠です。収入が得られる見込みもないのに芸術の練習や表現に打ち込み続ける人は、この社会から見れば「だらしない人」かもしれませんが、霊的な視点から言えば「芸術の意識のある人」なのです。

子供で言えば、お年玉をTVゲームには費やさず、トロンボーンを買うことに使おうと考える子などは、このテーマが合格基準に達していることが多いです。

または、そのように人生を捧げる芸術家をリスペクトし、彼らの寝食を守ってあげようとするくらいのサポートでも、「芸術への愛」とみなされます。

ルネサンス時代のヨーロッパには、第5次元の意識を持った人がけっこう大勢いました。

今の時代の日本においては、芸術の意識を持つ人はほとんどいません。絵画や音楽の技術を持つ人は非常に増えましたが、第5次元の意識にまでは達していません。

第5次元には、「変化への柔軟性」といったテーマもあります。

引っ越しなどで環境が変わっても、その新しい環境に前向きに順応しようとする柔らかい心、そして順応できる適応力です。

たとえば大震災があったときに、いつまでも住み慣れた町を離れらない人々は、第5次元の意識に達していないということなのです。

質素な食事や寝床、おんぼろバスを繋ぎながら見知らぬ町をさすらい続けるバックパッカータイプの旅行者には、この「変化への柔軟性」を達成できている人が多いです。旅行好きでも、高価なホテルでないと気が済まないような人は、変化への柔軟性があるとは言えません。物欲の強い人には5次元の達成は難しいでしょう。

さらに第5次元には、精神性というテーマがあります。

尽くしてくれるから、といった理由ではなく、精神的に尊敬できるからという理由で男性を追いかける女性などです。報酬の高さではなくやりがいや会社の経営理念に共鳴して仕事を選ぶ人などです。

子供や妻を甘やかさずに、嫌われるのを覚悟で叱る心(父性愛)などもこれに該当します。

人に監視されなくても勉強をし、義務を押し付けられなくても社会のために仕事や貢献をしたいと感じます。

たとえばポップスを楽しむにあたって、Mr.Children、ゆず、絢香、いきものがかり、ビートルズ、ボブ・ディランなど好む人、歌詞の精神性の高さを重視して音楽を選ぶ人などは、この感性の強い人と言えます。

現代日本人で3次元を達成しているのは、わずか1万人くらいです。

第5次元の意識・能力は、青い色のオーラとして現れます。

 

第6次元達成の条件。

第6次元は、「奉仕」と「信仰」というテーマがあります。

家族でもない他人や社会全体のために、長きにわたって体を張って尽力することを「奉仕」といいます。そして「信仰」とは、科学では解明されていない概念を信頼して、それに忠実に生きようとする理念を指します。

一般的に第6次元の「奉仕」と「信仰」は、キリスト教の修道院や仏教の僧院での生活を通して高められていきます。

または、吹奏楽で指揮者の指導に忠実であり続けようとすることや、スポーツで指導者の方針に徹底的に従うことで高められていくこともあります。

ミュージシャンの「オッカケ」もそれらに近い雰囲気がありますが、この場合は快楽的な動機に起因していることが多いため、第6次元の意識が高まることはほとんどありません。素晴らしい精神を持つのに売れていない芸術家をオッカケしてサポートしようとするなら、「奉仕」として評価される部分はあります。

日本の神道信仰における初もうでや厄払い、絵馬などは「神頼み」にすぎず、これは奉仕でも信仰でもありません。宗教行為に熱心であれば良いというものではないのです。

日本人に第6次元の意識の高い人はほとんどいません。ボランティア活動は奉仕に関連しますが、休日にちょっとボランティアをする程度では第6次元は達成できません。

さすがのバックパッカーも、「奉仕」「信仰」を持ちあわせている人は少ないです。

「奉仕」を達成した人のわかりやすい例としては、マザーテレサです。

現代日本人で6次元を達成しているのは、わずか1人です。海外を見渡せば、修道院や僧院などにけっこう大勢います。

第6次元の意識・能力は、紫色のオーラとして現れます。


第7次元達成の条件。

第7次元はまず、「サイキック」というテーマがあります。

これは一般的に、座禅瞑想や内省的な静寂の時間を通して高められます。

レイキなど、スピリチュアルなヒーリングを通じてサイキックを得ることは可能ですが、これらで容易に得られる程度のサイキックの段階では、第6次元を達成したことにはなりません。

ビジュアリックな霊視や霊聴を持つだけでは不充分です。

座禅瞑想をこつこつと続けていくと、やがてまぶたの裏に「モヤモヤとした青白い光」を視るようになります。映画のような映像ではなく、ただこの青白い光だけがゆらめくのです。この状態に達したなら、サイキックのレベルとしては充分です。

サイキックは「不可視のものを視る」というようなものですが、そこから転じて「真実を見極める洞察力」「不正を暴き指摘する正義心」といったものも第7次元のテーマになります。

この洞察力が磨かれてくると、巷でチヤホヤされているスピリチュアリストや神秘的なスピリチュアルグッズに、あまり価値を感じなくなるでしょう。また、流行を追うことには興味がなくなり、富を追うことや有名になることには興味がなくなるでしょう。

この洞察力を得るためには、第3次元の知性や第4次元の良心、自然を重んじる心、第1次元の根性なども必要になってくるでしょう。

禅寺の修行で禅問答が課されるのは、この洞察力を鍛えるためです。

多くの場合、「アセンション」や「悟り」について説明している文章が表しているのは、この第7次元を達成した状態のことです。第7次元を達成すると、たしかに非常に大人びた、仙人のような崇高な雰囲気を感じさせますが、しかし第7次元を達成するだけではアセンションを達成したわけではないのです。

仏陀をはじめとした古代仏教の聖者として語られる人には、第7次元を達成した人は多いのですが、しかし他の次元をもすべて達成している仏教聖者はそう多くありません。ゴータマ仏陀と観音ぐらいです。

第7次元には「質素への適応」というテーマもあります。

これも仏教の禅寺が得意です。素食と言われるような、白米とみそ汁とサンマだけでも「べつにいいや」と思えるような無欲な状態です。もちろん、食だけでなく生活のすべてに同じような質素さをみせる必要があります。

1泊300円のゲストハウスを苦にしないバックパッカーなどは、この感性を持った人が多いです。

そして最終関門です。

他の次元をすべて達成したうえで、第7次元を達成すると、守護存在から「旅立ちなさい」という天啓が下ります。そうしてアセンションの条件を達成した人は、俗社会から離れ、修道院や僧院からも離れ、5次元文明(アセンション文明)に導かれて暮らすか、または山奥のような場所でひっそりと暮らすようになります。(そこに人が集まるならそこが新たな5次元文明となるわけです。)

ただし、例外はあります。仏陀などもそうですが、教師としての能力に長ける人は、アセンションの条件を満たしてもなお、下界でスピリチュアルなメッセンジャーとして貢献することを依頼されます。

各伝統宗教が「巡礼」という壮大な旅行を課すのは、このプロセスに備えるものです。各宗教教義はアセンションに必要な課題を幾つも教えていますが、しかしアセンションを達成するには、自分の信仰する宗教から抜け出してくる必要があるのです。深いパラドックスがここにはあります。

第7次元の意識・能力は、藍色のオーラとして現れます。

インディゴチルドレンたちがアセンションの先導者として大量派遣された理由は、この第7次元・ロイヤルブルー(インディゴブルー)オーラのスキルに大いに関連します。彼らはかたくなに愛してきた家族や町、友人、宗教から抜け出してきて、新たな村を築くといった出家(しゅっけ)的プロセスを過去世で達成しているため、現代日本でも快適な都市社会から離れてエコヴィレッジの創生を引っ張っていけるだろうと期待されたのです。実際には、そこまでの行動を見せられたインディゴチルドレンはほとんどいませんでしたが・・・

現代日本人で7次元を達成しているのは、わずか1人です。海外を見渡しても、他にはいません。チベットの僧院の高層なども、この域には達していません。


「21世紀版アセンション」には、もう1つ必要な条件がある。

以上が、20世紀までにおけるアセンションの意味であり、条件でした。

しかし、21世紀の新時代においては、アセンションを達成したとみなされるために、もう1つの次元のテーマを達成しなければなりません。

それは、本来は12次元の領域であるペールコーラルのオーラに関する意識・能力です。

オーラソーマを学んだ人ならご存じのことでしょうが、ペールコーラルには「博愛」というテーマがあります。

アセンションを超え、高度に進んだ文明では、「一夫一婦」のような恋愛も結婚も選択しないのです。なにしろ男女の人数比が半々であることはまずなく、男:女=1:9くらいの極端な人口図式になってしまうことが多いため、そこで暮らす人々は「一夫一婦」にとらわれないような恋愛観を持っている必要があるのです。

これは、様々な異性とセックスの関係を結んでも良いということを意味しますが、同時に、自分の最愛の人を他の人とシェアしなければならないことを意味します。つまり、「独占欲」や「嫉妬心」といった感情を克服しなければならないのです。

現代日本の女性にとっては、独占欲や嫉妬心を克服することは非常に難しいようで、ペールコーラルの精神が達成の域にある日本人はほとんどいません。

また、あまり好きでもない人に性的官能を提供する慈愛も必要になります。

 

上記では、各次元に関する条件を簡潔に説明しましたが、厳密に言えばそれぞれの次元にもっと細かい課題がたくさん存在します。


現代地球にアセンション達成者はいるの?

2018年の現代地球において、アセンションの条件を達成している人はたった一人しかいません。彼は日本に住んでいますが、有名な人ではありません。

スピリチュアルな教師をしている有名なスピリチュアリストやチャネラーは大勢いますが、その誰もがアセンションの条件は達成できていません。彼らの多くは商業主義であるため、3次元すら達成できていないのです。スピリチュアルな知識や能力はあっても、3次元に満たないのです。

また、チベット仏教などで有名な高僧や、仙人のような顔をしたヨギー(ヨガ実践者)たちも、アセンションの条件を達成してはいません。ダライ・ラマも然りです。

あなたがもし、アセンションの達成を目指したいなら、自分が今何次元であるのか、各次元において足りない能力は何なのかを、まずは知る必要があります。

これを知るためには、守護天使やガイド霊の示唆を仰ぐしかありません。チャネリングの出来る人にチャネリングを頼むか、あなたが自分自身でチャネリングの能力を磨き、自力で守護存在に尋ねれば知ることが出来るでしょう。

 

アセンションに関する誤った情報あれこれ。誤解あれこれ。

アセンションについて記述する文章は多いですが、ほとんどすべてがでたらめです。日本のもののみならず、欧米のスピリチュアル本、スピリチュアルブログ、チャネリング文も然りです。

アセンションはヒーリングやスピリチュアルグッズでは起こらない。

アセンションを達成するためには、なにか神秘的なヒーリングを受けたり高額なワークショップを受けたりすることでは叶いません。「このヒーリングを受ければアセンションが出来ます」などという宣伝文句を掲げている商業スピリチュアリストがいますが、それらはでたらめでありサギです。また、ミステリースクールの類に通ってもアセンションは出来ません。(座禅瞑想の技術くらいは身に付くかもしれませんが。)

すると当然ながら、パワーストーンや波動装置などのスピリチュアルグッズを購入しても、アセンションが達成されたりはしないのです。「アセンション出来る」とまでは言わずとも「アセンションに近付く」と宣伝しているようなスピリチュアルグッズは多いですが、つまりそれらもサギでありでたらめです。

もちろん、何らかの本を読むだけでアセンションが出来るようなこともありません。アセンションの手順について書かれた書物というのも、市販されてはいません。ワークショップに参加してもアセンションは出来ません。

仏教的な「気づき」「悟り」だけでもアセンションは出来ない。

多くの本やサイトでは、アセンションの条件についてスピリチュアルな気づきや崇高さを語るものが多いのですが、それは誤りです。精神的な気づき、悟りといったものは、アセンションに必要な条件の1つにすぎません。第7次元の1要素にすぎません。

アセンションを達成するためには、毎日朝早く起きて家族のためにご飯を作るような地味な生活力も不可欠ですし、セックスを適切に扱うことも必要です。論理的な思考も必要ですし、キャンプを楽しむような自然愛も必要です。つまり、スピリチュアルなことにだけ目を向けていてもアセンションは出来ませんし、座禅瞑想だけをしていても、禅寺に住み込み修行に行っても、アセンションは出来ないのです。

多様な人間を目指して、様々なことに打ち込む必要があるのです。
 

地球の波動上昇にともなってあなたがアセンションしたりもしない。

さらに劣悪な情報として、「2012年に地球惑星の波動が上昇し、それにともなってあなたもアセンションが達成されます」などと書いている人を多く見かけます。もちろんこれらはでたらめで、ただ待っているだけでアセンションが出来たりはしません。

そもそも、2012年や15年に地球惑星の波動が上昇するという話もでたらめです。「すでに地球の波動情報は起きました」などと書いている人もいますが、地球の様子は100年前と何ら変わっていません。

 

アセンションとは何なのか?それを理解すれば嘘情報に振り回されない。

アセンションとは何なのでしょうか?

「楽園のような場所に導かれる」という話は、ざっくり言えば間違いでもありません。

快楽や、怠惰、争いから抜け出してきた精神性の高い人々の集落で暮らすことによって、争いも義務もない生活が送れるというものです。

ここで生活することをイメージしてみてください。

スマホとファミレスを行き来しているだけの人が、ヒーリングや地球の波動上昇とやらによって自動的にその集落に導かれたら・・・快楽や怠惰、争いによって、その平和な村を壊してしまうのです。

争いも怠惰もない集落というのは、争いも怠惰もない人のみでないと存続できません。農業をさぼらない人のみでないと存続できません。クーラーのない暮らしでも文句を言わない人のみでないと存続できません。だからアセンションには、上述したような7色のスキルが課されるわけです。

精神性の低い人、スキルの低い人がアセンション文明に導かれても、そこは楽園とは感じられませんし、そこの暮らしを壊してしまうのです。

アセンションというのは、実は非常にアナログで物理的な概念です。あまりスピリチュアルではないですし、神秘的なものでもないのです。

 

アセンション文明(5次元社会)ではどのような生活をしている?

それでは最後に、アセンション文明、5次元社会での暮らしの様子をご紹介しましょう。これを知りたがっている人は大勢いるのではないでしょうか。

シャンバラ、レムリア、テロスなどがアセンション文明の名前。

シャンバラやレムリア、テロスといった名前の文明では、上述のような人々がアセンションの暮らしを送っています。

古代エジプト、古代ギリシャ、古代ローマ、カタカナム文明、マヤ文明、インカ文明などはアセンション文明ではありません。

アトランティスについては後述します。
 

アセンション文明(5次元社会)を簡潔に言えば、エコヴィレッジのような暮らし。

アセンション文明は、「自給自足のエコヴィレッジ」のような場所です。現代日本人にわかりやすいたとえで言うと、「ダッシュ村」のようなところです。
 

農業や牧畜、機織りなどして衣食住を自給自足する。

自分たちで農業などをして、食料を自給します。ニワトリを飼いますが玉子を分けてもらうだけ。牛を飼いますが牛乳を分けてもらうだけ。動物の肉は食べません。人も動物も殺しません。スピリチュリズムや宗教で菜食が奨励されるのはこのためです。

はたを織って服を作ります。というよりも、ギリシャ神話の絵画のように、1枚布を可愛らしく巻き付けるだけの地域が多いです。
 

家は木造。東南アジアの田舎の高床式住居のような。家電はほぼ無し。

家も自分たちで建てます。東南アジアの村人たちがするように、木の簡素な家を建てます。クリスタルエネルギーで動力を持ちますが、家電めいたものはほとんど使いません。クーラーも無く、夏は木陰と風通し、水浴びで暑さをしのぎます。冬は厚着と暖炉の火で寒さをしのぎます。基本的にあまり寒いところでは暮らしません。
 

結婚はしない。皆で助け合って暮らす。セックスも皆でシェアする。

結婚はしません。アセンション文明では男性の数が非常に少ないので、大勢の女性たちで少数の男性をシェアしあいます。男性たちは女性の要望に応じてセックスをし、あちこちの家の力仕事をします。または女性同士で性的な戯れをし、女性同士で力を合わせて力仕事をします。

家族という概念は希薄。子供は老人が育てる。

家族という概念は希薄で、生まれた子供は集落全体で育てます。二十代、三十代程度の人々はまだ自己研鑽に打ち込み、子守りに専念することはしません。子守り・子育ては老人たちが請け負います。若い人たちも、自分が老人になったら他人の子供の面倒をみます。保育園のような概念です。
 

誰もがすべての基礎労働を一通り請け負う。労働は一日4時間くらい。

誰もが農業をしますし、誰もが建築をしますし、誰もがはたを織りますし、誰もが子育てをしますし、誰もがセックスをしますし、誰もが芸術で美を彩ります。皆、一通りのことを請け負います。これにより、誰かがいなくなっても、大きな問題にはなりません。

多くのものを求めないので、労働と言える時間は1日4時間程度で済みます。残りは遊んだり芸術をしたりセックスをしたりして過ごします。

お金は用いない。物々交換もせず、奉仕で循環させる。

お金は用いません。物々交換という概念すらありません。市場のような場所はありますが、商品説明をするだけでお金はとりません。あなたは1円も払わず食や家や衣服を手に入れられますが、しかし1円ももらわず農業をし建築をし布を織る必要があります。

家が必要になれば、自治会のような場所で申し出れば、村人総出で建築を手伝ってくれます。あなたも手伝うことになります。
 

スポーツはダンスをするのみ。ダンスはけっこう力を入れる。

スポーツという概念はあまりありません。格闘技はまったくないですし、球技もほとんどやりません。争いを助長するような荒々しいことはしないのです。その代わりにダンスで体を動かします。ダンスはかなり熱心にやります。もちろんダンスも、金メダルを競い合うようなことはしません。

村長はいるが、学級委員のような仕事。皆が平等。

村には長がいますが、独裁などはしません。話し合いもしません。村の方向性は皆の守護存在立ちが決めます。村人たちはそれに従うだけです。たまには意見もしますが、最終決定に反抗したりはしません。

話し合いはしませんが、各々の意思希望は守護存在たちが汲み取っています。

長の仕事は「これから議会を始めます」と場を仕切るくらいなものです。とはいえ、村の中で最も頭の切れる、平等な思考を持った人が請け負うことが多いです。長の仕事は学級委員のようなものです。長の家だけが立派だったりはしませんし、長がたくさんの女性をはべらせたりはしません。

宗教は無い。霊的な道徳教育はある。教会は無いが瞑想場はある。

宗教という概念はありません。霊的な道徳を教える場はあります。

教会も寺も神社もありませんが、瞑想場はあります。

宗教教祖に近いものは、守護存在たちが担います。彼らが示唆を出します。守護孫座地たちがお布施や年貢を要求するようなことはありません。

学校は1日3時間ほど。わかるまで先に進まない。

学校はあります。集団授業が行われていますが、ついていけない子には個別の指導員がつきます。完全にわかるまで、次の単元には進みません。

学ぶ内容はそう多くなく、私たち現代日本人が小学校で習うものよりさらに少ないです。それ以降の授業内容は「専門分野」として、学びたい人が自主的に学びます。農業をし、家を建て、はたを織り、料理をして子育てするだけなら、小学校の読み書き計算で充分です。

授業は1日3時間くらいです。学校を休みたがる子供はいません。あまり難しいことは教えないからです。

テレビもパソコンもない。霊視霊聴で代用。

テレビはありません。パソコンもありません。サイキック能力があるので遠い世界のことは霊視で視ることが出来ます。Eメールがなくてもチャネリングで通じ合えます。家電は電灯くらいです。

車も馬車もない。基本的に遠出をしない。

車はなく、馬車のような動物駆動も用いません。基本的に乗り物が必要になるような遠くにはでかけません。

旅行をしたい人は徒歩で出かけていきます。

旅行はある。しかし旅行する人は少ない。

旅行の概念はあります。仕事を休んで長期で旅行に出ることは誰でも可能です。旅行をした人は、旅で見たものを皆に報告します。これで彼は報道の仕事をしたことになります。

アセンション文明の人たちはあまり旅行には興味がありません。やや保守的な感性をした人が多いです。

総括:アセンション文明の暮らしは少数民族の村に似ている。

アセンション文明の暮らしは、およそこのような感じです。

全体的に、東南アジアの少数民族の人々の暮らしによく似ています。だからインディゴチルドレンたちは、東南アジアの田舎の風景に妙ななつかしさや好感を感じるのです。

少数部族の村には、少しの悪い人とだらしない人がおり、ちょっとゆがんだ宗教があります。アセンション文明はそうした汚点はありません。


 

アトランティスもアセンション文明の1つだが、これは失敗例。

アセンション文明としては、アトランティスが最も有名でしょうか。車が空を飛び、夜でもネオンが煌々と光る超ハイテク都市です。アセンション文明にこのような憧れを抱いている人も少なくないでしょう。

たしかにアトランティスもアセンション文明の1つと定義できますが、しかし科学の誤用・権力の誤用によって、レムリア文明をまきぞえに崩壊してしまった「失敗例」の文明です。

ハイテク化は快楽中毒と怠惰欲求、それに伴う支配欲求を生み出してしまい、彼らは精神性が下がって滅びてしまいました。

ハイテク化そのものは悪と言えないのですが、他の惑星を眺めてみても、ハイテク化を目指した文明はほとんどが快楽中毒、怠惰欲求、支配欲求に陥り、やはり科学力の誤用で自爆しています。核戦争や原発事故のような末路をたどるのです。

そのため高次元のアセンテッドマスターや大天使は、レムリアを手本に、エコヴィレッジのような原始的な暮らしをすべきと啓蒙しているわけです。

ひょっとすると、北欧地域あたりはハイテクを誤用せずに進化していく可能性がありますが、ニューヨーク、東京、ドバイといったところのハイテク都市構想は、精神性が至らないためにアトランティスの二の舞になりそうです。

 

アセンションを目指す?

あなたは、アセンションを目指したいですか?目指したいならそれも可能ではあります。家族と絶縁し、社会保障を手放す覚悟は要りますが、本気で努力するなら、上記の情報だけの手がかりでアセンションも可能です。
 

しかし、それによって導かれるアセンション集落が日本には無いため、条件を達成したときにあなたの守護存在が告げることは、「どこか山奥で、一人で自給自足の暮らしをはじめよう」というものになるでしょう。おそらく沖縄の西表島か、四国の山奥あたりだと思われます。

もしかすると、東南アジアの山奥の、無垢な少数部族の村に導かれていく(自分で歩いていくのです)可能性もあります。
 

しかしいずれにせよ、待っている生活は自給自足の原始的な生活です。エアコンもスマホもありません。

原始的な生活を、「日本の几帳面すぎる生活よりずっと良い!」と感じるなら良いのですが、便利さ・快楽を好む多くの現代日本人にとって、エコヴィレッジレッジのような暮らしはつまらなく、苦痛に感じられるでしょう。苦痛でないなら、あなたはすでにエコヴィレッジに訪れているでしょうし。日本にもエコヴィレッジはあります。

つまり、アセンションを達成しても、あまり幸福だとは感じられないでしょう。アセンション文明に導かれても、あまり楽園だとは感じられないでしょう。

それを理解したうえで、アセンションを目指すか検討をしたほうが良いです。


アセンション文明(5次元社会)に近しい取り組み。

アセンション文明(5次元社会)の暮らしに近しい取り組みを試みた人々は、先進国社会の中にもあちこちにいます。たとえばこのような人たちです。

フィンドホーンのエコヴィレッジ

「フィンドホーンの花」という自叙伝に、詳しいいきさつが書いてありますが、フィンドホーンが最も本格的な、アセンション文明の創設を目指した先進国のケースです。

スコットランドのフィンドホーン地方のエコヴィレッジです。

途中までは良い具合に進みましたが、守護存在たちが「自分で考えて暮らしてみなさい」と言ったとたんに、エコヴィレッジノウハウをウリにした商業主義に落ちぶれてしまいました。今のフィンドホーンに理想的な暮らしはありません。
 

欧米人ヒッピーたちのコミューン。

1970年前後、ニューエイジと呼ばれる欧米人スピリチュアリストたちが、あちこちにコミューン(エコヴィレッジ)を造って暮らしました。自給自足をベースにタフに暮らしましたが、彼らはドラッグに溺れ、単なるスラム街に成り下がってしまいました。大抵どこのコミューンもそうです。

今でもごく少数残っています。が、やはり快楽主義者が多いので要注意です。
 

てんつくマンの小豆島の試み。

てんつくマンを名乗る路上詩人が、四国の小豆島で、自給自足のコミュニティ作りに挑戦したことがあります。

彼はお金の介在しない村を造ろうとがんばりましたが、「お金の要らない村」と銘打ってふれこみしたところ、ただ無償で衣食住を得たいだけの依存的な人々ばかりが集まってしまい、失敗に終わっています。

つまり、やはりアセンション的な精神性の条件設定をして、住む人を選り分けないと、「むさぼる人」ばかりになって「作る人・与える人」が足りなくなり、破綻するのです。

高橋歩さんのビーチロックヴィレッジ

旅行家である高橋歩さんも、沖縄本島北部の山の中に、自給自足のエコヴィレッジを造ろうと試みました。これも最初は上手くいきましたが、彼の思想にはヒッピー的要素があり、お酒やパーティのノリを好む人が多く集まってしまい、いつしか「お金の介在しない自給自足の継続」という論点からは逸れてしまいました。

今でもビーチロックヴィレッジはありますが、「エコヴィレッジのような商業施設」です。

このような感じで、先進国民の自給自足エコヴィレッジの取り組みはなかなか上手くいきません。